BEATLES SHOCK


《不条理な論理〔論理の形をなさぬ論理〕をその終結まで推し進めて、こうした闘争は、この世界において実現されねばならぬ希望などいささかも存在しないということ(しかしそれは絶望とはなんの関係もない)、たえず拒否しつづけるべきだということ(これを断念と混同してはならぬ)、充足が得られぬという状態をいつでも意識しているということ(これを青春の不安と同一視することはできないであろう)、こうしたことを前提とするのだと認めるべきである。こうした要請を破壊したり、ごまかしたり、かわしたりするもの(まず第一に、世界と人間との相いれぬ状態を破壊してしまう〔現実の不条理への〕同意があげられよう)は、すべて、不条理をなしくずしに滅ぼし、そうした要請にしたがって提示されうる態度の価値を失わせる。不条理は、それに同意をあたえないかぎりにおいてのみ、意味があるのである》

(アルベール・カミュ著『シーシュポスの神話』より引用)
 つい先月、当ブログの11月19日付「ポール・マッカートニー~サウンドの啓示」で、小学生時代に聴いていたBEATLESの8トラについて触れたのだが、ここでその補足というべきか、訂正というべきか、むしろ私的にはもっと重大な、その誤解・誤認の説明をしたいと思う。
 何が言いたいかと言えば、実に単純なことで、私があの当時聴いていた8トラのBEATLESは、「BEATLESではなかった」のである。
 先日、アルバム『RUBBER SOUL』の「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」を聴いていてふと感じた。それは本当に一瞬の感覚であったが、かつて8トラで聴いた同曲のイントロ(ジョンのギターとジョージのシタール)が、一瞬甦ったのだ。
 ――そうだった。あの頃、私はこの曲がとても心地良くて好きで、8トラでこの曲の番になると、途端に甘く優しい気持ちになれた。甦った方のイントロ(の音的記憶)は、妙に緩やかである。その直後にかぶさるジョンのヴォーカルも、今聴いている同曲よりもずっと穏やかなものだ。
 緩やかで穏やかな音――。それは私にとって原初の「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」に違いない。しかしどうしてこのようなことが起こるのか。今、同じ曲を聴いているにもかかわらず。
【THE BEATLES『RUBBER SOUL』】
 奇妙に思ってこの曲を何度も再生した。するとその甦った方のイントロは、残念なことにいつの間にか記憶から消え失せてしまった。もう記憶から呼び起こすことができない。ともかく、8トラで聴いた同曲は確かにテンポが幾分遅かったのである。
 そうして私はハッとなって気がついた。あれは、つまり私が小学生時代に聴いていた8トラBEATLESは、BEATLESではなかったのだ。あれはBEATLESナンバーを模倣して演奏した別のバンドの、単なるカヴァーだったのだと。
*
 衝撃が走った。身体中の血液が沸騰するかに感じられた。
 試しに、ヤフオクで検索して、そういう古いBEATLESの8トラの存在を確認してみた。
 あった。例えばそれは、『ビートルズ大全集』という8トラである。ザ・ビートルズの著名な曲が、4トラックにそれぞれ4曲ずつ収録してある。「Yellow Submarine」「Hey Jude」「Can’t Buy Me Love」「A Hard Day’s Night」など。
 やはり、これらの演奏はBEATLES、ではない。演奏者=ハング・オバーメン、小西トオルとニューガッツ。オリジナルではない。まったくのカヴァーである。パッケージにはきちんと演奏者が記されてあるのだから、必ずしも胡散臭いものではないのだが、パッケージの、そのインパクトのあるイラストは、あくまで本物のBEATLESの4人(ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ)の顔ぶれであり、この8トラがオリジナル曲を収録しているかに思えるのも無理はない。
 小学生だった私は、こんな小さな表記など見たりせず、単純にこの演奏はBEATLESだと勘違いしていたのだろうか。もちろんヤフオクで検索ヒットした『ビートルズ大全集』そのものが、私がかつて聴いていた8トラというわけではない。だが、同じようなたぐいの8トラであったことは疑いの余地はない。
 考えてみれば、どれがジョンの声でどれがポールの声かなど、分からなかったと思う。事実として私は当時、8トラBEATLESを楽しんでいた。しかし今回、それがカヴァー物であったことが判明した。もしかすると私は、あの「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」のパフォーマンスがBEATLESではないと、どこかで気づいていたのかも知れない。ただそれ自体の記憶が、私の中で完全に忘れ去られてしまっていた可能性がある。8トラでBEATLESを聴いていた、という大枠の事実のみが記憶され、継承され、私的なBEATLES体験の規定となってしまっていたのだ。
 いつかまた、あの頃聴いていたイントロを、ふと思い出すかも知れない。言語道断だと知りながらも、こう思うことがある。
 あの似非BEATLESが演奏した「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」こそが、私の“ノルウェーの森”だと。

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