愛するカメラ遍歴―ライカのコンデジ

【庭の片隅をライカでテスト撮影】
 普段写真を撮るという実務レベルにおいて、RICOHからSONYのコンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)に替え、ツァイスのレンズいいでしょ、と書いてみたのは、去年の春(当ブログ「愛するカメラとは何か」)のこと。それから1年――。何の不自由もなく、外歩きの散歩カメラとして、SONYのDSC-RX100M4(レンズはツァイスのバリオ・ゾナー)で満喫していたのであるが、今年の春、偶然手にしたある雑誌の記事より、アンリ・カルティエ=ブレッソンと多木浩二の写真作品を見てしまったのがきっかけとなって、ライカ――というキーワードが頭から離れなくなった。
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【よく手に馴染むLEICA X2のボディ】
 おやおや――。“ライカ熱”再発である。気がつけば、ウェブで手頃なライカのコンデジを探し求めだし、数十日間の“ライカ熱”に対抗する心理的格闘(〈ライカなんてやめてしまいなさい!〉と念仏を唱える解熱剤的効力)は見事に空振りに終わり、その無力な、朦朧とした数日後、気がつけば――もはや手元に一つの可愛らしいライカが、ちょこりと鎮座していたのであった。LEICA X2(レンズはLEICA ELMARIT 24mm F2.8)である。
 このカメラの中古価格は、およそ市場に出回っているM3のボディと同じくらい。非常に親切な価格、で入手できたのではないか。OLYMPUS製のビュー・ファインダーで覗いて使ってみたら、あらま、こんな手に馴染むボディも珍しいなと思ったくらい、“初めて触った”感覚ではなかった。ひょっとして、もともと自分のカメラだったのではないか、と馬鹿げたことを思ったりしたほどである。
【庭は荒れ放題。されどライカは花をとらえる】
 そうしてよく晴れた日、テスト撮影をするため、自宅の庭に出てみた。もう何の手入れもしていない鬱蒼と雑草が茂った小さな原野。ぽつりぽつりとシャッターを切って、その場でフォーカスの具合だの、露出の調子だのを確認する。そして後でじっくり画像を確認してみたら、やっぱりライカのレンズ特有の“味わい”が滲み出ていた。
 これなんだなあと思った。と同時に私は、あらためて自分は、写真とカメラが好きなんだなということを思った。ちょっと無茶して衝動買いしてしまえるのは、カメラ以外にないのだ。
 ――もう14年も前、京都の清水寺を訪れた際に修学旅行に来ていた“中学生3人”をスナップ(当ブログ「カフェと京都と散歩」)したけれど、あの頃は少し大振りなデジカメを持参していたので、スナップする頻度が今よりもゆるい。使い勝手が悪かった。故に、新製品が出ると、頻繁にデジカメを入れ替えていたし、一方では銀塩のコンパクトカメラも現役で使っていて、ライカのminiluxだとかCONTAX G1(レンズはツァイスのPlanar。確か50mm)を旅行に持ち出したりしていた。ソ連製のレンジファインダーにも手を出していたのは、ほんのご愛敬。
 写真を撮るうえで、歳を取ることによる、ものの見方やとらえ方の変化、それらの精神的な部分での変化というのは、かなり影響があると思われる。複数のカメラの台数を抱えていた、あの頃より歳を重ね、世の中のありとあらゆるものに対する接し方が、一段とかなり冷静沈着化して、慌てなくなった。
 生きものは、他者である自分が手を添えなくても勝手に生きていくし、勝手に死んでいく。語りかけず、聴くに及ばず。それを偶然「見る」に過ぎないのだ。シャッターを切るのはその後でもいい――という余裕の心構えが、逆に以前よりも、被写体の凄みだとかありのままの姿を瞬時に切り取れるようになったのではないか、と思っている。
 自前のカメラで述べれば、クリエイティヴな方面で必要な画像を撮るのなら、一眼レフのCanon EOS 6Dで交換レンズを駆使する。散歩のお供ならば、SONYのDSC-RX100M4で充分。重いカメラを持ち歩きたくないし、かといってスマホのカメラでは物足りないから。この2つをそれぞれの用途で使っていれば、何も考えずに済む。
 さてそうしてそこに、ライカが突然と現れて食い込むかたちになったわけだけれど、どう考えたって、LEICA X2は散歩のお供のカメラだろう。以前使っていたRICOH DIGITALのように、X2は単焦点レンズ(24mm)だから、かえって被写体にぐいぐい近づいていく、もっと近づいていかないと撮れないよ、という気持ちがなければならないし、これもまた現場での空間に自分がどう立つのか、「見る」対象のものとどう接するのかといった積極的な動態が、鍵になるだろう。面白いことになりそうである。
【露出とモノクロームのグラデーションをテスト】
 補遺。
 中学校の修学旅行以来だった14年前の京都の旅。タイトルを「カフェと京都と散歩」としたが、まあ言わば、「散歩」と「お茶する」ことと「カメラ」持参というのは、私にとって人生の大々的な不文律であり、どれが欠けても面白くない。その14年前の京都で被写体となった“中学生3人”なんて、あれ?!…もう今は、三十路一歩手前ってことになる。月日が経つのはあっという間。そんなことを考えていたら、ますます写真が面白くなって、もっとこれからたくさん撮ってやろう、という気になってきた。これもライカのおかげか。
 楽しみを増やしてくれどうもありがとう、ライカさん。これからあっちこっち、あなたを連れて散歩に行きますからね。いったいどんな物語が待ち構えているか、とても楽しみです。

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