紅茶と雑貨の微妙な関係

【吉本由美著『暮しを楽しむ雑貨ブック』(じゃこめてい出版)】
 真っ白な朝靄を窓から覗きながら、朝風呂の湯気の白っぽくて曖昧模糊とした空気が溶け出したその時、〈次の休日の午後には、アフタヌーン・ティーが飲みたい〉と思った。中国茶ではなく、珍しく紅茶である。
 ならば後で、アーマッドティーの「イングリッシュブレックファスト」を一缶注文しておこう。アフタヌーン・ティーなのに、ブレックファスト? そんなことはこの際、目をつぶろう。ついでに新しいティーカップも買っておきたい。ティーカップはどんな?――いやティーカップより、ミルク・ボウルがいいのではないか。午後からの庭いじりで気合いを入れるためにアフタヌーン・ティーを飲む、しかもミルク・ボウルで――おや? 自分のことと他人のこととが曖昧模糊に入り混じり、はて、そんな話を、何の本で読んだのであろうかと、頭の回路がしばしハレーションを起こした。
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 アフタヌーン・ティーのための、アーマッドティーの「イングリッシュブレックファスト」を注文し終わった際、ふと思い出したわけである。そうだったそうだった。その本は、かつて雑貨スタイリストだったエッセイストの吉本由美さんの昔の著書だったなと――。
 じゃこめてい出版の本であった。じゃこめてい出版の古い本には、興味深いタイトルの本がいくつかある。『ロンロンママの暮しのお楽しみブック』、『ロンロンママのおしゃれのお楽しみブック』、『ロンロンママの生活探検ブック』。ロンロンママ、ロンロンママ、ロンロンママ。これらはすべて、イラストレーター西村玲子さんの著書なのだけれど、“ロンロンママ”っていったい誰? と私はそれ以上のことを(今のところ)詳しく知らない。西村さんのイラストはたいへんこざっぱりしていて愛着を覚える。いつか探し求めて読んでみたい本ではある。
 閑話休題。午後から庭いじりで気合いを入れるためにアフタヌーン・ティーを飲む――そんなことが書かれていた吉本由美さんの著書は、じゃこめてい出版の『暮しを楽しむ雑貨ブック 85ヶのすてきな物たち』(1983年刊)であった。その中の「伝統的田舎ポットとポットコゼー―おいしい紅茶を飲むために」を読み返すとこう綴られている。
《昼間はダージリンとかアール・グレイを飲みます。こんなこと書いてると、なんとなくシャレた暮しみたいでしょ? ところがホントは違うのね。1週間分の洗濯ものとか山積みの仕事とか、猫の頭のテッペンが禿げて動物病院に行かなきゃならないとか、もうさすがに庭の雑草を取らないとマズイとか、いろいろと日常が待っている。それらをいっ気に行うための、自分励ましのお茶であります》
(じゃこめてい出版、吉本由美著『暮しを楽しむ雑貨ブック』より引用)
 こういう素朴で何気ない文章を読んでいるうち、アフタヌーン・ティーが本当に飲みたくなるのだった。青々とした樹木や花々の香りに敏感な季節の春先は特に――。ほぼほぼ私の日常生活では、朝方にホット・コーヒーを2杯飲み、休日の午後はコンビニで買ってきておいたミルク・ティーかストレートを飲む。それ以外は中国茶。どういうわけだかここ最近、自分で入れる“温かい”アフタヌーン・ティーを飲んでいなかったわけだ。
【私が使い込んでいるモンブランの万年筆“146”】
 これは蛇足になるけれども、『暮しを楽しむ雑貨ブック 85ヶのすてきな物たち』で吉本さんは、「万年筆―大人としての手紙には」という文章も綴られていて興味深い。原稿用紙さえ自分専用のそれをオーダーメイドしてしまう吉本さんのこだわりとして、手紙を書く時は万年筆を使用する云々の話。
 当時使っていた万年筆はモンブラン(Montblanc)だそうで、モンブランはもともとドイツのメーカーであったが、今はスイスのリシュモンの傘下の文房具ブランドなのである。吉本さん愛用は146。おや? ふと私が自分の万年筆に目をやると、やはり同じモンブランなのだが、おお、マイスターシュティック ルグランの146。モデレートとも言えそうな146は、随筆程度の文章を書くのにはちょうど良く、使い易い。
 誰にとっても物へのこだわりには、どうも主眼的な経験修養の混濁(Cloudy experience)、すなわち思い込みが必要であり、これはこうだからこうなのだという確固たる思い込みがなければ、その物にこだわって使い続けることができないのではないか。
 万年筆もしかり。文房具メーカーのペンなどは、どれもこれも質が良く、わざわざ高価な逸品を揃える必要もない。が、ある日突然、思いがけぬ出合いというのはやってくるのものである。人はその物との出合いを肯定するために――というか、そうした出合いのきっかけから、物に対する考え方を少し変容させてしまう。すると、気分ががらりと変わるのだ。何か気合いを入れて打ち込む際に、心理的には、ある種の偏屈な態度に固執する性分というのが誰しもある。しかし、その奇天烈な心境が湾曲しないためにも、如何程か屁理屈をこねて、思い込むのである。それがこだわりの本性だ。私の場合、モンブランのブランドの万年筆を使っているのは、中学時代からずっとそうだったから――というだけの話であり、結果的にそれにこだわり続けている。
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【マガジンハウスの雑誌『ku:nel』2015.5.1号】
 吉本さんが雑貨に対して、例えばここでは、紅茶のポットが冷めぬよう、ポットコゼー(Tea Cosyのこと。コジーとかコージーとかとも言う)を掛けている云々なども、伝統や習慣的な作法以外に、ある種の個人的な奇天烈的心境を自己否定しないための、おまじないみたいなものであって、必ずしもそうする必要はないのかも知れないが、それをやり続けてみる価値というのは、精神衛生上、決してバカにはできないものである。
 たかがお茶のポットの保温カバーなのに、どうしてあんなに、多種多様で多彩なデザインのカバーが、古今東西に溢れて存在するのか――。茶に興味のない人にとっては、なんとも奇怪で不可思議(もはやエキゾチックを超えてシュール)な造形物に見えるかも知れないが、こだわりとは、異国的であろうと何だろうと、他人を相容れないそういうものなのである。
【『ku:nel』の記事。「吉本由美の懺悔。」】
 それを踏まえた上で、5年前、マガジンハウスの雑誌『ku:nel』(クウネル)の記事の中で吉本さんは、自身の若い頃の、言わばシンプルな生活雑貨趣味の牽引役としての“いかがわしさ”について、大懺悔していた。『ku:nel』2015.5.1号の、「雑貨が来た道 吉本由美の懺悔」がそれである。
 吉本さんは雑貨スタイリストの現役時代、《シンプルに、おしゃれに、上質のものを、洗練されたものを》と、70年代以降の生活雑貨に対する一大カテゴリーを、ある種の時代的な雰囲気の中で醸造してきた面がある。それはつまり、雑誌等のメディアを通じて、“シンプルで上質な”生活雑貨を啓蒙する立場にいたと言っていい。その本人が、今や雑然とした生活臭だらけの雑貨に囲まれて生活しているとしたら――。
《しゃれていなくてもごたごたしていても快適な空間は生まれるのだった。それを知らずにやみくもに、“シンプル&上質”と唱え続けた若き自分の無知さ加減と浅はかな心。そういう自分の愚かさを大手を振ってふりまいたことをひと言だけでも謝りたい、とずっと思ってきたのでした。で、やっと言えます、ごめんなさい。視野の狭さを押しつけたこと猛省しておりまする》
(マガジンハウス『ku:nel』2015.5.1号「雑貨が来た道 吉本由美の懺悔」より引用)
【吉本さんの幻の“ミルクどんぶり”に関するエピソード】
 それからそれから、その『ku:nel』の号では、曰く付きの“ミルクどんぶり”のエピソードについても語られていた。
 遡ること46年前の1974年、雑誌『an・an』(第96号)で吉本さんは、トリュフォーの映画(“Baisers volés”)に出ていたとされる、把手無しでやや大振りのカップ=“ミルクどんぶり”で、なんとカフェオレが飲みたいのだ――というやんちゃぶりを発揮する話を掲載したのだった。これが当時、国内における空前の雑貨ブームならぬ“ミルクどんぶり”(=カフェオレどんぶり、カフェオレ・ボウルとも称される)ブームを巻き起こしたらしく、四方八方全国数多の百貨店や輸入陶器ショップなどでこれはどう?これは? の大騒動だったそうだ。
 実はこの話の後日談は、先の吉本さんの著書『暮しを楽しむ雑貨ブック』で“シンプル”にまとめられている(「カフェ・オ・レ用カップ―まぼろしのどんぶり」)。そもそも10代の頃にカフェオレに憧れて、その頃観たトリュフォーの映画でどんぶり(白地に小さな花柄のラインが1本)の存在を知った。アレだ! と若い吉本さんは思った。
 アレでカフェオレが飲みたい。しかしながら、国内のショップのどこを探し回っても、見つからない。途方に暮れた挙げ句、すっかり幻の“ミルクどんぶり”夢から醒め切った頃になってようやく、あちこちの読者からパリ土産の“ミルクどんぶり”が送られてきたという。
 そうしてもはやそれらは、カフェオレのためではなく、ごくごく普通の用途としてのサラダボールや果物入れと化し、たまに思い出したようにこれでカフェオレを飲んでみると、口元からだらだらとカフェオレがこぼれるのであった。無惨やな。斯くも青春とは空疎なり。若き遍歴のいざなう枯れ葉、哉――。
 ところで私のアーマッドティー「イングリッシュブレックファスト」のアフタヌーン・ティーの話はどこへ行った? どこかに吹っ飛んでしまったけれど、雑貨というのは本当に面白いものだ。ということで気分を良くし、次回は、そのアフタヌーン・ティーの話をしよう。ついでに、例のトリュフォーの映画の話もしようか。あのう、“ロンロンママ”の話は又の機会にしますから。

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