老人と子供のポルカ

【左卜全とひまわりキティーズが歌う「老人と子供のポルカ」】
 所有していたヴァイナル(レコード盤)が、家中を探しても、どうしても見つからない。いま私は、EP盤の「老人と子供のポルカ」(ポリドール)を探している。
 これを歌っているのは、俳優の左卜全さんとひまわりキティーズである。1970年2月に発売されたシングルのヴァイナル。10年くらい前に買い、保管しておいたはずなのに、どこにも見当たらないのであった。
 心霊研究家の中岡俊哉先生の本の中で、左卜全(ひだりぼくぜん)さんの霊を呼び寄せる実験――昭和48年にフジテレビの番組でおこなわれたという招霊実験――について書いてあったのを、私が思いだしてこのブログに書き記したのは、もうかれこれ10年ほど前になる(「左卜全と心霊写真」参照)。
 卜全さんの霊を呼び寄せる実験の様子を放映していたテレビ画面の複写写真に、心霊が、つまり卜全さんの霊が写っているのではないか――というのだが、中岡先生の鑑定によると、その写真に写っているのは卜全さんではなく、別の人の浮遊霊だという話。
 こうしたエピソードを紹介したことがきっかけで、私は「老人と子供のポルカ」のヴァイナルを買い求め、それを所有していたのだけれど、今、手元にない――。ふっと、どこかに消えてしまったヴァイナルは、まさしく卜全さんの霊体のように、そもそも形として無かったのではないか。こんな恐怖の体験に駆られながらも、今一度、卜全さんの歌う「老人と子供のポルカ」について触れておきたいと思ったのである。

➤左卜全という怪優

 卜全さんの来歴については、珍しくWikipediaが詳しい。
 1894年(明治27年)、埼玉県出身。本名は三ヶ島一郎。公私に隔たりなく、奇人に見えた人であった。Wikipediaの書き込みが比較的仔細に富んで詳しいのは、卜全さんが、とくに黒澤明監督の映画作品に多く出演し、その個性的な存在感を存分に発揮していたせいもあるのではないか。
 佐藤忠男著『黒澤明作品解題』(岩波書店)には、卜全さんについてこんな記述がある。
《黒澤明は、メリハリのきいた明晰なセリフまわしの俳優より、聞きとりにくくても個性的な面白い喋り方をする俳優を好んでいるように感じられ、高堂国典や渡辺篤がその好例であるが、左卜全はその最たるものである》
(佐藤忠男著『黒澤明作品解題』より引用)
 帝劇オペラ出身(帝劇歌劇部)で、戦前はコメディアンとして軽演劇畑(新声劇やムーランルージュ新宿座など)にいたともあった。
 Wikipediaによると、帝劇オペラにいたのは1914年(大正3年)からのおよそ2年間で、聴けば「老人と子供のポルカ」で卜全さんが素っ頓狂に歌っていながらも、素人が歌うのとは違い、どことなく芯がともなって聞こえるのはそのせいかとも思われる。
 ともかく卜全さんは、怪優(あるいは迷優)という印象が強く、生涯において出演しこなした映画やテレビの作品数は枚挙に暇がないほど厖大であり、脇役に徹した存在感の記憶の印画においては、高倉健や吉永小百合をはるかに凌ぐ名俳優であったと言っても、過言ではないだろう。没年は1971年である。
【斬新さを超越した社会風刺となっている歌詞】

➤老人と子供のポルカ

 私が「老人と子供のポルカ」(作詞作曲は早川博二)を聴いたのは、小学校の昼食時の学校放送であったことは、既に述べた(「左卜全と心霊写真」参照)。小学1年から6年まで、昼食時の学校放送でくりかえしくりかえし流され、聴き飽きたことにもふれた。
 軽妙なイントロの直後の卜全さんの歌い出しが、「助けてー ズビズバー」で、「パパパヤー」とひまわりキティーズの掛け合いのコーラスが入る。聞き飽きていたとは言っても、私は当時も今も、この曲が大好きである。
 永井豪原作の『ハレンチ学園』についてはふれないが、丹野雄二監督の映画版(1970年)でこの曲が使われていることは押さえておく必要がある。
 歌詞の中に「ゲバゲバ」とあるのは、ドイツ語のゲバルトのことで、当時の学生運動や三里塚闘争(成田闘争)のように、極端な行動による反対デモ運動(抗議活動)が多かったことを示唆しており、歌詞の「やめてケレ」に掛かる。2番に出てくる歌詞の「ジコジコ」は、事故すなわち交通事故を指し、当時交通事故の多発が社会問題となっていた。
 3番の歌詞の「ストスト」はストライキのことで、いうまでもなくこれは労使問題の社会的噴出(抗議活動)を指し、ナンセンスな調子で「やめてケレ」に掛けている。
 ちなみに「おお神様 神様 助けて パパヤー」の歌詞は、もはや傑作中の傑作といえそうだ。ポルカという舞踊的民謡の趣向範疇を超えて、当時の日本の、戦後25年目のありのままの現実社会を見事に炙り出している。

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