日本語と日本語入力のことなど

 先日の「ブログURL変更のお知らせ」の通り、サーバー移行により、新機軸の様を呈した形となっている当文芸ブログ[Utaro Notes]。その新投稿最初のテーマは、やはり、それに関わる「日本語」と「日本語入力」としてみたい。

何を用いて日本語を入力するか

 デジタルツールにおける「日本語入力」と、この度のブログのサーバー移行については、切っても切れない関係にあり、深い事情があった。まず「日本語入力」について、述べておきたい。

 事の始まりは、ちょっとしたこと――。2週間ほど前、ブログの執筆活動でずっと利用してきたジャストシステムさんのワープロソフト「一太郎」と日本語入力ソフトの「ATOK」を、特段の思いでアンインストールした。これに伴い、ジャストシステムさんのネットショップのアカウントも退会した。
 旧来の感覚ではいられないほど、日本の物価の上昇は凄まじいもので、デジタルツールの有償利用はこれまでにおいては、ちょっとお気楽な感覚も伴って、その利用価値が高ければ必然的に躊躇なく継続してきたのだけれど、さて今年、立ち止まって各デバイスにおける「文書作成」と「日本語入力」にかかる費用について精査してみたところ、今まで通りの感覚でいられない、つまるところ割に合わないのではないかと疑問符を付けざるを得なかった。

 ジャストシステムさんの「一太郎」と「ATOK」は、日本語の文章ならびに文書を作成する上で、自分にとって必要不可欠なツールだと思ってきた。「日本語入力」に関しては、その変換精度がすこぶる高く、誤字脱字等の打ち間違えを指摘修正して変換してくれたり、国語辞典や類語辞典、和英辞典などの語意のリストアップ、あるいは単語の和英変換も可能で、至り尽くせりで申し分なかったのである。なんといっても私は、ジャストシステムさんの20数年来の岩盤ユーザーだった。

 しかし、デスクトップPC以外のデバイスで、「一太郎」を使うことができないというのは、極めて致命的だった。
 ブログの作成においては、もちろんこれまで「一太郎」を駆使してきたわけだが、その文書作成法はちょっといびつなもので、デスクトップPCの環境以外でドラフトの文章を作成するときは、Evernoteやポメラを使って書き、あとあとそのテクストを「一太郎」にコピーして文章を仕上げていく――というやり方。
 これはすなわち、はじめから「Word」を使っていれば、どのデバイスでも「Word」はインストールしてあるので、わざわざテクストをコピーしなくても済む。また、「ATOK」においても、指摘修正変換機能などの高機能は、あくまでデスクトップPCに限られており、iOS版の「ATOK」では、そういう機能は一切ない(2023年7月時点)。

 時代の様相は、10年前とはだいぶ様変わりした。需要と供給の求められるものは、尚一層、加速度的に変化していく。デジタル・デバイスしかり。
 オンラインにおけるSNSの様相の変化は、とくに凄まじい。かつてないほど相互のやりとりは多岐にわたり、ツイッター系のSNSやインスタやTikTok、You Tubeその他諸々、進化を遂げている。世の中の文化形成は10年前、いや、20年前と比べて、ほとんどオンラインに注力し、180度様変わりしてしまったのだった。

 私自身、仕事関係やプライベートで付き合いのある友人らの半数は、ほとんど外国人である。
 彼らは実に流暢な日本語を使う。いわゆる「話し言葉」の日本語である。したがって、学校で習ってきたような紋切り型の、「日本人的な価値観」で日本語圏の教養だけにしがみついていては、彼らとうまく対話できない。それはなぜか――。

 むしろ、外国人との交際に限った話ではないかもしれない。
 例えば朝方、眠気眼でTikTokアプリを開き、偶然、キレッキレのダンス・パフォーマンスを見たとしよう。その瞬間、随分違う朝のように感じられ、なんだか体が興奮してきてハイテンションになってしまった――という似たような経験をした人は、意外と少なくないのではないか。その人の一日の始まりのルーティンが、新聞やテレビのニュースで刺戟されていくのではなく、偶然見たキレッキレのダンスにいい意味で打ちのめされ、すっかり朝の体調すらも変えてしまうとは…。
 さらにそれは、感情やら情緒やら、学校や会社での他者との会話においても、ある一つの動画の発露から運命づけられてしまうというようなことが、起こりうるのだ。スマフォ文化の形成は、そんなふうにして日常を良くも悪くも脅かすようになった。その連関の対象として、会話における言葉、SNSで発信される言葉は尚の事だ。

 つまり、従来の「日本人的な価値観」は、ごくごく小さなスケールに押し込められ、とくに日本人以外の人とのコミュニケーションの中で、その小さな価値観を押し付けるようでは、対話のみならず関係性そのものが危うく阻害されてしまうのだ。あくまで日本語としての伝え方は、その「純度」や「正確性」を重んじることよりも、もっと速球的に伝えなければならないであろう「今」の感情や情緒の表現体に向けられ、語彙の中からシンプルな語句を選び、わかりやすい言葉を紡いでいく親和性が求められるのである。このことは極めて重要だ。

 端的にいって、日本語における時代の趨勢は、学校で主に習ってきた「書き言葉」ではなく、「話し言葉」へと変わった。しかもその「話し言葉」は、動画視聴などの発露云々の例で述べたように、旧来の価値観では収まりきれない多元的な要素をはらんでいる。私が「一太郎」と「ATOK」にだけこだわることを捨てたのは、日本語による表現を保守的にとらえるのではなく、あらゆる発展の可能性を見極めたくなったからだ。
 こうしたことから、私は、「Word」(Microsoft 365)と「Google日本語入力」及びiOSの標準日本語入力アプリ(Apple)を使うようになった。そんなことなんですかと思うかもしれないが、これらのアプリでじゅうぶん足りる云々の話ではなく、これらにこそ、むしろ新しいポテンシャルが秘められている(アップデートされていく期待感がある)と思ったのだ。

【ジャストシステムさんの「一太郎2023」の文書作成画面】

ブログを移行した理由

 そんな矢先、Googleさんから1通のメールが届いた。

アルバムアーカイブに関するお知らせ
◯◯様 このメールは、最近アルバムアーカイブをご覧になった方、またはアルバム アーカイブに表示可能なコンテンツをお持ちの方にお送りしています。2023年7月19日より、アルバム アーカイブはご利用いただけなくなります。つきましては、この日より前にGoogleデータエクスポートを使ってアルバムアーカイブデータのコピーをダウンロードしていただくようお願いいたします。

某日、Googleからのメールより

 私は最初、このメールの内容がよくわからなかった。
 そこで、いろいろ調べてみたところ、そういうことなのかとようやく把握できた。掻い摘むと、Googleさんのご都合により、個々のGoogleユーザーがちょこちょことこまかい画像をアップロードして保存された壁紙だとかアイキャッチ用の画像だとか、Bloggerの投稿画像などを、ひとまとめに括って閲覧できるようにしてあったらしく、そのアーカイブへのアクセスのサービスをやめます――ということのようである。
 ここで個人的に思ったのは、自分のブログで保存してきた、これまでの膨大な数の画像は、全部削除されてしまうのかという不安だった。
 しかし、どうやらこれらは削除されるわけではなく、あくまで「アルバムアーカイブ」というサービスが終了するだけであって、ブログの画像はちゃんとBloggerのサービスでまとめて閲覧できるようになっている、とのこと。であるならば、この案件はほっといていい――という結論。

 で、話は収まるはずだった。が、私は思いがけず、別の心配事を想起してしまい、思わず自問自答した。
〈ところでキミ、ところでだけれども、Bloggerっていつか終了したりしないのかい?〉

 Bloggerのサービス終了の噂は以前からあったようだ。だが、今のところ、それに関する公式のアナウンスは無い(2023年7月時点)。ただし、Bloggerのサービスの主導権を握っているのは、当然Googleさんであり、無料サービスである以上、いつ終了宣言が出されてもおかしくない。
 仮に、当面サービス終了の予定はないにせよ、いざそういう事態になったとき、こちら側がそれに対応できなかったら、その時期がいつであろうと慌ててしまうだろう。別のブログに移って、その体裁が著しく変わり、読み応えがなくなってしまうのは絶対に嫌だ。
 ならばそうなる前に、プランを立てて、移行の準備をしておいてもいいのではないか――。

 肝心なことは2点。他所のブログサービスに移ったとしても、そこもまたいずれ、サービス終了になるリスクがあるということ。それともう一つ。私自身はこの[Utaro Notes]を、いずれかの時期にやめる気は、「さらさらない」ということ。
 そう、やめる気は「さらさらない」のだ。何処かの無料サービスにしがみついていては、向こうの勝手都合でいつ何時終了宣言されるかしれない。それはとても困る。では今のうちに、自力かつ独断で移行してしまおうではないかという強硬手段であった。

 それがこの近日に行われた、ブログ移行の顛末である。
 結局、自分で契約使用しているドメイン(dodidn.com)にブログを収めるのが、いちばんリスク軽少で済む――という結論に達し、今回の移行を果断に決行した。
 新しい体裁となるブログの仕様は、最も敷居が高いと評判の、WordPressさんのCMS(コンテンツマネジメントシステム)を駆使することで落ち着いた次第である。

【[Utaro Notes]の旧ブログ】

読み応えありの質の高いブログを目指す

 WordPressさんのブログは「敷居が高い」という評判は、こういってはなんだが、評判通りであった。たいへん設定が煩雑で難しい。
 しかしながら、まるで、“都市育成ゲーム”のごとく、ゼロから初めて少しずつ機能のパーツを加えていくうちに、WordPressさんは最適な選択だったなと思うようになった。なんといってもブログの仕様自体が、群を抜いて美しい。形式的な無駄がない。ブログの構造も劇的に美しくなった。語句以外でのカテゴリー及びタグによる検索機能も文句なし。
 ブログに加えたいと思う機能を、多種多様にカスタマイズすることができ、他所のブログサービスではちょっと実現できない仕様にすることもできる。
 敷居が高いという意味は、初心者にはなかなか難しいが、“都市育成ゲーム”の中盤あたりですこぶる面白くなるのと似ていて、どんどんブログを育ててあげたくなる感じ。もちろん、肝心なのは、投稿する中味であって、それは私自身の腕の見せ所ということになるのだけれど、ともかく、これから投稿していくことが楽しみになってきたのである。これは本心の吐露である。

 まことに恐縮ながら、[Utaro Notes]は、もう10年以上ずっと、Googleさんのblogspot.comのドメインで更新し続けてきた古めかしい文芸ブログである。
 当初から、いっさい広告を付けていないのは、自慢になりうるだろうか。私の表現構想の中で、セクシュアルな表現が多くなってしまうことから、広告が付けられないという理由もあった。自己の表現をできるだけ制約しない(=セクシュアルな表現も由としたい)ためには、当然の帰結であった。
 尤も、広告を付けたとしても、それは大した対価にはならないし、いいたいことがいえなくなるくらいなら、最初からやめといたほうがまし、という考え方。私はそういうポリシーで、このブログを続けてきた。だから時に、内容が尖ることがある。

 とどのつまり、これからは、dodidn.comのドメイン(自前のレンタルサーバー)でやっていく。10年以上ブログをやっていると、多少、読者の方がついて来ていただけて、コメントを残してくれる。たいへんありがたい。
 そういうこともあるので、書くことの責任は重い。デタラメは書けないし、くだらない思いつきの文章は書きたくない。思っていないことを思っているように書くのもできないし、そういう信頼を失うような不貞なことはしないつもりである。なるべく、事実の出処は列記しておいて、確認が取れるようにしておきたい。今回こうして初めて、[Utaro Notes]について書いたように思う。

 インターネットのオンラインの世界は、もうだいぶ年月が積み重なってきた。常に進化していくインターネットのプロトコルの世界ではあるが、そういうところの一部に漂流して、こんな日本人の書き手のブログがあってもいいだろう、ということで、どうかお許しを。これからもどんどん書き続けていくつもりである。
 では、新しいURLのブックマークをお忘れなく。またすぐに更新しますから。

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