写真集『The Sydney Dream』のこと

 私の子ども時代の“オリンピック”のイメージは、ごく限定的で、1964年の東京五輪で金メダルを獲得した、“東洋の魔女”の女子バレーボール。それから、江崎グリコのゴールインマーク。このマークの由来はオリンピックと無関係であるが、グリコのキャラメルをよく買っていた頃に、自分の中で勝手に結びつけていたイメージであり、オリンピックといえば、私の中では64年の東京五輪とグリコしかなかった。

【度肝を抜かれた2000年のヌード写真集『The Sydney Dream』】

ロス五輪とリオ五輪のこと

 物心がついて、国際的なオリンピックの華やかさに目覚めたのは、小学6年の夏の、ロス五輪(1984年)の時だった。ちょうど、夏休みの最中であった。
 この時のエピソードは、当ブログの2016年8月3日付「リオ五輪の競泳を応援する私」で触れている。職員室のテレビに映し出されたオリンピック中継を廊下からガラス越しに見て、その賑やかな音声から伝わってくる海の向こうの彩色豊かな世界は、私のオリンピックに対する無邪気な憧れを決定づけたといえる。

 以後、記憶の片隅にオリンピックの繁栄の兆しを強く刻み込んだのは、ソウル五輪、リレハンメル五輪、長野五輪、アトランタ五輪、シドニー五輪、そしてずっと後のリオ五輪しかなく、実に乏しいくらいである。
 もともと私は、スポーツが得意な方ではない(ということに自他共に認識されてしまっている)。したがって、4年毎のオリンピックの記憶は、きわめて断片的であって、特にどの競技に強く関心があるというわけではなかった。夏季オリンピックの競技で強いて挙げるなら、レスリング、柔道、マラソン、競泳、体操、バレーボールといったところの公式試合を、見たりすることが多かった。
 ちなみに、最も記憶に乏しいのは、コロナ禍で延期され、ズブズブに開催された、東京五輪(開催年は2021年)である。印象が殆ど無い。

 何度もいうように、私はスポーツ全般に疎い。
 それが珍しく、2016年夏のリオ五輪の時、競泳の瀬戸大也選手をどっぷりと応援しようと思った(応援した)という話は、先述の「リオ五輪の競泳を応援する私」の中で書いている。この時、400m個人メドレーで萩野公介選手が金メダル、瀬戸大也選手が銅メダル入賞で、「揃って表彰台に立った」映像は、私の記憶の中にも根強く残っている。

【ナオミ・ヤングとイレーナ・オレフスキーの華麗な水中写真】

シドニー五輪に絡んだオーストラリアの写真集

 そんなオリンピック門外漢が、これ以上つらつらとオリンピックについて書き連ねるのは、とてもおこがましくて恥ずかしいので、已めておきたい――ところなのだけれど、これまでにおいて唯一、オリンピックについて神妙に向き合った思い出が、あるにはある。
 それは、2000年のシドニー五輪の際に、オーストラリアから出版された、大判の写真集『The Sydney Dream』(Black+White)との邂逅である。

 ところで、第27回夏季オリンピックのシドニー五輪は、2000年9月15日から10月1日までの17日間開催された。当時、私は28歳だった。
 あの頃のことを振り返ってみると、当時、私は人生で最もつらい、孤独な日々を過ごしていたように思う。数年前に地元の小劇団を辞め、音楽活動に専念していたのを思い出す。しかし、協力者や支援者などなく、挫折の辛酸を嘗めていた時代だった。
 そんな時に、テレビで見たシドニー五輪の印象は、悔しいほど自分とは別世界の、華やかな世界だった。栄光と勝利の絶叫がうずまき、観客の拍手喝采が割れんばかりにあふれる、いわば越境の別天地の出来事だった。その中で一番輝いていたように見えたのは、競泳のイアン・ソープ(Ian Thorpe)選手だった。彼は400m自由形で金メダル、200mで銀メダル、そのほかの競技を合わせて5個のメダルを獲得している。

【競泳のレジェンド、グラント・ハケットを水の入った生け簀に閉じ込めた写真】

 シドニー五輪全体の、個人的な印象はこうだ。
 開幕式でオリンピックの聖火をともしたのは、先住民アボリジニの陸上選手キャシー・フリーマン(Cathy Astrid Salome Freeman)。彼女は、陸上400mで金メダル。柔道では、田村亮子、野村忠宏、井上康生、瀧本誠らが活躍した。マラソンの中継では、高橋尚子選手が日本の女子で初の金メダルという偉業を成し遂げ、劇的なフィナーレを迎えた。のちに彼女は国民栄誉賞を授与される。
 それからレスリングでは、アメリカのルーロン・ガードナー(Rulon Gardner)が“霊長類最強の男”といわれたアレクサンドル・カレリン(Aleksandr Karelin)をついにやぶった。この時のグレコローマン130kg級の試合は、シドニー五輪のハイライトとも思われた――。
 そんなシドニー五輪の印象であったが、写真集については、私がどういうルートでそれを入手したのか、今となってはよく憶えていないのである。

 『The Sydney Dream』。
 モノクローム刷りの表紙の人物は、実に雄々しい表情で幾分強張っているように見える。彼は、オーストラリア出身の水球選手ダニエル・マースデン氏(撮影者はジェームズ・ヒューストン)。本の中で彼ら――つまり、マースデン氏と、男子水球のオーストラリア代表チーム――をモデルにしたフォトが、全8ページにわたって掲載されている。

 最初に断っておくと、この写真集は、いわゆる「ヌード写真集」である。
 テレビでのオリンピックの印象とはまるでかけ離れた、“異なる世界観”を創造していたのが、『The Sydney Dream』であった。
 オーストラリアを代表するシドニー五輪出場選手らが、様々なシチュエーションで己の肉体美を顕示し、その圧倒される質量のカットを収録した「ヌード写真集」。しかし私は正直、こうしたコンセプトに度肝を抜かれたものの、真の意味でこれらの商業ビジネス、又は芸術的な観点について理解しておらず、この手の趣向にすこぶる疎かったのである。

 少し脱線した話をすると、“個人的な悩ましさ”という意味において、そもそも「ヌード写真集」を買うことに、まだまだ抵抗感があったのだ。
 しかも“男女”のヌードである。インターネットに接続するようになってまだ日が浅い頃だったので、もしかするとこの写真集は、当時、何処かのネットショップで入手した可能性がある。しかし、それでも相当な抵抗感があった。
 セクシュアリティに関する社会的な理知や私的な観念において、当時の私は、無知といわざるを得なかった。強いていえば、『The Sydney Dream』との邂逅は、90年代に関心をいだいた、写真家五味彬氏の“YELLOWS”シリーズ以来の衝撃だったかも知れないのである(「YELLOWSという裸体」参照)。
 『The Sydney Dream』の写真の中で、私がとくに興味を示したのは、「水+裸体」のコラボレーションによるいくらかのカットであった。そのうちの水中写真のたぐいは、とても美しいと思えた。

【生け簀の中でも泳ぎたくなるのか? グラント・ハケット】

生け簀の中のレジェンド

 水中写真といえば、写真家ローリー・シモンズ(Laurie Simmons)の写真集『ウォーター・バレエ』(“WATTER BALLET/FAMILY COLLISON”/1987年刊)を思い出さざるを得ない。しかし、あの当時、私はまだローリー・シモンズという写真家さえ知らなかった。むしろ、「水中で泳ぐ人体の写真」というもので、初めて美しいと思えたのが、『The Sydney Dream』だったということになる。

 サンディ・ニコルソン撮影による水中写真――アーティスティックスイミング(当時はシンクロナイズドスイミングと呼んでいた)の選手、ナオミ・ヤング(Naomi Young)とイレーナ・オレフスキー(Irena Olevsky)の水中写真――は、その青みがかった肉体がまことに優美に写し出され、現世とは思えない夢幻感を醸し出しており、芸術的観点で述べるとするならば、既にこれらのカットは、本来のアーティスティックスイミングの芸術性を高く飛び越え、何ら競う必要がないほどだ。しかも、人間的である。
 ローリー・シモンズのそれが、「死の予感」というその先の「生」の不安感を傍受しているとすれば、サンディ・ニコルソンの写真は、もっと野性的で享楽的な、「ユートピアの水中写真」といっていい。

 水中による優美なカットは、それ以外にもあった――。
 ただならぬ記録保持者で“水の王者”といわれた、競泳界のレジェンド――グラント・ハケット(Grant Hackett)を被写体にした、奇想な“水槽写真”が、それである(撮影者はジェームズ・ヒューストン)。

 水槽の中で手錠や足枷を外し、水面に脱出するマジックショーを、私はかつて映像で見たことがある。しかし、優美さという点では、全くそれが足りないし、そそられるものは何一つない。
 だが、グラント・ハケットが水中に存在するだけで、なぜこれほどまでに、優美なのだろう。彼は人ではなく、人魚、あるいはフィッシュそのものなのだろうか。
 なんとも奇抜なシチュエーションで、その彼が、むろん全裸で、水槽の中に閉じ込められている。

 水槽というより、もはやそれは、生け簀(いけす)であった。
 生け簀とは、《とった魚を水中に囲って、生かしておく所》とある(三省堂『現代新国語辞典』第六版)。いうまでもなく、生かしておいた魚を、あとで調理し、食べるのである。新鮮な魚を食べるための、恰好な手段が、生け簀なのであり、水槽の実用だ。

 彼を――競泳のレジェンドのグラント・ハケットを――生け簀に閉じ込め、食べる前に鑑賞しておこうではないか――。人を魚に見立てるなど、きわめて醜悪、露悪趣味になりかねない演出であるが、彼の場合、決してそうはならなかったというか、そう見えないのだ。
 写真では、彼の体がとても大きく見える。身長197cmの長身なのだから、当然である。写真が撮られた当時は、まだ19歳か20歳だったはずだ。つまり、197cmの長身のレジェンド――オーストラリア人の、いや競泳界の誇り――の彼を、水槽(=生け簀)の中に閉じ込めてしまおうとプランニングした人は、よほど奇矯な頭の持ち主だったか、大天才であろう。ものの見事に、写真作品の成功例として、「グラント・ハケットの生け簀写真」というこのセンスの良さとスケールの大きさの収穫は、文字通り、“シドニー・ドリーム”そのものであった。

【シドニー五輪では金メダルを獲得した女子水球選手のブロンウィン・メイヤー】

「肉体美」の供給へ

 私の中でオリンピックというものの定義が、そこに至るまで、つまり、“東洋の魔女”とグリコのゴールインマークと、海の向こうの彩色豊かなロス五輪というイメージを経由して、「選抜された記録保持者の選手が個々の種目で運動能力を競い合い、新記録に挑むスポーツの祭典」と確信されたのに対し、2000年出版の『The Sydney Dream』におけるオリンピックの運動性だとかスポーツ性といったものは、遥かにそれを凌駕し、芸術的観点を高め、新たな価値観へ意向してしまったといっていい。これが、商業ビジネスのたくましくも望ましい一形態であるとしても。

 人種や国籍を問わず、「運動」そのものの最高潮を競い合うことが美徳とされ、それがメディアによって写し出された時、世界の人々は、平和を認識する――。そういった私の中での、しおらしい生真面目なオリンピック像は、ヌード写真集『The Sydney Dream』を手にしたことによって一掃され、新しめな価値観へのいざないに気付かされたのであり、むしろ、ジェンダー論でさえ古めかしいと思えるほど、高度な汎用性のある社会的言及課題、あるいは率直なる芸術的スクリプトだった。
 もっとわかりやすくいえば、現役のオリンピック選手であっても、脱いでいい、ピュービック・ヘアを覗かせてもいいのだ、というあっけらかんとした解釈である。

【自転車競技選手のカデル・エヴァンス氏は黒い液体を泥に見立てて演出されたか】

 『The Sydney Dream』の活写は、オリンピック選手達の「肉体美」にこそ主眼が置かれていた。このことは、それまでの私の旧態の感覚になかった着眼点であった。ビジュアルとしての彼らの姿は、ややもすると、それぞれの競技の公認選手としてのアピールポイントを具えていなければならなかったが、公式ウェアを一切纏わない、鍛えられた裸の肉体のみを顕示したビジュアル本の様相は、とどのつまり、「若い時に鍛えられた体の形」の記録と、死相の視覚的忘却論ということになろうか。なぜここに、イアン・ソープ氏の写真が無いのか、どなたかご存じの方はぜひとも教えてほしい。

 セクシュアリティのタブーを解禁、もしくは自己再形成されたヌード・フォト――といった、日本人ライターが書きそうな表現を、私は好まない。“東洋の魔女”のやまとなでしこ像と、グリコのゴールインマークのアウトラインをなぞれば、そんなような思いつきのフレーズしか出てこないであろう。
 そういう意味で日本人はまだ、平凡な既視感から抜け出せていないように思えるが、『The Sydney Dream』に写し出されていたのは、あくまで選手達の肉体のみであった。「運動」という本来的なテーマはいっさい問わず、あくまで個々の、おとなに成り立てた「肉体美」=ヌードの可憐な挑戦が、そこでひしめき合い、華麗な世界観を創り出していた。

 この優美な新しめのコンセプトの写真集を、23年前に見たことによって、私のオリンピックもしくはスポーツ選手に対する先入観や思い違いが、解き放たれた――という主旨で話をした。人間由来の「肉体美」が「運動」をつくりだし、「運動」が人間由来の「肉体美」を引き出しているという普遍的な事実に出くわしたのである。

 最後に蛇足になるが、同じBlack+Whiteの出版物で、『The Atlanta Dream』というのがあるらしい。
 これは詳しく説明するまでもなく、1996年のアトランタ五輪の同様のコンセプトの写真集であるかと思われる。
 現時点で、私はこれを見ることができていない。ネット検索でも、国内でこれを入手するのはかなり難しくなっているように思う。果たして本当に、この写真集は存在したのだろうか。兎にも角にも、この写真集がどれほど芸術点が高いかすこぶる興味があるので、いずれ入手できたら、ご報告させていただく。ご期待あれ。

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