孫文にまつわる人たち

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年9月6日付「孫文にまつわる人たち」より)。

 先週訪れた国博の特別展「孫文と梅屋庄吉―100年前の中国と日本」。
 それまで私の中では、孫文と言えば辛亥革命、夏目漱石とよく似ている…という程度の知識しかなく、非常に興味深く今回の特別展を観覧しましたが、梅屋庄吉という人物が絡んでくると途端に、私の中で孫文の実体らしきものが少し透けて見えてきて、十代では教科書でしか知らなかった、その孫文の人間性をも幾分か生々しさを帯びて、知ることができました。
 この特別展の目玉は何と言っても、乾板写真すなわち“梅屋庄吉アルバム”。

 私が最も惹き付けられたのは、孫文夫人と庄吉夫人を写した美しい写真。というより二人が美しい。孫文夫人とは、宋嘉樹の次女・宋慶齢で、書物か何かを読まれている時の目線を落とした、しとやかな姿。優艶。おそらくその肉声も美声ではなかったかと思うほど。
 一方の庄吉夫人・梅屋トクという女性は、醸し出す雰囲気は清楚でどことなく大原麗子さんのよう。庄吉・トク夫妻を写した記念写真においては、庄吉の凛々しさを引き立たせる柔和な表情を浮かべて、夫妻の恭しさが感じられるのです。
 ただ、1929年に撮影された庄吉夫妻とその娘さん、並びに蒋介石、宋美齢を含んだ6人がソファーに座って写っている写真を見ると、夫妻の顔立ちは驚くほど老けている。庄吉さんが1921年頃に撮られた写真では、まだ口髭はたっぷりと太い黒髭であったのに対し、その8年後の写真は白髪で埋まり、以前の凛々しさはすっかり衰えてしまっている。夫人も表情に元気が感じられず精華がなくなってしまっている。まったく別人のよう。
 当時の日本人の平均寿命を考えると、これが普通なのかも知れませんが、“真を写す”写真としては、人間の一生を内なるものまで克明にとらえるという意味で、複雑な思いがします。
 因みに、孫文夫人の宋慶齢さんは1981年に亡くなられたそうで、ちょっと驚き。一体どんな一生だったのでしょうか。

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