夜の夢の銘酒―御慶事

【茨城県古河市の地酒「御慶事」】
 地元、茨城県古河市の地酒「御慶事」で一人酒を嗜む。近所の酒屋におもむくと、これまたいかにも酒の好事家の親爺さん(店のご主人)がいて、業務用の冷蔵庫から新聞紙にくるまれた「御慶事」の瓶を取り出してきて、しばし酒談義をする。その間、銘柄が見えずとても謎めく。酒の話をする時の、この親爺さんのうるうるとした瞳と甲高い声が、その美味さを想像させる。そんな時の私は、親爺さんの話などほとんどもう耳に入らず、今宵の酒の肴は何にしようかしらんということで頭がいっぱいになる。ともかく、どんなに気の利いたテレビ・コマーシャルやポスター広告だろうと、この親爺さんの笑顔のそれには、かなわない。顔を見るだけで酒が呑みたくなる。
 「御慶事」特別本醸造の美味さは申し分なく、程よい辛さと甘さのバランスが絶妙で、肉だろうと魚だろうとパスタだろうと、酒の供となる膳は選ばない。蔵元は古河市の、天保2年創業の青木酒造である。青木酒造株式会社は本町2丁目という所にあるのだが、この近辺がまた私にとっては懐かしい場所で、当ブログ「『魚の賛歌』の時代―古河市公会堂というファンタジア」で書いた、かつて私が演劇をしていた頃に毎週訪れていたあたりなのである。稽古が終わった夜、大きなイチョウの木の下の、細い脇道を通り過ぎるその真横は、青木酒造の裏手になるのだった。ここより少し歩いた所には別の小さな酒屋があり、今でこそ「酒造」と「酒屋」を道々目にすると思わず、気持ちが高鳴ってしまう私でも、まだ20代のあの頃は、ただひたむきに演劇と音楽に夢中になっていただけの、ある意味つまらぬ余白のない男であった。
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 ただし酒というのは、どんなアルコール度数の酒であろうとも、ちょっと疲れただけでは済まないストレスを感じる時や、悲しくてズタボロな気分の時には不味くなるので、だいたいそういう時は呑まない。逆に、突然の祝い事や嬉しいことがあった時、あるいは何か日常の中で明るい兆しが感じられる時に呑む酒は、天から花吹雪が舞うかの如く、すこぶる美味いのだ。また私は、酔い潰れるような深酒は好まない。
 普段ウイスキー党を自負する私の、ささやかな日本酒へのこだわりというのは、本当に大したことではない。なんとなく「御慶事」に限っては、地酒ということもあって、その愛着感が一肌分、他の酒よりも熱い。「御慶事」の大吟醸(平成28年度全国新酒鑑評会で金賞受賞)をつい最近親しい方に贈呈品にもしたが、自宅の冷蔵庫にどういうわけか1本、「御慶事」をストックしておかないと落ち着かないのだ。それがまた手頃な値段の特別本醸造なら尚いい。茨城県産の米「日本晴」を100%使用し、精米歩合は60%以下。酒を褒める言葉で“淡麗”(たんれい)というのがあるが、そういう感じである。
 私はいつか、この「御慶事」に併せて、茨城県産の落花生を肴にして口にしてみたいと夢想している。これがなかなか、簡単なようで実現していない。
 落花生は横綱・稀勢の里の地元である牛久市が産地らしいが、県西にいる私のところには、どうもそのあたりの落花生が届かないというか店に並んでいない。落花生畑から掘りだした実を乾燥させるべく、こんもりとした山のように積み上げた状態を「ぼっち」という。この「ぼっち」もまた、秋の田舎の(茨城の)美しい風景になるのだろう。大好物の落花生、しかも茨城県産のそれを「御慶事」でいただくというのは、私にとってちょっと贅沢な、いつかいつかと心待ちにしている夜の夢なのである。

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