人新世のパンツ論⑤―あなたの彼にいかがですか?

 昨年11月より不定期で開始したシリーズ「人新世のパンツ論」の第5回。このシリーズでは、男性下着のパンツとそれにまつわる言説を拾い集めていき、自己肯定感とおしゃれとの関係について紐解いていく。

 《あなたの彼はどんな下着をはいていますか。白? それとも柄物? 男物にもこんなに楽しいデザインがいっぱい。彼のために素敵な下着を選んでください》――。今から49年も前に、パンツのビジュアルを露骨に披露した雑誌があった。ファッション&ゴシップの女性週刊誌『女性セブン』昭和50年(1975年)7月2日号の企画記事「あなたの彼にいかがですか?」である。

 昭和50年(1975年)とはどんな年だったか――。
 子門真人さんの「およげ!たいやきくん」の歌は忘れられない。イントロを耳にするだけで、気持ちがほんのりとしてしまう。あの頃毎朝、テレビでこの曲が流れているのを聴き、そのたいやきくんが最後に釣られて食べられてしまう悲哀に、しみじみとしたものを感じ取っていたのだけれど、とにかくその年の大ヒット曲であった。それとは別に、日本有線大賞に選ばれた野口五郎さんの「私鉄沿線」もまた、耳に残る名曲だ。この曲で熱唱する野口さんのパフォーマンスも、あどけない幼少期の私の心をくすぐった。
 4月、ベトナム戦争終結。5月には英国のエリザベス女王とエジンバラ公フィリップ殿下が来日。7月、沖縄海洋博が開幕。沖縄の日本復帰から3年目のお祭り騒ぎ。来場者数はのべ349万人。
 佐藤純彌監督の映画『新幹線大爆破』もこの年に公開された。主演の高倉健さんの重苦しい表情、宇津井健さんの眉間にシワを寄せた怒りと煩悶。まさにその時代の雰囲気を表している。この歌も忘れてはなるまい。沢田研二さんの「時の過ぎ行くままに」(作詞:阿久悠/作曲:大野克夫)。戦後30年を迎えた昭和50年代の、人々の涸れきった風情を一筋のメロディでいい表していて、これも時代の鑑といえる。歌謡として傑作だった。
 昭和50年とは、端的にそんな時代であった。パンツの話に戻る。

あなたの彼にこんなパンツを

 「あなたの彼にいかがですか?」。《男性社員が着てみて実証「責任をもっておすすめします」》。下着を扱っている5社(菅谷、レナウン、B.V.D.、グンゼ、片倉工業)の若手男性社員たちが、自社の下着(パンツ)を穿いてモデルとなり、こんなパンツを彼氏にオススメします♡といったような、女性読者への商品宣伝を兼ねた、“パンツ試着姿”のモノクロ写真5カット。これは、『女性セブン』の愛読者に相当セクシュアルな刺戟的効果があったのではないか。写真の撮影者は、本誌記者の沢木力男氏。

 まずは、トップの写真から詳察していくことにしよう。
 ――大通りで裸姿となり、仲良く肩を寄せ合う株式会社菅谷(すがや)の男性社員3人衆。左からNさん20歳独身、Tさん23歳独身、同じくイニシャルTさん24歳独身。
 彼らが穿いているのは、当時菅谷と提携していたアメリカの老舗下着ブランド「JOCKEY」(ジョッキー・インターナショナル社)のパンツ。
 たかが下着、されど下着ということを思わずにはいられない。古今東西のアパレル業界に対しても疎かった私は、これを見て〈ふーん、ジョッキーというブランドのパンツなのね〉程度の感想しかなかった。しかしこれこそが、このパンツこそが、世界の下着史を塗り替える、そういう一大事件を巻き起こすあのジョッキーなのであった。その内容については、後で述べる。

 スリムな体格のNさん(左端)が穿いている「Yプリント・トランクス」――日本ではこれを俗に柄パンという――を見ても、やはりそのデザインは洗練されているし、49年前のパンツとは思えない。いま現在のジョッキーの、同じスタイルのコットン・ストレッチを見ても、この系統の定番のパンツとしては、もはやパーフェクトである。
 何も足さない、何も引かない…。
 サントリーのピュアモルト・ウイスキーではないが、実はそれが一番難しいことなのである。もう一度いおう。たかが下着、されど下着――。たとえ下着であっても、手を抜かないこと。老舗ならではの経験則が、それを実現し、勝利に値するのだ。
 ちなみにNさんが穿いていたトランクスの値段は、当時なんと950円。後々紹介することになるグンゼのトランクスの値段は、500円。国内ブランドのグンゼが当時500円だったのに対し、さすがはアメリカのブランドのパンツ。たしかに値が張っていた。
 参考までに、いま現在のジョッキーのコットン・ストレッチの価格は、29ドル50セント。1ドル100円以下だった十数年前の円高の時代から考えると、今では…うーん。パンツ一つで、ずいぶんと高級感に差が出る様相となってきた。ニッポン、大丈夫か? おしゃれなパンツを身につけるためには、銘品のスコッチ・ウイスキーを1本買うくらいの覚悟は必要なのである。

 それはそうと、“菅谷の3人衆”があけっぴろげに立っている(横断歩道で青信号中にササッと撮った感じがする)場所は、いったいどこの街の大通りであろうか。私は気になって仕方がない。
《下着はまず機能。逆Y字フロントは、そこから生まれたオシャレです。スイス製のトランクスは涼しさが伝わってくるでしょ》
 確かに、Tさん(右端)が穿いているパンツは、涼しそうで良い感じです。若者にぴったり。いや、そんなことよりも――。菅谷は、もともとメリヤス繊維加工の老舗会社であり、かつて東京日本橋にその店(本社?)があったようだ。頓所寅雄氏の『メリヤスを語る』(昭和11年/私家版)という稀少本が、菅谷の社史を解説していたりする。
 そう考えると、どうもこの大通りの写真、日本橋の馬喰町なのではないか。
 大手の雑誌記者であっても、訪問先の会社の社員をモデルにしてスチル撮りする仕事となれば、そこからそう遠くない場所を選んで手短に撮影するはず。そう、手短に。まさか、パンツ姿の男性の裸体を撮るために、わざわざ若者の街の渋谷のスクランブル交差点にまで繰り出して、「ここで激写しましょうヨ!!!」「そうっすね、ゲキシャっすよね!!!」 なんて応答する話には、ならないはずである。
 辛くて心が折れるような要件(抱え仕事)は、手短に、手短に――。そうよ、何も足さない、何も引かないだわ。人目を忍んで、こっそりと撮らせていただきますので…ま、なにぶんヨロシク。ちょろっとそんなことを口漏らして、まあこれ、モデル料といったらなんなんですが、ビール券です♡どうぞ、はい、今日はヨロシクお願いしまーす――というのが、この業界の常套手段ではないだろうか。おいおい、サントリーの山崎くらい持ってこいよ、という本音は、胸にしまっておかねばならない。
 話は片づいた。

クーパー・ファミリーの偉業

 1876年、のちにジョッキー・インターナショナル社となる創業者のサミュエル・スロール・クーパー(Samuel Thrall Cooper)氏は、ランバージャック(木こり)が穿いていた劣悪なソックスを改良すべく起業し、ミシガン州のセントジョセフに靴下メーカーを立ち上げた。S.T.クーパー&サンズ社である。
 やがてクーパー氏の子息らもビジネスに乗り出す。ストッキングのブランドの立ち上げをきっかけに、会社を移転し、男性下着の商品づくりに着手していく(これがクーパー・アンダーウェア・カンパニー)。
 当時の下着は、主にユニオンスーツ(全身タイツ的な、つなぎ型の肌着)だった。このユニオンスーツのブランド、ケノーシャ・クローズド・クロッチ(Kenosha Klosed Krotch)は瞬く間に売り上げを伸ばしたようだ。

 1929年、社名をクーパーズに変え、様々なスタイルの下着を商品化。1930年代になり、国内の大不況(世界恐慌)の煽りを食らう中、クーパーズ社の専属デザイナーで当時のセールス&マーケティングの責任者でもあったアーサー・ナイブラー(Arthur Kneibler)氏は、フランスから届いた1枚の「水着姿の男性の絵葉書」でひらめき、ブリーフ型の下着を開発したという。これがいわゆる「ジョッキー・ショーツ」である。1935年にこの商品は販売され、大ヒットとなった。
 さらにその直後、「Yフロント」(Y-fronts)のブリーフを開発し、販売。新しいブリーフのスタイルが次々と創り出されていった。
 これ以降、クーパーズ社は、世界各国の代理店やメーカーとライセンス契約を結び、ジョッキー・ブランドは世界中で知られるようになった。そうして1950年代後半には、新たな戦略でファッショナブルな下着にも着手。1961年、ヨーロッパ向けのローライズ・ブリーフが誕生。ロゴマークで知られる“ハーフボーイ”も、この時導入された。
 1972年、ジョッキー・インターナショナルに社名変更。
 創業以来、ジョッキー・インターナショナル社は、数々の革命的なインナーを生み出し、その功績の正当な評価は、近現代における「下着の文化史」を著しく上書きしてきたことで誉れ高い。これはアパレル業界の歴史的偉業といえるのではないか。
 以上、ジョッキー・インターナショナル社のウェブサイトから、その社史を紐解いた。

菅谷=ジョッキーの昭和のブリーフを体感

 大変貴重な体験をしてみたくなった。
 前回は、昭和のフクスケのブリーフを実際に試着してみたわけだが、今回は、昭和時代における菅谷=ジョッキー提携のブリーフ――「逆Y字フロント」(=「Yフロント」)――を穿いてみたのだった。まことに、それが運良く入手できたため、今回の試着に至った。

 JOCKEY SLIM GUY。
 パッケージには、発売元 株式会社菅谷、製造元 大和紡績株式会社と記されていた。傍らには《米国ジョッキー社と技術提携し日本で製造した商品です。ライセンシー 株式会社 菅谷》ともあった。正真正銘、本物の菅谷=ジョッキーのブリーフである。裏面にも、英語表記でコピーライト1984年、アメリカはウィスコンシン州ケノーシャのジョッキー・インターナショナル社云々とあり、日本の菅谷とライセンス契約を結んでいる旨の記載があった。

  • 若さを感じる低いウエストライン。
  • すっきりしたスタイルで活動的。
  • 良質ゴムを使用した丈夫で耐熱性にすぐれたウエストバンド。

 入手したブリーフのサイズはLで、実をいうと私の体格としてはMが好ましかったのだが、この場合は已むを得ない。しかし、穿いてみると、サイズの差にあまり違和感はなかった。ゴムによる締めつけ感も程よく、安定的だ。
 《下着はまず機能。逆Y字フロントは、そこから生まれたオシャレです》…。この文章がなければ、私はジョッキーのブリーフを入手して試着するには至らなかっただろう。なぜなら、最も興味をそそられたのが、「逆Y字フロント」だったからだ。

ブリーフにおける穿き心地とは

 男性がパンツを試着した時に、その感想を訊かれる「穿き心地はどう?」の意味は、実際のところ、ただ一つのことに集約されているといっていいだろう。すなわちそれは、局部の収まり具合のことだ。

 下腹部に突き出た性器を、覆い隠しつつ、どう収めるか。生地が包み込むその触覚的な良し悪し、甲乙というのが、男性が穿くパンツの肝となる。具体的には、2つの要点がある。
 一つは、「陰嚢」(いんのう。睾丸を覆っている袋状の器官)の収容性。いわばそこに卓球用のボールが2個、袋に包まれていると考えていいわけで、これを収容し、適切に保護しなければならない。
 もう一つは、「陰茎」(ペニス)の収容性である。おおよそその長さは収縮時で12センチ前後、太さは2センチほどで、これが勃起して膨張するとなれば、長さは15センチ前後、太さは3センチほどになり、基本的にはパンツの内部に、そのスペースが担保されていなければならないことになる。
 だがこれらは、生地の収縮性能と縫製上の兼ね合いがあるから、収容性=空間、隙間という単純な理屈ではない。また、この「局部の収容性」に関しては、生物学的女性が決して感知し得ない、男性性器ならではの触覚――その穿き心地における快適性や快感、不快といった感覚――も加味され、一筋縄ではいかぬ構造問題なのである。いみじくも、男性諸君においては、この「局部の収容性」の問題を抱えた、下腹部の身体的感覚としてのパンツ、いいかえれば、自身の所有物とパンツとの相性――が決まってくるのである。くり返しいうが、これは生物学的女性では感知し得ないのだ。
 ただしこれは、概ね、ブリーフを穿いた場合に限られる。トランクスにおいては、ニュートンの万有引力の法則に則って性器が全面的に「垂れ下がる」だけなので、「局部の収容性」の問題根拠は希薄となる。むしろ、トランクスの場合、パンツの支えとなる腰部のゴム帯の収縮性のほうが、重要になるといっていい。

逆Y字への危うい誘惑

 ジョッキーのブリーフを自ら穿いた時、その「逆Y字フロント」(=「Yフロント」)の形状及びその縫い目の絶妙な――これはもう絶対的に絶妙な、と形容すべき――曲線は、それ自体芸術的な曲線美である。

 本来的な機能は、そのフロント部分の折り重なった面の内部から「陰茎」をつまみ出し、小便をするためにわざと開け口となっているのだが、それだけの機能のために、なぜか、“逆Y字”の構造となったデザインであることに、私はあえて着目したい。
 “逆Y字”と一言でいっても、単にY字を逆さまにしただけの単純な形状ではないのだ。
 正面から見ればはっきりわかる通り、腰部のゴム帯の中央からストンと落ちていく太い縫い目は、まるで夜のハイウェイを緩やかにカーブするかのように絶妙に曲がっている。そのラインは、左太腿のあたりに行き着く。もう片方の太い縫い目は、先の中央の縫い目からより深い曲線を描き、右太腿のあたりに終着している。いったいこれは何なのか。

 より想像を膨らませてみようではないか。
 この“逆Y字”の、曲線美的な分岐ミステリーは、それゆえに審美的で、いかにも謎めいていて、不可解で、カミュの『異邦人』のような、楽観主義的人生の急落感に似ている。あるいは、ドラマティックな逢瀬のスキャンダラスなシークェンスを思わせる。
 例えばそれは、ウィスコンシン州のケノーシャの、律儀に合理的に整った主要道路を想像するものではない。もっと別の町の――そう、太陽が燦々と輝くフランスのサン=トロペの、海岸から程近い、サラン通りからピネ通りへと“Y字路”を折れ曲がった時のような、刹那な景観。その“逆Y字”…。もっとわかりやすい物語としては、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1958年)が相応しいだろう。スピードを出しすぎた恋人たちのドライビング・カーは、そうした不条理の果ての、干涸らびたモーテルへのいざないのようであり、それは、「自由と欲望」に満ちた《危険な享楽》への“Y字”なのかもしれなかった。

§

 というところまで。この話の続きは、次回ので。
 ユニオンスーツが男性下着のブリーフへと発展を遂げた経緯について、もう少し掘り下げてみたいのと、忘れてしまっているかもしれないが、「あなたの彼にいかがですか?」の掲載写真は、あと4カットもある。まだ菅谷=ジョッキー様しか紹介していないので、それ以外のレナウン、B.V.D.、グンゼ、片倉工業様のパンツ社員の方々の写真を、次回紹介することにする。

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