永瀬正敏の私立探偵・濱マイクのこと

【雑誌裏の広告の鮮烈なる永瀬正敏】
 カラカラに渇いた喉を潤すには、好きなサブ・カルチャーを一口ゴクリと飲めばいい。そのあとで、充分に時間をかけ、精進し、培養する。若かりし頃のそれは、同調した輩と時間を忘れつつ語り合うことが本当に愉しかった。けれど、年を取れば取るほど、仲間はいなくなり、語り合うことは激減する。それでも尚、嗜好へのひたむきさの純度だけは増してくるように思える。そんなサブ・カルチャーとは《孤独》なものなり。
 「私」のサブ・カルチャー論。その本質的な定義は、人それぞれ千差万別だろう。まっとうな路上の正面から視界が外れた、いわゆる汚れた側溝の、しつこく黒ずんだコケから生えてくる《雑草》。普段は誰にも目にとまらない。そうでありながら、闇夜にこっそり立ちションをするおっさんや、泥酔して側溝に嘔吐する若者達には時折、視界に入り込む。いま私はそうした《雑草》を目撃する瞬間を体験したかのように、一冊の雑誌をのぞき込んでいる。
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【『Weeklyぴあ』1995年3月21日号】
 強烈なインスピレーションを感じた――。つい最近になって、とある古書店で入手した雑誌、『Weeklyぴあ』(ぴあ株式会社)の1995年3月21日号。この手の雑誌には、あまねく多くのサブ・カルチャーが詰まっている。それを見つけ出すのが面白い。そうして私の渇いた喉は、嗅覚と直感を伴い、一人の若かりし俳優を発見した。永瀬正敏である。
 たいへん恐縮してしまうことなのだけれど、私は永瀬正敏という俳優に、これまで一度も関心を持ったことがなかった。私より歳が七つ上で同じB型である。デビュー作の相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』(1983年)以降の彼の芸能活動については、メディアで時折眼に映り、広く人気がある俳優であることは百も承知だけれども、いかんせん私の関心事の中では、“一人の日本人俳優”という認識に過ぎなかった。
 ところが、このあいだ、山田洋次監督の映画、寅さんシリーズの第45作目『男はつらいよ 寅次郎の青春』(1992年)を観て、はっとなって気がついたのだ。鮮烈なまでに、永瀬正敏という俳優の、稀有な存在感を――。こうした時代錯誤な遅かりし発見で、以前からの生粋のファンからはどやされそうな瑣事ではあるのだが、その雑誌『Weeklyぴあ』で、彼の当時の最新作であった、林海象監督の映画『遙かな時代の階段を』劇場公開云々の記事を目撃し、えらく私は興奮するに至ったのである。
【映画欄『遙かな時代の階段を』】
《「我が人生最悪の時」に続いて登場する“私立探偵濱マイク”シリーズの第2弾。再びハマリ役に挑んだ永瀬正敏が、いなせな存在感を発揮して体当たりの熱演を披露する。モノクロの前作から今回はカラーへと変わり、港町“ヨコハマ”の風景をムードたっぷりに描写。林海象のスタイリッシュな演出にも期待!》
《Story●横浜、黄金町に有名な熟女のストリッパーが帰還。この時から、私立探偵マイクは何故か冷静さを失ってしまう。そんな折、川で謎の殺人事件が勃発。その背後には“白い男”と呼ばれる、川一帯の利権を支配する大物の存在が見え隠れし……》
(『Weeklyぴあ』1995年3月21日号より引用)
 私のサブ・カルチャー熱が沸点に到達する。私立探偵・濱マイク!この映画を是非観てみたいと――。
 ふと、雑誌の裏を見たら、そこにも何故か永瀬正敏がいた。彼起用のビジュアル広告で、エマルジョンの香りが漂うかのようだ。奇妙なことに、この雑誌一冊がまるで、まるごと永瀬正敏で染まっているかのような錯覚に陥ったのだが、これだけではない。この私立探偵・濱マイクの最新作のロードショーにちなんだ展覧会が、渋谷PARCOでおこなわれていたようであり、その小さな記事もまた印象に残った。
【私立探偵・濱マイクの展覧会記事】
 ここに記載された映画のスチルは、まるでイタリア映画のフェデリコ・フェリーニかソ連のタルコフスキーか、あるいは『月世界旅行』のジョルジュ・メリエスか。はたまたATG映画(日本アート・シアター・ギルド)かといった雰囲気を醸し出し、ともかくこの映画シリーズを拝見しなければ気が済まなくなった。焦る気持ちを抑えつつ、私は、この劇場映画シリーズのDVDボックスとやらを入手した――。
 ということで、私立探偵・濱マイクについてはいずれまた、ご報告したい…。

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