【レイ・ハラカミ氏とその制作システム】 |
コンピューターでプログラミングした音、音響、音楽。放たれたそれぞれの音が無機質に響き合い、ポリ・リズムの記憶となり、旋律となって、いわゆる音楽として味わう身体の《冷たい》感覚。若い世代には何のためらいもなく受け入れられている《冷たさ》は、ある世代によっては無価値とされ、不毛とされ、堅く、人間味がないと嫌われたコンピューター・ミュージックはゆっくりとした時間の中で、どの世代にもその本当の意味が理解されつつ、愛され始めた――。
70年代生まれの我々にとって、コンピューター・ミュージックは「信用」と「裏切り」の神話の走馬燈であることを、知っている。
レイ・ハラカミ(rei harakami)という人がこの世を去ったのは、2011年の7月。広島出身で京都で音楽を作り続けた音楽家、ミュージシャン。彼が遺した類い希な電子音楽の諸アルバムは伝説化されていて、“チープなDTM(デスクトップ・ミュージック)システム”でそれらが制作されたことで非常に有名である。
彼が手掛けたアルバム群が、ringsレーベルより昨年12月に再発された。雑誌『Sound & Recording Magazine』の1月号・2月号で、ringsレーベルを立ち上げたライター・原雅明氏が、再発をきっかけにレイ・ハラカミの音楽について野太く語っていた。私もそろそろ、目を見開いて(耳を研ぎ澄まして)彼の音楽を語りたいと思えるようになってきた。
2年前、レイ・ハラカミが“チープなDTMシステム”で使っていたのと同じ中古音源モジュールをネット・オークションで入手した時、発売からもう20年近く経過した古びた機種なのに、いまだ人気が殺到し高値で売買されていることに驚き、これもレイ・ハラカミ伝説のせいではないかと即座に思った。
私はその音源モジュールを確信犯的に入手したわけだが、それでも尚、それをあからさまに扱うことに抵抗を感じた。音楽をクリエイトする自身への危機感。それを扱うということは、レイ・ハラカミ・ミュージックを因数分解することになるのではないかという不安。秘密めいたものへの安直な接触の恐怖。禁忌。そして私は単なるレイ・ハラカミの真似事をするようになるのではないかといった強迫観念。
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都市部からだいぶ離れた田舎町に住んでいる私にとって、90年代にアブストラクトな、あるいはサブ・カルチャー的な音楽をサーチすることはストレスのかかることだった。少なくとも街に現れたTSUTAYAに通うまでは。一方で駅前には、レコード時代から続いているちっぽけな老舗ショップがあって、90年代のエイベックス台頭でヤング・ジェネレーションの空気をしっかり読み取っていたCDショップ時代がちっぽけながらも華々しかった。第三第四の音楽時代到来も意識したりした。
しかし、そんな時代は急速に萎んだ。新しい文化はあっけなく過ぎていく。今では演歌ジャンルの花園、と化して落ち着いている。商売だから時代の音楽を読み取るプロなのだ。
ともかく私にとって90年代は、小さなレーベルの音楽ソースを都市部へ赴いて買い求める時代であり、ちょっとしたjourneyが必要だった。音楽を見つけることは旅そのものであったし、雑誌を読んで憧れたコシミハルの『swing slow』、あがた森魚やもりばやしみほのインディー・レーベルなどといったCDは遙か彼方、《お伽の国》の音楽だったのである。
【雑誌『Sound & Recording Magazine』2007年12月号】 |
その90年代にレイ・ハラカミがやり始めた“チープなDTMシステム”は、最も小さな音楽スタイルであった。しかし彼だけが伝説化されるのは、少し違うのではないかとも思っている。音楽を作る時代の空気と、その時代に蔓延ったツール(例えばマルチ・エフェクターの大ブーム)との宿命的な結びつきこそが、レイ・ハラカミ・ミュージックを生んだ。
『Sound & Recording Magazine』2007年12月号に、彼の当時の“チープなDTMシステム”が明らかになっている。OPCODE EZ VisionがインストールされたAPPLE iBook G3。そこからMIDIインターフェースRoland UM-4と音源モジュールRoland SOUND Canvas SC-88Proが繋がれ、その出力先のデジタル・ミキサーはRoland VS-2000CD。そのアウトプット先のマスター・レコーダーは不明だが、これがレイ・ハラカミ・ミュージックの全身像とも言える。
彼はそのチープなシステムの中で、確固たる選び抜かれた音色に対し、ピッチ・ベンドをかけ、重なり合うディレイ音による混沌としたリズムを構築した。しかしそれは音楽というよりも、か細く滴り落ちる清水の如く、時折ざわめく竹林のように優しく繊細な自然音に近く、まさに古都の禅寺の静謐さを思わせるような音響である。と考えれば、彼の音楽は《道》であって、彼と宿命的に結びつけられたチープなシステムもまた、《道》なのではないか。
私は今、昨今の無数に繁茂したコンピューター・ソフトウェアの影響を受けて、自身の音楽が途方もない遠心力で引き離されていくことを危惧する。それを良識的な範囲で解決するべく、最低限必要なツールとして、私はレイ・ハラカミの遺産とも言うべき《道》をどこかで学ばなければならぬと感じた。
こうして心理的な封印が、解かれた。あの同じ音源モジュールを扱うことの、真似事ではない肉体と密着した音楽への模索、精進。journeyを繰り返したあの90年代の古き良き部分を継承するということ。
信念と魂。コンピューター・ミュージックは朧気にそれらを語ろうとしている。レイ・ハラカミというキーワードが今、私の脳裏に深く刻み込まれようとしているのだ。
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