恋するベアー―性教育関心への定点観測

【私のときめくベアーへの想い。ベアーが好きだ】
 ある写真を眺めていて、ベアーのぬいぐるみが素敵だと思った。そしてまた、ある本を読んでいて、そのベアーの人形が、あまりに精巧で愛くるしく、食べてしまいたいと思った――。
 写真の方は、エドワード・スタイケン(Edward Steichen)の『THE FIRST PICTURE BOOK EVERYDAY THINGS FOR BABIES』とmas氏の撮ったベアー(当ブログ「幸福に捧ぐるはベアーの編みぐるみ」参照)のことであり、本の方は、これから紹介する性教育の本のこと。いずれにしても私が、沈鬱のコロナ禍の中で、幼心の〈ベアーが好き〉という潜在的な観念を思い起こしたことからきている。この意味がなんなのかについては、実はとてつもなく謎なのだ。

ウェブサイトと性教育本

 40代半ばにさしかかり、著名な芸術家たちの性表現とセクシュアリティの源泉を理解したい――という思惑が、根底にあった。我がサイト[男に異存はない。性の話。]を開設したのは、6年前の2017年7月29日のことで、いわば教養のない自己に対する勉強会のつもりだった。日本の公教育の現場では、昭和の頃の性教育とほとんど変わり映えしないのではないかという危惧が、重要なとっかかりとなったのだ。
 もともとウェブ名は、[男に異存はない。包茎の話。]だった。2017年8月1日の当ブログに、ウェブサイトの開設紹介を発信している(「男に異存はない。包茎の話。」)。当初、ウェブサイトのテーマを男性の性徴や生理に絞っていた理由は、それくらいの部分でしか確実に学べないのではないかという自信の無さがあったからだ。
【小学生の時初めて出合った性教育の本】
 ところで2017年というと、元号はまだ、平成(29年)だった。
 どういった年だったか――。世相を少しばかり振り返ると、今や大人も子どもも心をときめかせる画期的なゲーム機「Nintendo Switch」が発売され、稀勢の里が日本人としては19年ぶりに横綱に昇進。棋士の藤井聡太四段(当時)がプロデビュー以来29連勝を果たし、早実の清宮幸太郎さんが高校野球で大活躍。ちなみに清宮さんは、のちの9月の試合で111号ホームランを打つ。アメリカでは1月にトランプ大統領就任。国内の政治絡みのトピックでは、森友学園と加計学園の問題で世の中が火を吹いていた頃――。
 恐縮ながら、個人的に2017年は、激動の年であった。6月に母が突然病気で倒れ、長期入院を余儀なくされる。その間、父が看病していたのだが、その父も9月に病で入院する事態に。11月に母は退院したものの、そのわずか数日後、父はがんで亡くなり、誰が誰を見舞っていたのかとわからなくなるような、そんな混乱続きの数ヵ月間の顛末であった。
 そうした時期に、私は、それまで敬遠していた性教育の分野に、足を突っ込んだわけである。つまり、ド素人が、性に関するサイトを無理筋に立ち上げたというわけだ。
【この本と出合えなかったら、大人になっても無関心だったかもしれない】
 私自身が性教育に初めて接したのは、小学6年生の時だった。小学校の図書室に並べ置かれた性教育本がきっかけだった。それは、ポプラ社の『女の子と男の子の本2 ふしぎ!女の子のからだとこころ』(文・小形桜子、三井富美代、江崎泰子/絵・おかべりか)と『女の子と男の子の本3 ふしぎ!男の子のからだとこころ』(文・小形桜子、三井富美代、江崎泰子/絵・おかべりか)である。
 この時の想い出は、11年前の当ブログ「孤独と神話」に記してある。
 性徴期にさしかかる子どもたちの「月経」や「射精」などへの対処法として、からだとこころのよりどころとする本であったし、性と向き合うとっかかりのできた本でもあった。あの時のO君が、あんなふうにして無邪気な一面を見せていなかったならば、私の性教育本への関心は大人になるまで及んでいなかっただろうし、そもそもこんな話をする機会などなかったに違いない。
【北沢杏子さんの『実践レポート ひらかれた性教育1』はクマさんが表紙】

ベアーの人形劇

 ここでようやく、ベアーが登場する――。アーニ出版の北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育1』(1981年初版)の表紙は、北沢さんが学校の教室で、“クマの家族の人形劇”を展開している様子の写真である。ちなみにこの本は、シリーズ全5巻のうちの初巻であり、3歳から9歳までの子どもたちの性教育を対象としている。
 人形劇のタイトルは、「あかちゃんはどこから?」という。
 ストーリーを簡単に説明する。幼いクマの子ゴンちゃんは、日曜日にお寝坊してしまった。目を覚ますと、おとうさんクマとおかあさんクマが庭でお仕事をしている。おかあさんクマは編み物を、おとうさんクマはベビーベッドにペンキを塗っている。ゴンちゃんは不思議に思った。それは僕のものなの?
 ううん、違う違う。あかちゃんの。生まれてくるあかちゃんのために、編み物をこしらえて、ベビーベッドを用意しているの。
 お隣のミミちゃんが、遊びに来た。ゴンちゃん、なにやってるの? うん、ぼくんちはあかちゃんがくるっていうから、どこからくるのか見てる。ねえねえ、ゴンちゃん、木に登ったって、見えないよ。ミミちゃんがいう。あかちゃんはね、小鳥さんが連れてくるの。
【生まれたあかちゃんが家にやってきた】
 おかあさんクマはいった。あかちゃんはね、おなかのなかから生まれてくるのよ。おとうさんクマはあかちゃんのタネをもってて、おかあさんクマはおなかのなかにタマゴをもってて、あかちゃんがほしいねと思ったら、おかあさんクマはおとうさんクマからタネをもらう。するとおかあさんクマのおなかのなかで、タネとタマゴがくっついてひとつになって、そうしてあかちゃんが生まれてくるの――。
 そうして人形劇は、産院でおかあさんクマが出産するシーンがあり、やがて生まれてきたあかちゃんが家にやってきて、ゴンちゃんたちに囲まれて、ほのぼのとした雰囲気の様子が描かれる。
 たいへん素敵な人形劇だと思った。北沢さんははじめ、クマの家族の人形を使っていたのだが、《準備などに手間どるので、現在では同じものをスライドや紙芝居に作りなおして使っている》ということが記されていた。
 もともと北沢さんは、脚本家畑出身であり、こうした人形劇のストーリーを創作するのはお手のものである。尚、北沢さんとアーニ出版を共にする美術担当の長谷川瑞吉さんが、どうもこのクマの家族の人形をこしらえたのではないか――と私は推測するのだが、そのような記述がなく、定かではない。しかしながら、本当によくできた、クマの人形たちだと思う。
【まだあかちゃんがおなかのなかにいた時の構図】
§
 昨今、性教育は人権やジェンダーなどの諸問題を含めて、「包括的セクシュアリティ教育」という呼称で通るようになった。国内での出版本は枚挙に暇がないが、どうも性の対処法を簡便にまとめた本が多く、「包括的セクシュアリティ教育」全体の理念や示唆、性教育の将来的な方向性を見通した本が少ない。
 北沢さんの『実践レポート ひらかれた性教育』シリーズは、80年代以降の出版本でありながら、いま必要な包括的な教育の全てのテーマが書かれており、その先進性に驚かされる。むしろ、若者への“性の哲学書”という言い方ができるのではないだろうか。
 私はこの北沢さん執筆の一連の本と、近年ユネスコがまとめ上げた『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』(明石書店)と、オランダの若者達への指針を示したSBGL(独立NPO法人「カリキュラム開発財団」が作成した「カリキュラム枠組 スポーツ、運動および健康な生活スタイル」)における、「性教育プログラム」を参考にしながら、ウェブサイト[男に異存はない。性の話。]の執筆を続けている。
 穴があったらはいりたいくらいに拙いウェブサイトで気恥ずかしいのだけれど、日本の公教育における「包括的セクシュアリティ教育」が、少しでもおもてにつきやすく、そしてもっと、性についての正しい知識と教養が先進的になるべく、市井のひとりとして声を上げていきたいと思っている。
 一方、私のベアーへの想いはどこへいく?
 これが全く、謎である。創作の中で、時折、ベアーが顔を出すであろう。私はベアーが好きだから。どうかこの謎が解けるまで、見守っていてほしい。
追伸:ウェブサイト[男に異存はない。性の話。]は、2023年4月11日付の「答えのない性のメッセージに対して」の投稿をもって最終更新としました。

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