※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年8月9日付「三春駒のこと」より)。※2018年12月13日に加筆修正しました。
【中村郷土民芸所作「三春駒と赤ベコ」】 |
《三春駒:
福島県田村郡三春町が販売されている木製の郷土玩具。三陸地方からこの三春地方にかけては馬の産地であるため、玩具の馬が種々みられる。玩具の三春駒については、坂上田村麻呂の夷(えびす)征討に由来するなどと伝えられているが、創始は明らかでなく、はじめは子育てのお守りにされていた。大小があり、大は20cmあまりで、三春人形の製作者がこれを作ってきた。厚い板をもちい、それを馬の形にきったものである。形のとり方は、犬張子(東京)にヒントを得たらしい。馬の形や描彩が思いきって様式化されていて、抽象美術に似たような趣があり、この意匠によって全国の郷土玩具中でも佳品とされている》
(平凡社『世界大百科事典』1965年初版より引用)
子供の頃、どこかの金融機関の粗品として、程よい大きさの、「三春駒」を形取った“固形石鹸”をもらい、手に取って遊んだ記憶があります。それからしばらくして、とある古墳群を訪れ、馬の埴輪(馬形埴輪)を眺めた時、ふとあの(着色されていない真っ白な)石鹸の「三春駒」を思い出しました。そして困惑したのです。〈あの馬の石鹸は角張っていたけど、この馬の埴輪は丸くなってる。あれは石鹸だから角張っていたのかな〉。
自分としては、まだ「三春駒」という名前を知らなかったあの“角張った”馬の人形が好きだったのだけれど、あれはあれきりの、つまり粗品としての石鹸だったための“角張り”だったとしたら、もう他では見ることができないなあ、という意味での困惑でした。
その後、高校時代に使っていた国語の教科書の中の写真で、「三春駒」が登場します(ブログ「教科書のこと」参照)。この時ようやく大まかなことを理解しました(※上の写真は製作元・中村郷土民芸所の古い「三春駒と赤ベコ」玩具を私が撮影したもの)。
百科事典に記されてあった内容は、三春町歴史民俗資料館サイトの郷土人形館のページに詳しくあります(※当時のページには記載してあったものの、今は現存していない)が、柳宗悦著『手仕事の日本』(岩波文庫)にも、短いながら一文が記されています。
《日本に三駒などといって愛される馬の玩具がありますが、その一つは八戸の「八幡駒」であります。他の二つは仙台の「木下駒」と磐城の「三春駒」とで、郷土の香が著しく、形に特色があって忘れ難いものであります》
(岩波文庫・柳宗悦著『手仕事の日本』より引用)
先駆者の柳宗悦が本のタイトルを「日本の、手仕事」とせず、「手仕事の、日本」としたところに含蓄があるように思います(前者は別の著者の本のタイトルにある)。
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