【筑摩書房の高校国語教科書『新現代文』】 |
京都がすっかり遠くなった。
私自身、2011年以降の音楽制作がかなり熱を帯びたものになってから、それ以前の〈気が向いたら京都へ〉という自然の思考回路がOFFになってしまっているのである。そんな中、丸善の京都本店が10年ぶりに復活(場所は河原町通三条下ル)するという朗報を耳にして、京都での気儘な散策遊行の気分が次第に高まりつつある。さもなければ四条烏丸での文具あさりをしばし夢想していたい。
京都の丸善と言えば、梶井基次郎の「檸檬」が有名だが、高校時代、国語教科書に出ていた梶井基次郎の「交尾」は、授業ではやらず、当時まったく読まなかった。したがって私は、いつの頃からか彼を“カジイキジロウ”だと勘違いしていた。
高校卒業後、自主制作したラジオドラマの脚本に、熱海の錦ヶ浦という場所を設定して、その関連で“カジイキジロウ”と台詞に書いてしまったことがある。
《…ここはさながら、文士村だったんですよね。川端康成、三好達治、カジイキジロウ、井上靖。本当にいいところだなあ》
と。高校の国語教科書をよく読んでいない証拠である。不勉強である。ちなみに熱海の錦ヶ浦は、川端康成が居た湯ヶ島とは少しかけ離れてはいる――。
そうした恥ずかしい間違いだらけの、そのラジオドラマは、部屋のキャビネットの隅にディスク化されてずっと眠っていたりする。なかなか今更聴くに堪えない。
しかしながら、これまたいつの頃だったか“カジイキジロウ”がそうではなく、“カジイモトジロウ”であると気づいた時にも、私は彼の作品を読むことはなかった。間違って覚えていたことのショック。そのめいっぱいに増幅された羞恥心と、梶井基次郎に対する理由なき嫌悪。そうした気持ちが交錯して、彼から遠のいていた。国語教科書に出ていた「交尾」(その二のみ)を初めて読んだのは、さらに後年のことである。
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ついこのあいだ、「檸檬」を読んだ。別に梶井基次郎が読みたくなったわけではない。ただただ漠然と活字に飢えていたせいで、たまたま手に取った本に「檸檬」があったのだ。
だからそれを読んだ。その本も実は高校の国語教科書だった。それは自分がかつて使っていた昔の教科書ではなく、まだ最近と言っていい10年前の筑摩書房『新現代文』である。やはりそこには漱石の「こころ」があり中島敦の「山月記」があり与謝野晶子や樋口一葉の作品が出ていたりするのだが、江國香織や村上春樹も混じっていたりして、なんだか私にとっては国語教科書としては懐かしくもありながら、新しい絵の具が一つ二つ増えたような嬉しい気持ちを覚えるのであった。
筑摩の『新現代文』の「檸檬」には、作品の読解を深める目的のためか、親切に“開店当時の丸善京都支店(1907年)”の古い写真が掲載してある。そう、ここが“檸檬爆弾”の現場だ。
【『新現代文』に掲載されていた丸善の写真】 |
“Z.P. MARUYA & CO.LTD.”の看板が輝かしい。
この写真をじっくり見てみると非常に面白い。写真のシチュエーションとしては、開店を記念した従業員一同(丁稚小僧を含む)の整列写真のたぐいである。前列右側に座している2名だけが洋服――洋背広にズボン、学生服にズボン、それぞれ革靴を履いて――で、その他の者は着物に下駄である。それ自体が面白いのではなくて、面白いのは彼ら従業員の目線だ。
写真機のレンズがある方向に向いて、目線がしっかりレンズを向いている者もいれば、目線はレンズを向いているが(椅子の向きの都合で)体勢が店舗正面と垂直である者、さらには、体勢こそ写真機の方に向いているが目線がレンズからずれている者、あるいは体勢も目線もまったくレンズを向いていない者など、つまりバラバラなのである。
そもそも何故、写真機の設置が店舗正面でなかったのかが疑問だが、従業員が店舗に水平整列しているにもかかわらず、写真機が斜め左側に位置しているため、どこを向いてどこを見ていればいいの? といった混乱に陥ったのではないか。ともあれ写真機がまだ物珍しかった時代の、そんなそわそわした雰囲気が伝わってくる写真だ。
――京都への思いを馳せ、丸善の写真を眺めつつ、結果としてこの時「檸檬」を読んで、ひどく梶井基次郎に感銘を受けた。すぐに筑摩書房の古い全集を買った。
「檸檬」やその他の作品については、改めて別の稿で触れたい。個人的なこととして言えば、厳然たる事実、若い時分に「檸檬」とは出会えなかった。逆説的にこのことの影響は、決して小さくはなかったと思われる。
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