墨の話

【11月7日付朝日新聞朝刊より】
 先日、朝日新聞朝刊の文化欄記事で「墨滴」(ぼくてき)について書かれてあったのを見て、なんとなく小学校時代の“書道”の授業を思い出してしまった。
 その記事の内容は興味深い。昭和28年頃から、学校の現場で「墨」をする時間を惜しむようになったという社会的な背景から、液体状の「墨滴」を販売した、という。それでも本来の「墨」(固形墨)の良さ、濃淡のあるその「墨」のいろいろな表情を、現代でも伝えていきたい、と墨メーカーの「呉竹」綿谷会長の思いが綴られていた。
 「墨」の世界は相当奥深いもののようで、にわか好奇心を起こした私は、「墨滴」を国語辞典で探したが、少なくとも4冊の辞典では見当たらず、あるのはどれも「墨汁」についてである。例えば広辞苑では、
《墨をすり出した汁。特に、写字用として、すぐに使えるように作った墨色の液。墨液。イカ、タコが分泌する黒い汁》
(岩波書店『広辞苑』第六版より引用)
 話が少しややこしくなる。
 先の新聞記事で書かれているのは、あくまで呉竹の墨液(書道液)「墨滴」についてである。一方の国語辞典で出ている「墨汁」は、一般的な言葉として使われている広義で、“墨色”の液を指しているに過ぎない。固形墨を、硯(すずり)使って水ですり下ろす。そうして出来た墨液の状態を真似て、即席に簡便化させたのが「墨汁」であり、呉竹の「墨滴」よりも歴史が幾分古い。
 この広義の「墨汁」に呉竹の「墨滴」が含まれるのかどうか、私には分からない。さらに「墨滴」と「墨汁」とでは実際的な用途が違うらしく、呉竹ではその種類を分けて販売している。
 ただ、書道としても習字としても、純然たる墨液でなくとも化学的な“墨色”の液で代用できているのも確かなようだ。とは言え、最初に触れた綿谷会長の言葉に戻るのだが、やはり“墨色”の液体ではなく、本来の「墨」を味わって欲しい、ということなのである。

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