【シチリア風ピッツァの生地にはセモリナ粉が…】 |
新型コロナウイルスのパンデミックによる“コロナ禍”は、日常生活のあらゆる営みを執行停止状態にしかねない――。少なくとも心理的影響は計り知れなかった。そうしていつの間にか、日常における由々しき事態に片足を突っ込み、人々が今まで見たこともない別世界の扉の鍵穴を覗くことになっていく。あるいはどうであろう。小説『ペスト』を書いたアルベール・カミュが、この現代に生きていたとしたら、どのような世界観を吐露するであろうか。ある人は言う。もはや、この世界はカミュの域を通り越して、カフカ的不条理な世界なのだと――。
こうした不可抗力性に帯びた日々の中で、明と暗を行き来する心持ちが続くのであるが、ここは心情として明の部分を多く綴りたい。私が最近、リー・モーガン(Lee Morgan)のジャズに傾倒してしまった経緯について、それがどんなきっかけであったかを述べることにする。
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その日注文したそのピッツァは、シチリア風のピッツァであった。チーズはゴーダやパルミジャーノ、モッツァレラ。可愛らしいアンチョビは宮城の石巻産。そのほかケイパーやオリーブがたっぷりと盛られ、大きさは約20cm。このさほどでもない分量のピッツァを独り占めしてぺろりと平らげたところから、リー・モーガン酔狂への道程は始まったのだった。あいにく残念なことに、グレカニコのワインはここでは飲まなかったのだが…。
アンチョビとケイパーの風味が濃厚なシチリア風ピッツァは、口の中に異国情緒の味が拡がった。「ほう、このピッツァは大人向けだね」と独りごちる。生地の香りがまた独特なのに気がついた。この香りは――。ふつうの強力粉の香りではなかった。どうもそれは、セモリナ(semolina)の強力粉が混合されているらしかった。
【mas氏のブログより。2010年2月12日付「建国記念日はセモリナ記念日」】 |
ちょうど10年前になる――。カメラや音楽、雑貨などのサブカルで私淑しているmas氏(当ブログ「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈一〉」参照)が、自身のブログで綴っていた“手料理日記”があった(現時点ではまだウェブ上に存在していた)。それまでカメラや写真中心のブログだったのが、いつの間にか削除され、ほとんど料理のトピックスだけが残されたブログであった。私はあの頃、それをよく見ていたのである。
日付は2010年2月12日。「建国記念日はセモリナ記念日」という見出しの投稿。ここに、イタリアのセモリナの強力粉が登場する。
mas氏はその文章の中で、セモリナ粉は《イタリアの黄色い強力粉》とぶっきらぼうに書いている。が、これだと少々誤解が生じてしまう気がする。
何故ならセモリナ粉とは、硬質のデュラム小麦を粗挽き(=セモリナ)した粉という意であり、黄色いのは胚乳なのであった。だから別にセモリナという穀物を使った粉という意ではない。デュラム小麦をセモリナ(=粗挽き)にした粉は、小麦粉のうちの強力粉に分類される。強力粉は、薄力粉などの小麦粉よりもグルテンの量が多い。強力粉の主な用途として、パンやピッツァ、餃子の皮などの生地を作るのに使う。
その日のブログではmas氏は、雨の降る鬱陶しい“建国記念日”に、朝から料理に明け暮れ、セモリナ粉(=デュラム小麦の強力粉)を使って夕食のためのタリアテッレを仕込むのだった。彼は図書館からジェニー・ライト及びエリック・トゥルイユ共著の料理図鑑『ル・コルドン・ブルー クッキング・テクニック』という本を事前に借りていて、それを読みながら作るのだ。昼には近所のスーパーで魚介類を買ってきて、タリアテッレと絡めるべく、家族からの適切な提案を受け入れて決断する。
午後は、セモリナ粉を使ってピッツァの生地を仕込む。これまたたいへん手間のかかる作業であったに違いない。夕方になって、朝方こしらえたパート・ブリゼ仕込みのソルト・クラッカー(午後のおやつ用)で使用した残りの全卵をロールケーキの材料とし、ミニ・バナナ・ロールケーキとして完成させる。
夕飯は、トマトソースに絡めた魚介のタリアテッレとセモリナ粉を使ったピッツァ。そう、急場で思いついたロールケーキも――。ブログにアップされた4点の写真画像がその時の料理を示しており、家族団らんの雰囲気がなんとなく伝わってくるから、懐かしく今見ても心が和む。
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ところで――。mas氏が図書館から借りてきた《図鑑のような》本。プロトギャラクシーから1998年に出版された、大柄で分厚い本『ル・コルドン・ブルー クッキング・テクニック』(東京校が監修)は、もはや図鑑本と称して構わないと思う。確かにこの本には、mas氏が参考にしたはずの、パスタ生地をタリアテッレにする保存法などが記されており、mas氏の文章からもそれが分かる。ただし、写真画像にあるパスタは、束ねて巣形に丸め込んでいないので、どういうわけだか、mas氏のご愛嬌の加減が面白い。
朝のうちの作ったとされるソルト・クラッカーのためのパート・ブリゼ仕込みについても、この本にはしっかりと記されている。料理の図鑑本であるこの本を読めば、パート・ブリゼの、小麦粉とバターの絶妙な調理法の芸術を知ることができるだろう。ちなみにこの本の「クロカンブッシュ」のカラー写真は、圧巻すぎてあまりにも素晴らしく、言葉が出ない。「クロカンブッシュ」の写真を子どもたちに見せようものなら、絶対に、やってやってー!とせがまれるに違いない。しかしながらこの「クロカンブッシュ」は、料理のド素人が簡単にできる代物ではないのだ。
話が一向に、ジャズに、リー・モーガンにつながっていかない。
ペット吹きのリー・モーガンが、渋い演奏を聴かせてくれるブルーノート・レーベルの1965年録音のアルバム『The Rumproller』の1曲目「The Rumproller」は、mas氏の愛娘さんがまだ幼児だった頃に好んで踊っていたらしい――という話を含めながら、個人的にも大好きなリー・モーガンのサウンドについて語ってみたい。
ともかく、ピッツァからジャズへ…。次回に続く。
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