真昼の心霊写真

【写っているのは美しい女性なのか?】
 思いがけず、身の回りの物品の“断捨離”(だんしゃり)などをして、かつて思い入れのあった品々をざっくばらんに処分したりしたのだが、その勢いに煽られて、ちょっとばかり大きな所有物を処分するまでに至った。先月の話である。
 書類を揃えなければならないとなって、役所に行き、印鑑登録証明書や戸籍謄本(必要な目的によって種類がいくつかある)を作成してもらった。そうしてなんとなく、自分の家族の出生だとか入籍だとか除籍だとか、あるいは死亡日だとかの仔細の記述を眺めたりして、血縁者の脈々とした「生」の痕跡に、感慨深げな思いに駆られてしまった。
 そもそも“断捨離”とは、個人の念に隠っている、ある種の「煩わしさ」をともなう思い出を、ばっさりと処分することに意義がある――と思っていたのだが、どうもこうして“断捨離”を決行すると、あからさまにそれらの人間関係の「煩わしさ」をともなう思い出が、記録と共に剥き出しとなって、かえってその念がより明瞭に、記憶として再印画されてしまった感があり、この一旦剥き出しとなった鮮明な記憶を、もう二度と振り返ることができなくなるほど不鮮明な記憶となるまでには、さらにまた永い月日が必要なのではないか――ということを、感じたのである。はて、個人の念とは、いったいなんなのだろうか。

正月早々心霊写真におもむく

 新しい年。2023年もまた、嗜好に寄った心霊写真集の話題にとりかかろうではないか。
 今回紹介する2点の心霊写真の所収は、二見書房“サラブレッド・ブックス231”の、中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』(1982年初版)である。この本にふれるのは、昨年の7月以来となる(『地縛霊 恐怖の心霊写真集』)。
 私が小学生の時に初めて耳にした、“ジバクレイ”という言葉の響きの怖ろしさに、今ではすっかり愛着すら感じられる。前回同様、その本の表紙にあるおどろおどろしい文面を、再記しておくことにする。
《中岡俊哉編著―怪奇異色写真集好評第5弾
死後の世界が写った!
死してなお現世に想いを残す
亡者の姿がカメラにとらえられた!
家や土地に憑依した地縛霊は
はたして生者に霊障をおよぼすか!?》
(中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』より引用)
【霊はあなたの方を見て、語りかけている】

和服を着た女性の地縛霊

 1点目の写真は、当時大阪府に住む高校生だったCさんのスナップ写真。ヨーロッパ旅行の時に写した、オランダのハイウェイでの走行写真である。
 ハイウェイを走行しているから、道路のアスファルトの表面が、流体の模様となって写っている。背景の家々は、比較的鮮明だ。しかし、奇妙な影が、写真の中央に写っている――。いや、それは影ではない。人の姿だ。
 見れば見るほど、それは女性のように見え、しかも和服を着ている女性のように見える。オランダのハイウェイで、和服姿の女性が立っているとは珍しい。際立つといえば、1962年録音のジャズ・アルバム――ホレス・シルヴァー・クインテットの“The Tokyo Blues”――はおろか、ショーン・コネリー主演の007映画――“You Only Live Twice”――でさえ、その場所は東洋の日本であった。
 だからこそ、心霊写真なのである。
 撮影の数日前、この場所で「日本人の女性の旅行者」が、「交通事故死している」という情報を提供しているのは、Cさんだ。中岡先生はこのように鑑定している。
 これは貴重な心霊写真で、エクトプラズム(ectoplasm。霊媒の体孔から出る流動性の物質)の半物体化の写真は数少ない――。事故死した現場に現れた地縛霊は、不浄霊体として長く残ることがあるらしい。
 ただし、この写真を持っていても危険はなく、悪い霊障を受けることはない――。霊障とは、霊による災いのことで、霊的障害の略である。エクトプラズムの半物体化で有名なのは、イタリアの古城で写されたものがあるが、カメラマンには何の霊障も起きなかった。Cさんの写真は、私の方で既に供養と浄化をしている――といった具合である。
 Cさんが撮った写真が心霊写真であるか、あるいはそうではない「作為の虚構写真」であると仮定したにせよ、このような「霊体らしきもの」を、そこに表現する(現場で人を使ったり、それらしい画像を貼り付けて加工する)のは、写真工芸としては、なかなか込み入っている――と思ってしまった。
 心霊写真でほとんどといっていいくらいによくありがちな、“背後の木陰が霊に見える”というような「想像の産物」的な捏造写真とは違って、このCさんの写真は、どちらにしても珍しい芸術的な写真の類であるというのは、中岡先生が仰ったとおりだと思う。でなければ、本当にそのハイウェイに、和服姿の女性が突っ立っていた――ということになる。あらゆる観点で、実に不思議な奇天烈な写真である。
【演歌歌手・鏡五郎さんの若い頃のお写真。霊が…】

演歌歌手の鏡五郎さん

 2点目の写真は、さらに奇天烈な写真だ。
 この写真は、演歌歌手の鏡五郎(かがみごろう)さんが、デビュー前のレッスン時に撮ってもらったものだという。
 余談になるが、鏡五郎さんについて少しばかり触れておく。
 鏡さんは、昭和19年、大阪の豊中に生まれて、昭和42年にレコード・デビューしている。所属レコード会社は日本コロムビアであった。その時のデビュー・シングルが、「嫌んなっちゃった東京」(作詞・石本美由起、作曲・滝のぼる)。
 参考までに、この曲を聴いておこうと思い、ネット上の動画サイトを検索した。が、一切出てこなかった。こういうことは、珍しい。しかしながら、タイトルがたいへんユニークだったので、7インチのシングル盤を入手することにした。
 ジャケットの真っ赤な背景が印象的である。いうまでもなく、そこに写っている鏡さんは、まだ若く、あどけなさがある。曲をかけてみると、伴奏が意外なほどアップテンポで派手だ。演歌特有の悲哀の影は、音としては微塵も感じられない。
 いきなり、歌い出しの、“いやぁんなっちゃったとうきょ~”の節回しが、あまりにも独特で、つっけんどんに高音すぎて度肝が抜かれた。民謡を和製ポップスに置き換えたような感じである。
 これが鏡さんのデビュー曲だったのかと、神妙になった。しかもなぜこれが、ネット上のどこにも話題になっていないのだろうか(おおむね、原盤権保有もしくは消滅などによるレコード会社の権利事情が理由)。その後の彼の持ち歌とはまったく異にした意趣であり、こういうのは想像だけではなく、実際に聴いてみなければわからないと思った。
 ちなみに現在の鏡さんは、キングレコード所属(日本コロムビアから転々とした後1985年に移籍)で、「おしどり人生」や「男の風雪」など、人間味の深い骨太な演歌曲で知られている。昨年の夏には、シングル「淡雪の橋」を発売(再リリース)した。
 これも蛇足になるが、今から34年前の1988年、ニッポン放送のラジオ番組『鴻上尚史のオールナイトニッポン』に出演し、鏡さんご自身が一気に大ブレイクしたエピソードは、あまりにも有名だ。
【これが鏡五郎さんのデビュー曲「嫌んなっちゃった東京」】

鏡さんの消えた心霊写真

 さて、話を戻す。心霊写真についてである。
 まずわかりやすいのは、鏡さんのちょうど腹に当たる箇所に、これこそはっきり女性とわかる顔が写っていて、思わず驚いてしまった。実はこの霊体の部分の写真画像は、この本の表紙にもピックアップされていて、元の写真がカラーであったことが分かる。
 もう一つ、この写真には驚くべきことがある。鏡さんの腰から下が、全く写っていないのだ。もし自分の姿が写っている写真の下半身が全く消えていたとしたら、どれほど恐ろしく、震え上がるだろうか。それにしても、いったいこれはどういうことか。
 中岡先生の鑑定では、この写真は「心霊写真である」と断定している。写り方からいって、霊障の起きる可能性が強い――と。女性の横顔は、憑依霊で、十分な供養をしてやらないといけないという。足が消えている心霊現象は、鏡さんの霊運に関係があって、彼の「司配霊」からの一種の「霊示」だそうである。撮った場所自体も霊気が強く、「浄化」した方がよい――とのこと。
 それほどまでに、これは恐ろしい写真――ということになってしまうのだけれど、ただこの写真全体をよく眺めて見てみると、奇妙な背景が写り込んでいるのがわかる。
 鏡さんがピアノの前で座っているというのはその通りなのだが、ちょうど背中に当たる部分に、畳表と畳縁(たたみべり)が写っていて、鏡さんの上着の部分にまで、二重写しのようになっているのがわかる。なぜか。和室の部屋が、ガラスか何かで反射して写っているか、そもそもこの写真は、二重写しとして撮っているかである。
【やはりこの霊もあなたの方を見ている】
 鏡さんの腰から下が写っていない箇所の、布のようなものは何かというと、実は畳部屋に敷いた布団なのだ。この写真を横にして見ると、それがよくわかる。
 そしてなんと、この布団の上でごくふつうに座っているのが、実はあの女性なのだ。
 なんてことはない。女性の顔の部分は、ガラスか何かで反射した、和室の畳部屋でくつろいでいる、家族の方(鏡さんがレッスンを受けている宅の師匠の家族の方?)がそっくり写っているだけなのだ。鏡さんの下半身が消えてしまっているのは、このガラスか何かで反射し、黒っぽいズボンを穿いていたためであろう部分が、見えなくなってしまっているだけなのである。あくまでこれは、私の推論であると、断っておくけれど。
§
 1982年初版の『地縛霊 恐怖の心霊写真集』に、鏡さんの若い頃の写真が提供されていることに、いくばくかの謎が秘められていると思った。俳優業もやっていたという経歴がある。時代劇関連の制作会社で、活動写真好みのベテランのスタッフ連中に、写真光学の技術に詳しい人がいることは、容易に想像できる。仕事の合間、他愛のない話に談笑するであろう。そういう時に鏡さんは、まだ若いということから、親しく愛されたのではないか。そういう頃の付き合いの和気藹々とした、名残の写真であると、私は想像することにした。

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