【ロブ・ライナー監督『スタンド・バイ・ミー』】 |
私の母校の中学校の卒業アルバムを眺めると、あるクラスメイトの女子が、リヴァー・フェニックスの顔写真の下敷き(普通のプラスティック・シート)を持って教室の椅子に座っているオフショット・カットに出くわす。卒業アルバムを開くたびに、そのカットを見ることになるから、自然とリヴァー・フェニックスすなわち映画『スタンド・バイ・ミー』を思い出す。
その女子はリヴァー・フェニックスのファンだったのだろう。確かにあの頃、彼は売れっ子の大スターであった。ロブ・ライナー監督のアメリカ映画『スタンド・バイ・ミー』(“Stand By Me”)が公開されたのは、まさにその頃――中学3年だった1987年(アメリカ公開は1986年)である。
私はあの映画をいつどこで観たのか、憶えていない。おそらく、後々のテレビ放映で観たのだろう。下敷きの女の子は当然、彼が出演した映画『モスキート・コースト』(“The Mosquito Coast”)や『スタンド・バイ・ミー』を、公開最中の映画館で観たに違いない。そして今でも――これは私の推測だが――彼女は卒業アルバムを開くたび、自分がファンだったリヴァー・フェニックスを思い出し、『スタンド・バイ・ミー』を懐かしく思い出すに違いない。
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『スタンド・バイ・ミー』の原作者はスティーヴン・キングで、私はどちらかというと同じロブ・ライナー監督&スティーヴン・キング原作の映画『ミザリー』(“Misery”)の方が映画としては好きで、その主演のキャシー・ベイツの恐ろしいほどに温和で甘ったるい顔が脳裏に刻まれていて離れない。うっかりすると、まったく毛色の違う『スタンド・バイ・ミー』の原作者が、同じスティーヴン・キングであることを忘れるほどだ。これらの映画は実に対照的である。
話を戻す。『スタンド・バイ・ミー』の映画で、“ゴーディ”役として主演したウィル・ウィートンは、私と同い年の1972年生まれである。これは思いがけないことであった。当時、小柄で幼い印象の彼を見て、同い年であるなどとは露程も知らず、実際のところ、リヴァー・フェニックスは私よりも2歳年上、コリー・フェルドマンは1歳年上、“太っちょバーン”役のジェリー・オコンネルは2歳年下であり、出演した彼らとはほぼ同年代といっていい。まさに映画の中の冒険譚は、同年代の自分とごく近い頃の体験を匂わせていたことになる。ちなみに、映画の物語は、1959年アメリカ・オレゴン州の“キャッスル・ロック”という小さな町が背景である。
“太っちょバーン”の兄ビリーとその不良仲間が話していた、「少年の死体発見」話を盗み聞きしたバーンは、ゴーディやクリス、テディにその話を持ちかける。4人は数十キロ先の森に出掛け、その死体を捜し出すことを決めた。
“キャッスル・ロック”の町から数十キロ離れた森に到達するまでのエピソードの数々が、この映画のすべてである。そこにこそ、この映画のエッセンスがたっぷりと詰まっている。軍隊経験のある父親から幼少の頃虐待され、後ろめたさを持つテディは、少々行動が破天荒でクリスとよく衝突する。だが決して仲が悪いわけではない。クリスは面倒見がよく、頭もいい。彼もまた家族に問題を抱え、学校とその町では窃盗の汚名のレッテルを貼られていた。
クリスと特に仲がいいのは、才穎に恵まれつつひ弱なゴーディだ。彼の兄デニーはフットボールの学生選手で、両親から将来を嘱望されていたのだが、不慮の事故で亡くなってしまった。両親のデニーに対する愛情の度合いが、自分に対しては極端に薄いのではないかという不信が、彼の悩みであった。しかし彼はエピソードの最後、キーファー・サザーランド演じる不良仲間のリーダーと、五分五分の“対決”をする。
映画『スタンド・バイ・ミー』は、12歳の彼ら4人の繰り出すエピソードの端々から、誰しもが少年時代に経験していく仲間との切ない思い出を感じさせ、少年というひたむきさと仄暗さ、そして友情と相反する人生のむごさとも向き合うようなシーンの連続で、それらを哀愁帯びた情感で描ききっている。子供を抱える歳になった“現在の”ゴーディがその思い出話を小説にしたため、深く回想に耽る構図がまた、そこはかとなく哀愁を誘う。かろうじてエンディングで流れるベン・E・キングの「Stand By Me」が、観る者の感情を大きく包み込んでくれる。
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自らがその渦中にいたはずの、少年時代の思い出話に耳をそばだてて、知る由もなかった新事実を発見する――といったゾクゾクするような、自分以外の第二、第三の語り部との対面を、少なくとも現在に至るまで私自身は、持ち得なかった。それは悲劇であろうか、幸福なことであろうか。小学校時代の同窓会は開かれることもなく過ぎ、中学校の同窓会はたった一度きり、それも随分昔の高校時代の話であって、10代で出会った懐かしい友人らその語り部達と出会う機会は、見事に失われてしまった。もう一度言う。それは悲劇であろうか、それとも、幸福なことであろうか。
映画『スタンド・バイ・ミー』を初めて観た頃はおそらく、まだ少年時代を振り返ることにさほど関心がなかったから、この映画を観て悶々としていたのは、ウィル・ウィートンとリヴァー・フェニックスはどちらが本当は主役だったのか――といった、ある種馬鹿げた論争の沙汰であったし、かつてこれほどまでに10代の懐かしい友人らと会わなくなることを、夢にも思わなかったのだ。同じ、“キャッスル・ロック”のような町でありながら。
自分だけが堅固に守り背負ってきた思い出の価値など、もはやゼロなのではないだろうか、とも思う。時と共に思い出は薄れ、忘れ、粉々に砕かれて散っていく。そうして今、儚い時間だけが過ぎていく。
『スタンド・バイ・ミー』という映画は、自らが忘却するまでの道程を、なんとか先まで引き延ばしてくれるような、救いの橋頭堡なのだろう。いずれ少年時代の思い出を忘れ、自らが少年であったことも忘れることは、必ずしも不幸とは言えない。が、何か大切な機微を失うかのような、危うい不安を覚えるのだ。いや、なんとか忘れないで、努力していこう。
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