【タケカワユキヒデ率いるゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」】 |
幼年時代に“英語の混じる歌”を違和感なく歌えたのは、姉のおかげである。
まだ保育所に通っていた頃、テレビドラマ『西遊記』(主演は堺正章、夏目雅子、岸部四郎、西田敏行)のエンディングテーマ「ガンダーラ」(1978年)が好きで、姉に頼んでスーパーのレシートの裏に、歌詞を書き留めてもらったことがある。
“In Gandhara,Gandhara”“They say it was in India”の英詞の部分は、“イン ガンダーラ、ガンダーラ”“ゼイ セイ ワズィ インディア”といったようにカタカナに置き換えて書いてもらったので、すらすらと歌うことができた。「ガンダーラ」は、タケカワユキヒデがヴォーカルの、70年代に大人気だったプログレ・ロックバンド、ゴダイゴ(GODIEGO)の名曲である。
「ビューティフル・ネーム」のこと
つい先日、母校の小学校の卒業アルバムを処分した。いわゆる“断捨離”(だんしゃり)である。過去の同級生との連帯感を引き留める、貴重な資料資産ではあったが、もはやその旨味はなくなった。というより、既にとっくの昔に形骸化していたともいえる。
卒業アルバムは、学校の思い出の記録だから――。
そんな頑なな心情を、ずっと持ち続けていたように思う。しかし、最近、その心情がほどけてきた。〈10代の学生時代の記録は、もう必要ないのではないか。人生の半分を過ぎたのだから、こういったものは果断に処分していかないと、これからの生活が行き詰まる〉――。小さな国である日本では、これからどんどん生きづらくなるに違いない。
日本という国に限らず、「住まう」ことの価値観や観念を、180度変えていかなければならない時代かもしれない。物持ちの負担が大きくなる一方では、身動きが取れなくなる。移住という選択肢を残すために。むろん、物持ちの問題よりも、学校の記憶・記録そのものが、私にとってもはや、遠い観念のものとなって、一言でいえば、どうでもいいことになってきたのだ。
そういった話はともかくとして――。小学校の卒業アルバムを久しぶりに開き、1年生の頃にゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」という曲が流行ったのをふと思い出したわけである。
【国連郵政部発行の「国際児童年」切手①】 |
「ビューティフル・ネーム」――。1979年4月1日にシングルのバイナル(EP盤のレコード)が発売されている。
《今日も子どもたちは、小さな手をひろげて 光と、そよ風と、友だちを呼んでる》
《名前、それは燃える生命 ひとつの地球にひとりずつひとつ》
(ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」歌詞より引用)
いまあらためて聴くと、実にノリやすいリズムで明るく快活的で、伸び伸びとした雰囲気の素晴らしい曲だと再認識した。
この曲にも英詞の部分が出てくる。《Every child has a beautiful name A beautiful name,a beautiful name 呼びかけよう名前を、すばらしい名前を》――。
誕生日前の6歳の、1年生だった当時、既に「ガンダーラ」の歌を通じていたから、ほとんど違和感なく「ビューティフル・ネーム」も自分自身で歌えたのではないだろうか。
ただし、この曲がいったい何であったか、つまり、どういう目的でシングルが発売されたかについては、残念ながら当時よく理解していなかった。バイナルにしっかりと、それは公式ロゴと共に記載してある。「‘79 国際児童年協賛歌」――。今ようやく、そうだったのかと納得した。「国際児童年」(International Year Of The Child)であったのだ。
【国連郵政部発行の「国際児童年」切手②】 |
「国際児童年」とのつながり
当時発売された記念切手を閲覧しながら、「国際児童年」について解説しておく。
まずはごく有り体に、Wikipediaを参照してみた。「国際児童年」(IYC)はユネスコが、1979年1月1日に国連事務総長だったクルト・ワルトハイム(Kurt Josef Waldheim)氏によって署名され、宣言。ワルトハイム氏はオーストリアの政治家で、1972年から81年まで国連事務総長をつとめ、86年にはオーストリアの連邦大統領となっている。かつてナチス突撃隊(Sturmabteilung)の将校でもあった。
ロゴマークの形容が、その目的を端的に示している。手を伸ばした子どもを、大人が抱きかかえているというのか、包み込んでいるように見える。実にわかりやすい秀逸なロゴマークだ。
「国際児童年」について、記念切手を発行した国連総務局国連郵政部の文章には、以下のような目的が記されていた。
①児童福祉を充実させるための枠組みを作りあげること
②世界中の児童、特に児童対策が遅れている国々の児童が何を必要としているかについて認識を高めること
③児童のためのプログラムは国家の経済社会開発計画の一環として行うべきだとの考えを促すこと
④もっとも傷つきやすい、不利な立場にある子どもに特別の注意を払いつつ、児童のための活動をいつまでも続けられるようにすること
⑤「児童の権利についての国際連合宣言」採択20周年を記念し、その原則を再確認し、支持すること
別のテクストにもその目的が要約されていた。第一に、児童福祉についての関心を高めること。第二に、児童のための計画が、経済社会開発計画にとり、不可欠であるとの認識を深めること。
国連郵政部が発行した記念切手は全4種あり、スーベニア・カードも発行している。発行日は同年5月4日。15セントと31セントの切手のデザインは、“幸福な児童”を表しており、ポーランドのH.マツゼウスカとK.タルコウスカ・グルゼカによって描かれた。80サンチームと1フラン10サンチームの方は、“全人類の子どもたち”を表していて、イスラエルのA.グラザーによるもの。写真グラビア版式の印刷は、スペインのヘラクリオ・フールニェール社である。
国内の郵政局で発行された「国際児童年」の公式記念切手もある。
発行日は同年8月1日。50円の4種。「宇宙遊泳をする女の子」と「宇宙遊泳をする男の子」。こちらも版式は写真グラビア。この切手の原画作者は、イラストレーターの真鍋博氏である(当ブログ「『洋酒天国』と律儀な真鍋氏」参照)。
【国内で発行された「国際児童年」切手。デザインは真鍋博】 |
§
ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」は当時、NHKの「みんなのうた」でも使用されたという。映像が残っていないか調べてみた。
残念ながら、探し出すことができなかったが、その年の「紅白歌合戦」に出演したゴダイゴが、「ビューティフル・ネーム」を披露としている貴重な映像は観ることができた。つまり、「国際児童年」である79年の、最後のパフォーマンスだったわけである。
むろんそれ以降この曲は、誰からも愛され続け、さまざまなアーティストが歌い継いでいる。
1989年、「児童の権利に関する条約」(United Nations Convention on the Rights of the Child)がユネスコで採択された。「ビューティフル・ネーム」も各種記念切手の発行も、子どもたちや大人たちにも愛され、条約採択の機運に大いに貢献したであろうことは想像できる。
つくづく肝心なのは、言葉の説明以前に、真心(まごころ)である。
追記:まことに恐縮ですが、私と同年代と思われる方のブログで、やはり「ビューティフル・ネーム」と「国際児童年」について書かれている投稿を発見したので、ご紹介しておきます。2014年10月9日付のワールド・ビジョン・ジャパンの浅野恵子さんの執筆「25歳の「子どもの権利条約」 1979年、うたわれたメッセージ」です。私も昔、WVJのボランティアに参加したことがあります。こちらもぜひお読みください。
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