※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年5月9日付「ある光景つづき」より)。
茨城空港は茨城県小美玉市にあります。空港への利便性を考慮すると、石岡方面から国道を使って乗り入れた方が近道になります。私は霞ヶ浦が見たかったので、霞ヶ浦大橋を渡るルートを遠回りしました。
さて、空港へ訪れた帰り、すなわち空港から国道354号線沿いにある「たまつくり」の道の駅へ戻る区間ですが、小さな山間に連なる森林のあちらこちらで、ヤマフジのささやかな色彩を見ることができました。
新緑に染まった一面に、本当にささやかに集合しているヤマフジの淡紫色は、例えて言うなれば人の黒髪にわずかに生え始めた白髪の散在に似ており、その光景というか情景を詩歌に置き換えたい気分になるほどです。人が植木をして豪快に咲かせたフジも見事ですが、こうした自然に咲いたヤマフジの美しさも、この季節でしか堪能できない点描だと思うのです。
クルマで素通りしてじっくり目視することができなかった風景の一つに、こういう風景がありました。
半径200メートルほどの円の外周が森林で覆われていて、その内側は小規模な平地の田圃である。円の中心部に小山があり、その天辺には樹齢がそれなりに経っていそうな太い幹の常緑樹が一つ在る。小山は墓地である。集落の墓地である。鎮守の森ほど大きくなく、古墳としても小さすぎる。その小山は自然にできた小山とは思えず、おそらく何百年も前の時代に村民が拵えた山の墓地なのかもしれない。
都会は、土地の端から端まで人間がびっしりと入り込んで生活していますが、田舎の山や森林の多くは、ほとんど人が滅多に足を踏み入れない地帯であり、自然に鬱蒼としているだけです。端的に美しい風景とは言えませんが、私はそういう風景が好きでたまりません。それは郷愁でありつつ、人間の原始的な安堵を覚える場所(地帯)であると思います。
私なりに考えれば、それが生き物にとっての原風景である「海」と同じ解釈の「野」にあたるわけです。
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