トリックスターとマウイの話

【WWFジャパン『地球のこと』2017年春号】
 WWFジャパン(公益財団法人 世界自然保護基金ジャパン)の会報誌『地球のこと』2017年春号「いきもの徒然草」のコラムで、「創造と混沌の使者」を読んだ。単に動物絡みのコヨーテの話かと思いきや、そうではなかった。なかなか奥が深い、そのコヨーテに悪戯をして生活を一変させてしまった“トリックスター”の話である。それって何者?――私はこれを読んで初めて“トリックスター”という存在を半ば理解した。“トリックスター”にはたった一つ、思い出がある。
 言うなればそれは、私が20代の演劇時代に、血気盛んな仲間がパフォーマンス集団を作り上げ、“トリックスター”というユニット名で演劇公演をおこなった旨の思い出である。既に彼らとは袂を分かち、別の劇団を結成していた私は、旗揚げのご祝儀的な意味合いで彼らの公演を観に行った。ファンタジックなマンガやアニメの世界を重んじていた彼らの、やはりちょっと風変わりな、メルヘンでコミカルな劇の内容だったのだけれど、彼らのやりたい世界観は漠然と感じ取ることができた。そうして“トリックスター”の演劇は、実に彼ららしく、一回ぽっきりでやめてしまったようである。
 そんな彼らのユニット名をずっと憶えていた私は、“トリックスター”の本質的な意味を曖昧模糊にしたまま、20年の歳月を通り過ぎてしまっていた。コラムの「創造と混沌の使者」を読んで、ようやく気がついた。“トリックスター”の意味が分かり、アメリカ先住民の神話での、そのコヨーテの話に思わず目から鱗が落ちたのであった。と同時に、かつての“トリックスター”の意味ありげで奇妙なファンタジーのなんたるかについて、その溜飲を下げることにもつながった。
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【久保田麻琴プロデュース『asia blue』】
 演劇時代のやや後期、宮本亜門演出のミュージカル「熱帯祝祭劇 マウイ」(1995年)のサントラCDを友人からもらったことがある。それはたいへん素晴らしいサウンドの、久保田麻琴プロデュースのアルバム『asia blue』で、言わばポリネシアの民俗楽器によるリズムや独特な節のメロディ、熱帯のジャングルを思わせる自然音的効果(=SE)が絡み合った、その内実、久保田氏らしいアプローチで骨太なリズムと和声を聴かせる珠玉の音楽集であった。このマウイというのも調べてみるとどうやら、“トリックスター”らしいのだ。
 あらためて“トリックスター”の定義を書いておこう。先の「創造と混沌の使者」では、このようにそれをとらえている。

《それは、奇矯な振る舞いで、人々の常識や価値観を破壊する存在である。世界中の神話や伝承に登場する彼らは、道化であり、同時に、旧い存在や観念を一新する、英雄としての側面を持つ》
(『地球のこと』2017年春号「いきもの徒然草」より引用)
 また国語辞典で意味を調べると、“トリックスター”は詐欺師、ペテン師ともある。《破壊》と《創造》の二面性をはらんだその存在は、「熱帯祝祭劇 マウイ」におけるマウイ神伝説と重なる。先のコヨーテの話にしてもマウイ神にしても、その地域の根源的な成り立ちに関わる古い民間伝承であり、常に世界は“トリックスター”の存在によって揺れ動かされているという観念的な、研ぎ澄まされた感覚(五感の知恵と言うべきもの)の憑依に近いかも知れない。
 久保田氏の音楽にまつわる話で、こんなのをずっと憶えている――。
 彼がやはりポリネシア地域のあるレコーディング・スタジオでレコーディングをおこなっていると、ミキサーのアンプ部がとてもいい音を出していることに気がついた。それは何か特別な、いい音。ところがある日、同じスタジオのミキサーで作業を続けていると、あのいい音がまったく聴こえてこないのでびっくりしたのだ。よくよく原因を探ってみると、そのスタジオのミキサーはどうも事前にメンテナンスをおこなっていて、アンプ部のパーツが最新のものに置き換わっていたらしい――。
 あの「何か特別ないい音」が、皮肉にも最新のパーツでは感じられないと知った久保田氏はショックを受けた。音楽を思考するうえで、何が大事であるのかを明解に示した彼のエピソード。私はこの話を忘れることができない。
 音楽の世界では、場合によっては科学では解明できないオカルト的な話がうじゃうじゃとあるが、その時のメンテナンスをおこなったエンジニアこそ、まさに“トリックスター”だったわけである。

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