ダブリンとU2

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年11月8日付「ダブリンとU2」より)。

 リットー・ミュージック社の月刊誌『SOUND&RECORDING MAGAZINE』の“1987年5月号”が私にとってバイブルであることを、当ブログ「ノイマン製のマイクへの憧憬」で触れました。
 今年は特にこの本を開いたように思います。――今年の初頭、そろそろ自宅スタジオのコンピュータを入れ替えようと思っていた矢先、東日本大震災。自宅の重い機材が台から滑り落ちてバラバラになっていた様を見た時、自分が積み上げていったものなど、こうしていとも簡単に崩壊するのだ、ということをまざまざと見せつけられた気がしました。皮肉にもなんとなく重い腰であったリニューアル計画は、私自身の今年の大テーマとなって果敢に進行し、それは大いに出費したけれども、やって良かったと振り返ることができました。もちろん、文献としての『SOUND&RECORDING MAGAZINE』“1987年5月号”が役に立ったわけです。
 先日紹介した、“SOUND INN”スタジオについても、この本によって存在を知りました。“音響芸術科”では、制作もしくは演奏する意味での空間、すなわちスタジオやホール、シアターは極めて重要なのだと耳にタコができるくらいに覚え込まされ、都内における良質なスタジオや劇場を挙げるとするならば…といった主旨でSOUND INNは常にリストアップされていたし、カザルスホールなどもよく聞かされていました。
 ところで、この“1987年5月号”の中で、U2が取り上げられています。今読んでみると、ダブリンの街で出逢った彼らが、後にウィンドミル・レーン・スタジオで多くのアルバムをレコーディングしたことが文章から窺えるわけですが、私は当時、U2などアイルランド系のバンドにはまったく縁がありませんでした。
 しかし、彼らのサウンド(それに近いもの)は、当時自分がよく観ていたプロレスの、プロレスラーの入場曲などに多大な影響を及ぼしていたことを、今更ながら気づくのです。つまり、彼らのサウンドを非常に間接的に聴いていて、身体に入り込んでいた――。
 こうして私の連関が過ぎるのも、すべてジョイスの文学から来ている。より深遠に。不可解に。

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