『洋酒天国』とブラッディ・マリー

【『洋酒天国』第16号】
《良馬は決してつまづかず 良妻は決して不平をいわず 良酒は決して宿酔しない》
 そんな不遜(?)なアイルランドの俚諺で始まる『洋酒天国』(洋酒天国社)第16号は、昭和32年8月発行。表紙は泉和助さん。いきなり揚げ足取りのつもりはないが、“つまづかず”=躓かずは“つまずかず”の間違い。酔っていても言葉は清く正しく。一応念のため。
 表紙の、何ともとらえどころのない無国籍風スタイルの泉和助さんは、かつての日劇ミュージックホールのコメディアン。スポンサーつながりということでN.M.H.とヨーテンは切っても切り離せない娯楽と実利の関係。N.M.H.絡みのネタが多い。
 殿方で眠れぬ夜がある人ならば、昭和の東京・有楽町のチカチカネオンにまみれた日劇ビル、その5階にあったN.M.H.を想像しよう。たまたま私は往年のトップスター、朱雀さぎりさんの踊りをネット動画で拝見したのだが、実に踊りがしっかりしている(音楽もなかなか冴えている!)ではないか。妖艶、女の気高さ、一瞬にして視線を虜にしてしまう恐るべき肉体美。ヌード・ダンサーにしてレベルの高い踊り、ということを考えると、日本においてこの業界の今ではもはや死滅の途を逆に思ってしまう。憂いで眠れぬ夜。しかしながら、ここにさらに泉さんのような芸人の笑いが加わるのだと想像すれば、日劇ミュージックホールの純粋培養された質の高いショーのなんたるかが理解できるような気がする。日本の娯楽文化のさらなる成熟を願う――。
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 さて、第16号の中身。先週、伊勢志摩サミットがおこなわれ各国の首脳陣が集い、サミットならではの華やかさが記憶に残っているが、ヨーテン第16号のエッセイの一つ「東西酒癖」を書いたのは、川口四郎吉さんという当時の志摩観光ホテルの専務。志摩観光ホテルはまさしくサミットが開催された賢島の中心地リゾート。そんなホテルのかつての専務が「東西酒癖」でどんなことを述べているかというと、もちろん世界経済の話なんかではなく酒の話。
 きわめて真面目な話で、日本人の酒の飲み方の悪さについて。川口氏は日本人の宴席での酒の飲み方を、「猛獣の如く」ととらえる。
 酒に弄ばされ、適量を超えてとことん飲む。喧嘩する、嘔吐する、所構わず寝てしまう、などなど。それに比べ、アメリカの酒場は照明が暗く、どこも静かだという。静寂な酒場で紳士淑女が軽く談笑、《優しく女の手に触れ、頬を近づけ、そして穏やかな抱擁――接吻》。愛人への欲情が強まってきた時の接吻、コアントローの味が僅かに残っている女の唇の魅力はすばらしい、とも。
 国内において、昭和30年代のホテルや旅館の宴席、酒場の酷い有様は映画などでしばし見かけるけれども、外国人から見れば“猿の悪酔い”とも受け取られかねないほど下品。確かにその頃は、Cointreauの味の女の唇の魅力の、影も形もなかったのである。
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【グラビア特集「ぐらまあ・ふおりいず」】
 スタイリッシュな女性モデルのカットで欲情を掻き立てるモノクロ・グラビア特集「ぐらまあ・ふおりいず」。この女性モデルの名がどこにも記されておらず、やや腑に落ちない。当時のN.M.H.のショーのタイトルがこんなようなのが多く、幾分か関係あるのかも知れないので、もしかするとN.M.H.のダンサーではないかと勝手に推測する。ちなみにモデルの前に並べられた洋酒は壽屋のHERMES(ヘルメス)各種。これに関してはまったく抜け目がない。
 このグラビア特集の中に、「血まみれマリー」という題のテクストがあった。これは私の好きなカクテルである。ただしウォッカではなく、私の場合専ら、生粋の鹿児島産の焼酎と濃厚なトマト・ジュース割りである。
【“血まみれマリー”カクテルの話】
 血まみれマリーすなわちブラッディ・マリーについては、開高健と吉行淳之介氏による『対談 美酒について』(新潮文庫)が面白い。
 ウォッカは原料が芋類か穀類のホワイト・スピリッツで、連続蒸留機を使う。焼酎も同じ蒸留酒であり、単式蒸留機を使うのが乙類、連続蒸留機を使うのが甲類。それぞれアルコールの割合が異なる。酒税法上、焼酎は木樽で熟成したり炭層濾過で酒質を磨くことが禁じられていると、この本に書いてあった。したがって同じ蒸留酒なのだが焼酎は税法上ホワイト・スピリッツではないらしい。
 二日酔いに好いだろうと思わせるトマト・ジュースを装って、ウォッカにトマト・ジュース、さらには胡椒だとか塩だとかウスターソースだとかタバスコ、パプリカなどを入れるこのブラッディ・マリーを、台所で奥さんの目の前で飲む亭主。恐妻家の国アメリカで猖獗を見、全世界に流布された飲み物。
 “血抜きのマリー”という別のカクテルもあるらしいのだけれど、それにしてもブラッディ・マリーの名前の由来は、どうも謎らしい。諸説いろいろあって、この本ではヴラディミアというレストランのバーテンが作り出した説が紹介されている。ヨーテンの「ぐらまあ・ふおりいず」の方では、原作ジェームズ・ミッチェナーのミュージカル『南太平洋物語』に登場する同姓同名の人物云々が引き合いに出されていて、そこはかとなく酒にまつわるエピソードの面白さが感じられる。

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