【2013年6月27日付朝日新聞朝刊より】 |
目から鱗が落ちた。今日付の朝日新聞朝刊、教育欄「学校モノがたり」というコラムである(斉藤純江編)。
「号令で体操、時代遅れに」。
――そうであった。私の卒業した小学校の体育館にも確かに、これがあった。
子供が登るには少し高すぎるくらいの、肋骨のような木製器具。「肋木」(ろくぼく)というらしい。初めて知った。辞書で調べてみると、
《器械体操の用具の一。柱の間に等間隔に多数の丸い横木を取り付けたもの》
(三省堂『大辞林』[第三版]より引用)
とある。コラムの中の古い写真では、中学生くらいの少年たちが屋外の肋木で器械体操をしている。その肋木がなんとなく華奢で安定性に欠け、上まで登ると倒れそうに見える。
私が小学生の頃は、それが何という名前の器具だがまったく分からず、体育館の中で時間を持て余した時、唐突にぶら下がったりして、お茶目な態度を取り、“通販のぶら下がり健康器”の真似、程度のオチで和やかに時間をやり過ごしたことがある。
体育授業で真面目にこれを使った記憶はほとんどなく、どこの体育館でも一様な、体育館を立派に見せるための飾りもの、と馬鹿にしていたほどで、太い綱が天上から数本垂らしてある体育館では、むしろそちらの方に興味がいって、〈これが初代タイガーマスクが片手で登ることのできる綱なのだ〉などと感心し、地味な肋木の実用性などまったく好奇心を抱かなかったものである。
*
「学校モノがたり」のコラムには、明治時代に伝わった「スウェーデン体操」のための器具、と書かれている。その内容についてはよく分からないが、とにかくこれで胸郭を鍛えるのだという。胸郭を鍛えるのだから器具の見た目も肋骨ふうにしたのかと、発明者の真意を少し知りたくなってしまう。が、この話題はやめにする。
コラムによれば、大正時代に結核予防のため、胸郭を鍛える運動が全国で広まったという。参考までに近藤宏二著『人體と結核』(1942年刊・岩波新書・絶版)の前編第八章「結核に対する防衛その二―発病の防止」を読んでみた。
《今から約二十年ばかり前までは、人々の多くは子供の時に結核に感染し、その後何等かの原因により身體の抵抗が弱まると発病を来すのであると考えられてゐた。従つて結核に感染してから発病するまでには普通は長い期間があるものとされ、発病を防ぐためには、少くとも普通最も多い青年期の結核発病を防ぐためには、その前期たる少年期に於て身體抵抗力の増強を計る(※原文ママ)ことが最も重要とされてゐた。即ち結核発病防止のためにはその前になるべく長期に亙つて身體を鍛へて置くことが最も効果的であるといはれてゐたのである》
【近藤宏二著『人體と結核』】 |
軍隊の徴兵と結核という観点でも、この『人體と結核』は非常に興味深い本なのだが、国策である結核予防のための一つの策の末端が、肋木を使った体操であったとは、保健体育への繋がりとして考えてみると頗る面白い。とりわけ、学校の体育館に設置されたあの肋木が、結核予防と深い関わりがあるなどとは考えもしなかった。
コラムにある通り、そういう意味での体操は戦後、廃れたのだと私も思う。しかし、「号令で体操」という軍隊式の教育方針は、少なくとも地方では戦後根強く残ったと言っていい。個々の子供達の情操を促すよりも、まず何より集団行動を優位にとらえた教育方針。何故それが体育の授業に突出して表れていたのだろうか。
時代遅れには違いないが、教育全般の体質においてそれに気づかぬ教育者は未だ全国に蔓延っている、と思わざるを得ない。
コメント