茨城の銘菓「水戸の梅」のこと

【水戸銘菓「水戸の梅」】
 たまらなく和菓子が食べたくなって、駅ビル内の菓子店に駆け込んだ。茨城名産の和菓子が並んでいる。迷うことなく「水戸の梅」を手に取った。「水戸の梅」は私の大好物の和菓子である。
 和菓子で好きな品を3つ挙げるとすれば、「水戸の梅」「吉原殿中」(この2つは水戸の銘菓)、そして山梨の名産「信玄餅」であろう。どれもこれも幼年の頃に初めて食べたのをきっかけに、すっかり大好物になってしまったのだけれど、そのうちの「水戸の梅」の印象は、かなり濃厚である。その頃たびたび何方かが、土産物として「水戸の梅」を持ってきてくれた。包装紙の絵柄の、梅の木を模した紫色が実に鮮やかで、私がこの世に生まれて初めて感応した紫色は、これなのではないかとさえ思う。紫は古代から高貴な色とされているが、私にとって紫と言えば「水戸の梅」の包装紙であり、その高貴なる色の連想は今も微動だにしない。
 買ってきた「水戸の梅」は、水戸に本社があるあさ川製菓のものである。創業は明治5年(1872年)という。この銘菓「水戸の梅」の由緒は諸説あるようで、製造元が二、三あるらしい。江戸時代の徳川水戸藩の記録にそのような菓子があってそれをもとに製造した、との言説もあれば、明治の県令によって考案製造したとの話もあり、なかなか銘菓の発祥に関しては歴史が入り組んでいてよく分からない。ともあれ、古くから水戸の名産の和菓子であることに変わりない。
【「水戸の梅」の紫色の美しい矩形】
 和菓子は見た目が大事である。あさ川製菓の「水戸の梅」は、良き色合いの紫蘇(しそ)の葉が実にしっとりとしていて、食欲を誘う。この矩形の造形の幾分丸みを帯びた美しさは、どこかで見覚えがある。――そう、思い出した。上野の博物館で見た国宝、尾形光琳作の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」ではないか。いわゆるそうした硯箱の工芸品の高貴でふくよかな重厚感が、この菓子の形からも感じられ、徳川三家・水戸藩由来の名産に相応しいとさえ思う。
 味は、さっくりとかみ切った紫蘇の葉の食感と餡の甘さが絶妙で、和菓子として類がない。強いて言えば桜餅の桜の葉における食感がこれに似ているが、紫蘇の葉によるさっくり感はもっと繊細で精緻だ。この美しい紫蘇の葉に包み込まれている中身は、白餡と求肥(ぎゅうひ)である。求肥とは、こねた白玉粉に水飴や砂糖を混ぜて練ったもので、小学生の頃、初めて家庭科の調理の実習をおこなった時食べたのが、白玉粉をこねて湯に熱してこしらえた「白玉団子」であった。その話はともかく、この白餡と求肥の風味からは仄かに梅の香りも漂い、いっそう美味さを引き立てている。
 この冬の季節、茨城の空っ風というのは身に応ずるのがさすがに辛い。耐えがたき寒烈な強風が田園地帯を吹き抜けていく。私はこれを“田園海峡”と心に呟く。田園海峡で冷えた身体が悲鳴を上げ、この時期、どうしても甘い和菓子が食べたくなる。まったく「水戸の梅」は菓子にして風光明媚。とても美しい。いみじくも茨城県の質実剛健な気風をよく表した銘菓に違いない。

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