灯台もと暗しインターネットの話

【懐かしくなって入手した月刊誌『ヤフー・インターネット・ガイド』1999年1月号】
 80年代以降、個人的に“パソコン通信”なるものに憧れ、90年代後半にはPDA(小型携帯通信端末)を使ってインターネット生活を始めた思い出話については、4年前の当ブログ「おはようパソコン通信」で綴った。“科学万博つくば‘85”を中学1年生で体験した世代としては、パーソナル・コンピューターを使って世界中とネットワークを結ぶ21世紀の新しい生活スタイルに、夢のような希望と感動を覚えたのだった――。
 90年代の終末、ザウルスから切り替えて使っていたNECのモバイルギア(モバイルギアII MC/R450。OSはWindows CE)には、密かにポストペットのメールソフトがインストールされていた。そうしてインターネットを介し、国内外のペンパルとのやりとりに没頭していた20代後半の私は、言うなればまだ“若き青年”の範疇だったのである。

YAHOO!インターネットガイドの時代

 その“若き青年”は、ほんの少し前にフィルム式の一眼レフを初めて手にしたばかりであった。CanonのEOSカメラを片手に街を歩けば、カメラ好きのおじさんが声をかけてくれる――といった、その頃としてはごくありふれたシーンを体験することができたのだ。一般におけるインターネットの普及は急激に広まって、100万画素程度の安価なデジタルカメラがそろそろ家電量販店で目に付いた頃ではなかったか。
 そうして2000年代に突入――。21世紀である。驚くべきことに、あれからもう20年の歳月が流れたことになる。そう、そうであった。その頃の時代で、私がすっかり忘れかけていたのは、月刊誌「ヤフー・インターネット・ガイド」(ソフトバンク)をむさぼり読んでいたということである。
 「ヤフー・インターネット・ガイド」を読み始めてからというもの、いよいよそのインターネットに対する興味の熱情が、具体的にはPDAからデスクトップ・パソコンへと移り、モバイルギアを売却してソーテック(SOTEC)のパソコンを購入したのが、まさに2000年代に突入した直後のことであった。契約していたPHSによるインターネット通信を、今度は固定電話によるインターネット通信(インターネット利用料に通話料込みの定額+従量課金制)に切り替えたのが、まさにそうした時期である。
 最初に契約したプロバイダーの料金体系では、4時間までが1,750円で、超過以降の料金は1分10円ずつ課金という仕組みだった。したがって、送受信をする時は回線をオンライン状態にし、従量の時間を節約するため、ブラウザで読み込んだらすぐに回線を切ってオフラインにしておく――というのが当時の常套手段であった。月間のトータルでのオンライン時間をなるべく減らすためには、そのオンラインの時間を逐一計測し加算しておくのが重要だったのである。
 私が当時のWindowsパソコンで使っていたWWWのブラウザは、IE5(Internet Explorer 5.0)だったはずである。が、使い勝手の善し悪しに関しては、まだその頃の私には何も判断できなかった。Netscapeとどちらがいいとか、どちらのブラウザの読み込みが速いとかどうとか…。とにかく初めて尽くしのパソコンであって、メディア・プレーヤーを使って世界中のラジオ局の放送が聴ける! という触れ込みだけで興奮状態に陥った私にとっては、ブラウザの性能だとか何だとかは、ほとんどどうでもよかったのだった。
 ネットとパソコンに関する情報源は全て、月刊誌「ヤフー・インターネット・ガイド」に頼り切りであった。ほとんど毎月のように地元のイトーヨーカドーの書店でそれを買っていたことを思い出す。付録のCD-ROMから便利なフリーソフト(例えば高機能な圧縮ソフトやAdobeのAcrobat Reader、日本語エディタなど)を入手するのも楽しみの一つであった。
【海外ウェブサイト[Legendary Lighthouses]】

伝説の灯台がここにある

 さて、ごく最近、古書店で見つけてきた、古い「ヤフー・インターネット・ガイド」がいま手元にある。1999年1月号――。つまり、22年前の本である。表紙のモデルが、若き頃のタレント遠藤久美子さんだというのが、どことなく懐かしい。渡邊孝好監督の映画『ショムニ』に出演した頃である。
 この号の特集記事すなわちメイン・コンテンツの一つには、当時ブラウザ戦争の最中であったNetscapeに関する「最新版4.5の詳細から次期5.0までを網羅 ネットスケープ最新版のすべて」というのがあり、なんと14ページも割いたてんこ盛りの記事であった。《最新版のインストール》《パワーアップした新機能》《バージョン4.5の最大の改革はメーラー》といったインデックスが並ぶ。
 とは言え、そうした話題よりも私の関心事は専ら、世界中のラジオ局云々しかり、日本以外の国のウェブサイトをまさしくネット・サーフィンすることにあった。
 この本でそうした情報を特集しているのが、「YAHOO! World Picks」である。例えば面白いのは、当時のUS版YAHOO! では、[Yahooligans!](ヤフーリガンズ)というポータル・サイトが存在していたことである。これは別にサッカーファンのためのサイトというのではない。あくまで、キッズ用に特化したYAHOO! であり、まさに子ども向けのカテゴリーに特化したサイトを検索できるポータルだったようだ。
 その「YAHOO! World Picks」には、「Picks of the Week」というトピックがあって、ここに掲載されていた「伝説の灯台がここにある」という見出しのウェブサイト(http://www.pbs.org/legendarylighthouses/)に私は刮目したわけである。このサイトは、アメリカにある灯台(lighthouse)の歴史や伝説の情報を集めたサイトなのだけれど、なんと今でもネット上に存在し、この当時のレイアウトの原型をとどめたまま、閲覧可能なのである。
【敢えてIE6のエミュレータを使ってサイトにアクセス】
 本文の冒頭、《初期の灯台は、船を導くために丘に立てられた単純なたき火だった》という書き出しは、何ともYAHOO! に似つかわしくない古風な趣を感じるが、そこにピックアップされて掲載されていた灯台の画像写真は、どうやらマサチューセッツ州シチュエートにあるマイノッツ・レッジ・ライト(Minots Ledge Light)という灯台らしく、サイトにある同画像を見ても、その粗いJPGのピクセル画像が何故か微笑ましい。
 マイノッツ・レッジ・ライトの初代灯台は、1850年頃に建造され、それを設計したのは、ボストン出身の設計技師イザヤ・ウイリアム・ペン・ルイス(Isaiah William Penn Lewis)だそうである――。ちなみにこの情報は、そこに記されていたわけではなかった。他の情報源から私が入手したのである。「伝説の灯台がここにある」のサイトには、ただぶっきらぼうに画像のギャラリーがあるだけで、各々の灯台のこまかな情報が載っているわけではない。しかしながらそれが、かえって旧い一昔前のウェブサイトのゆるさだったりもして可愛らしく、いまだにこういうサイトが私は好き――なのである。
【アメリカ中にある灯台を地域ごとにフォト・ギャラリーにしたページ】

ネット上の生きた化石を探せ

 20年も経てば、個人系ウェブサイトなどは特に、オーサーの、いわゆる“大人の都合”以外の理由においても、例えばサーバーの都合で削除されてしまうケースが多々ある。オーサーにも見放され、放置されてしまったウェブサイトは、なんとも忍び難い哀愁を帯びているようにも感じられる。
 個人的に、あの時代に掻き集めたブックマーク(URLのリスト)をいま辿ってみようと思っても、ほとんど消えて無くなっていたりするのだから。遣る瀬ない。いや、やはり物悲しいものである。この灯台もと暗し…ではなかった「伝説の灯台がここにある」のような当時のままのサイトを眺めると、それ自体が健気に生きているかのようで、そうした発見に心が躍る。言わば、サーバー上に残された“生きた化石”のようであって、私はそうした旧くなったサイト(あるいは放置されてしまったサイト)を見つけるべく、冒険心を掻き立ててネット・サーフィンするのも、何やら私の疚しい趣味と化してきた――ようである。
 追記ながらもう一つ、「ヤフー・インターネット・ガイド」の1999年1月号に掲載されていた個人サイトを紹介しておく。「スペイン900km巡礼旅日誌」である。53歳のオジさんが、ヨーロッパの3大巡礼地であるスペイン・サンティアゴ巡礼道を徒歩で40日間旅した記録である。たいへん読み応えのあるウェブサイトとなっているので、興味のある方はぜひ閲覧していただきたい(※当時のドメインではなく、新たなドメインで復元されているようである)。

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