水曜ロードショー―少年は夜の映画に花開く

【“ダルマ”。父がよく飲んでいたサントリーのオールド】
 イタリアのトランペッター、ニニ・ロッソの奏でる「水曜日の夜」(“Wednesday Night”)は、知る人ぞ知る、かつて日本テレビの水曜夜9時に放送していた『水曜ロードショー』の“オープニング・テーマ”であり、その曲が流れると、〈おお、これから映画が始まる!〉と、子供心にもしみじみとその情趣を味わったものである。
 これほど、映画というものにそこはかとない親しみと愛着を覚えさせるメロディはない。ニニ・ロッソのトランペットの、そのやさしく柔らかな音色が、夜のしじまに浸透し、これから始まる映画――フィルムの明滅の淡い痕跡――を網膜に刻み込もうとする心に、酒に似た一滴の快楽がそそぎ込まれるのであった。
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『水曜ロードショー』の解説者は、口髭を生やした水野晴郎氏である。その口調は軽妙でそぞろ流暢であった。この番組は1972年の4月にスタートし、1985年の9月まで約13年続いた。途中、他の解説者と交代した時期もあったようだ。ちょうど中学1年生の時、番組が終了した時のことは憶えている。なんてことはない、その翌月から、金曜日の夜9時に移行し、番組名が『金曜ロードショー』に代わったまでの話である。水野氏の「いやあ、映画って、ほんとうにいいもんですね」の締めくくりの言葉は、かつて日本人のほとんどが耳にした、名調子であった。
 私の父も、『水曜ロードショー』のファンであった。父は洋画好きで、あの頃、ほとんど欠かさず毎週『水曜ロードショー』を観ていたのではなかったか。風呂から上がると、テレビの前のテーブルの傍らには、サントリーのオールドと酒の肴が盆の上に置かれてあって、それをちびりちびりと口に含みながら、吹き替えの映画を愉しんでいたのだった。
 そんなことを思い出した――わけである。最近私は、ニニ・ロッソの「水曜日の夜」をCDで何度も聴く機会があって、あの頃の茶の間の風景がよみがえってくるのだった。『水曜ロードショー』が始まった初期の時代(70年代)のことはあまりよく憶えていないが、確かに小学生の頃(80年代以降)は、父と同様にして、私も毎週よく観ていたのである。ただし、同じテレビで観ていたわけではなかった。
 その頃の水曜日というのは、夜に、少年団の剣道の稽古があったので、それが終わって帰宅し、夕食を取ってしばしくつろいだ頃合いに、『水曜ロードショー』が始まるのだった。次の日の木曜日は、図工の授業が2時限ある。他の教科の授業が比較的少ない。だから、寝不足になっても何の問題もなかったのだ(と少年はそう信じていた)。木曜日の学校はゆるい――。その思考がかえって、水曜日の夜の映画の時間をたっぷりと堪能できる理由ともなっていた。たとえ就寝が23時を超えたとしても、へっちゃらだい――。『水曜ロードショー』は、まだ幼い少年であった私にとって、大人の世界への、“映画狂”の基礎をつくる恰好の教養番組だったわけである。
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 では再び今、『水曜ロードショー』の雰囲気を味わってみようじゃないか。ニニ・ロッソの「水曜日の夜」をプレーヤーにかけて聴き、ある映画のDVDを視聴した――。
 選んだのはチャップリンの『モダン・タイムス』(“Modern Times”)であった。ネットで調べてみると、この番組で『モダン・タイムス』が放映されたのは、1981年の7月29日だそうである。つまり、私が小学3年生の時であり、夏休み期間中でもあった。確かにあの頃、無類の喜劇王チャップリンの映画を、私は貪るようにどれもこれも観ていたはずだけれど、もしかすると本当に、『水曜ロードショー』で『モダン・タイムス』を観、番組最後の水野氏の甲高い声の解説調を聴いた――のかも知れないのだ。

ただし今は、傍らに、サントリーの“ダルマ”ことオールドがある――。ここが、あの頃とは違うのだ。それは風景の飾り物としての酒ではなく、私が今まさに五感の快楽として味わうための酒であった。むろん、あの頃とは何もかもが違っている。世の中も、私自身も、映画に対する好奇心の度合いも、あれもこれもすべて違うのだけれど、父が昔好んで飲んでいたオールドを自ら飲みながら、全盛期を過ぎたチャップリンの傑作映画を観るというのは、遠い記憶への浪漫飛行であり、それ自体が快楽なのであった。ここで観た『モダン・タイムス』についての感想は、別稿で述べることとする。

【「水曜日の夜」が収録されたニニ・ロッソのベスト盤CD】
 1985年10月に番組名が『金曜ロードショー』になってから――すなわち放送が水曜日の夜から金曜日の夜に移行してから――数年後、私は地上波のこの番組を、ほとんど観なくなっていった。画面に登場する水野氏が嫌いになったわけではない。とどのつまり、『刑事コロンボ』や『エイリアン』や『マッドマックス』は地上波で“流れる”が、映画の中には、エスタブリッシュメントが嫌がるような、公共という大義名分のもとに選別されてしまう、いわゆる“流せない映画”が存在することを、中学生あたりの頃から察知してしまったわけである。
 やがて高校生くらいになると、旧アナログ方式のBS放送だとか、WOWOWといったまったく新しい映画狂の“体制”が生まれ、そこでは比較的、そうした“流せない映画”が流れてくるようになったのだった。象徴的によく憶えているのは、WOWOWで放映された映画『ポンヌフの恋人』(“Les Amants du Pont-Neuf”)であり、この映画はさすがに鮮烈であった。監督はレオス・カラックス。主演はドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ。1991年のフランス映画――。こういった内容の映画は、“水曜ロードショー”的には、無理――なのに違いない。たとえ無理を押し切って放送したとしても、映画の底流にある感覚的なものを水野氏独特のアドヴァンテージで茶の間に伝えることは、できないであろうし、やるべきでもない。
 父がオールドを飲みながら観ていた、あの頃の『水曜ロードショー』が懐かしい。水野氏が番組の終わりで「いやあ、映画って、ほんとうにいいもんですね」と呟き、「それではまた、ご一緒に楽しみましょう」と別れの挨拶で番組が閉じられる時、また新たな1週間が始まるのだ、という少々重苦しい気持ちを抱く少年の、明日への《希望》と、映画という遙か彼方の桃源郷の《夢》とがあった。その《夢》は、今も見続けていることに変わりはない。
 父は早起きであった。しかし、朝になってもぽつりと残ったオールドのグラスが、昨夜の名残を想起させ、物悲しかった。そうした風景が、今も心にしみる。ニニ・ロッソの「水曜日の夜」を、もう一度聴こうと思った。

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