エンブレムと映画『東京オリンピック』

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 去る8月31日付朝日新聞朝刊に、1964年の東京五輪エンブレムを手掛けたグラフィック・デザイナー、亀倉雄策氏に関する記事が掲載された。《64年東京五輪 象徴する思想》というサブタイトルがいみじくも躍る。
 5年後の2020年東京五輪を控えた今、何故回顧的に51年前の1964年東京五輪のエンブレムのトピックかと言えば、2020年東京五輪エンブレムの白紙撤回問題が時事として横たわっていたのは明白でありつつ、その背景として、デザインという分野の特殊性に限らずありとあらゆる芸術作品に付随するはずの、クリエイター側の(本質的な)創作信念の喪失という省察課題が浮かび上がってきたからだろう。
 そうしてこの問題が浮上するたびに、あの1964年東京五輪のエンブレムが引き合いに出されるのだ。あの大きな赤い丸の、装飾を一切削ぎ落とした見事なデザインが――。
 ところで私自身、まだ生まれていない1964年の東京五輪そのものを知ったのは、おそらく小学校に入ってからだと推測する。それは何故か。
 当時1980年代前半、小学校では恒例行事の運動会を秋に、それも体育の日に因んでおこなっていた。運動会の予行練習では異常なほど開会式の行進と鼓笛パレードの練習及び国旗掲揚の段取りに力を入れ、児童の被る帽子を赤と白に分け紅組白組で競い合うという構図であったし、全競技の中でメイン競技とされたのは、やはり男女それぞれの100メートル走であった。この運動会全体の緻密な演出と装置が、あの1964年東京五輪の模倣であると知り、私は子供ながら愕然としたのだった。
【学研『原色学習図解百科』第10巻より】
 かつて東京でオリンピックがあったということを、そうした体験をきっかけに後々理解していったのだろうが、それより以前に、幼児の頃に貪り読んでいた(写真や図案に見入っていた)百科事典、学研『原色学習図解百科』第10巻「新しい造形と美術」(大日本印刷・1968年初版)の中に、あのエンブレムの写真があった(この百科事典については当ブログ「新しい造形と美術」参照)。
 となると、幼児期にあの赤い丸の特徴的な図案写真を、しばし脳内に刻み込んだ可能性はある。あまりにもシンプルでインパクトがあり、強烈な赤の視覚的パッセージは、観る者の観念と行動を何かしら誘発させる力を秘めていて、じっと落ち着いて見ていられるだけの静謐な受け身の感覚はほぼあり得ない。
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 本題である。この亀倉雄策氏のエンブレムが、1965年に劇場公開された市川崑総監修の東宝映画『東京オリンピック』でどう生かされたのか。東宝スコープサイズ、カラー作品の『東京オリンピック』はこうして始まる。
◇無音。東宝マーク及び“東宝株式会社 配給”のロゴタイプ。
◇あのエンブレムが表れる。中央に配されたエンブレム、スクリーン左側に“企画 監修 オリンピック東京大会組織委員会”、右側に“製作 東京オリンピック映画協会”のクレジット。
◇まだ無音。“オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである”のプレゼンテーション・テクスト。そして画面いっぱいにゆらゆらと輝く太陽があらわれ、ここでようやくモノフォニーの聖歌のような声楽がフェードインしてくる。
◇ここまでの緩やかなシークェンスから突然切り替わって、ドカーンというような破壊音。工事現場のカットバック。さらにオリンピックの通史を語るナレーション(声は俳優の中村伸郎さん?)が始まる。
◇工事現場のショットから、完成したばかりの鉛色の真新しい国立競技場のカットバックに変わる。ここで濃青色のタイトルバック。“X VIII OLYMPIAD TOKYO 1964”。
◇やがてナレーションが終わりを迎え、「第18回…1964年…東京…日本!」で語尾が強まる。弦楽が強いスタッカートで最高潮に達する。2度目のタイトルバック。濃青色の“東京オリンピック”。
◇眼が焼かれるような太陽の日の出のショット。
 これが映画『東京オリンピック』のオープニング・シークェンスだ。続いて競技場での開会式のシークェンスでは、国旗を吊しているであろうポールにカタカタとぶつかるロープの音の効果音が聞こえきて、神妙な雰囲気となる。このあたりの知覚的繊細な効果音の挿入は、いかにも市川崑の編集らしい。鐘の音が鳴り響いた後、「君が代」の国歌斉唱、各国の入場行進のシーンへと続く。この映画の終わりのシークェンスは、聖火の激しい炎のショット、そして再びあの強烈な太陽のショットとなり、フェードアウトする。
 もはや言うまでもなく、亀倉雄策氏のエンブレムは、映画『東京オリンピック』の冒頭に登場し、全編にわたってそれが太陽であることを印象づけている。日の丸、太陽、あるいは人間の体内を流れる血…。赤い丸のシンボルは、映画の中でそうした連関を促す。特に太陽は、生きる者すべてを活発にさせ、行動を奮起させる象徴でもある。
 このように映画『東京オリンピック』は、多くの無名のスタッフの総力であることを踏まえても、特記すれば三者つまり市川崑、亀倉雄策、音楽を担当した黛敏郎の三様の思想がふんだんに織り込まれた作品であることが分かる。
 本来エンブレムはデザイン以外の何物でもないのだが、1964年東京五輪においてそれは単なるデザインではなかった。言わば思想を超えた人間の魂であった。戦後復興を遂げた日本人の夢と希望、あるいはもっと、戦死者への鎮魂や反戦の決意と平和への祈りが込められていたのかも知れない。
 翻って昨今、もし創作信念の喪失というものがあるのだとすれば、それは芸術の死を意味するであろう。恐るべきは失敗不成功ではない。芸術の死は、人類の死である。

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