人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ

 前回からの続き。
 女性週刊誌『女性セブン』昭和50年7月2日号に掲載された企画記事「あなたの彼にいかがですか?」。
 こうした率直な企画が――つまり、一般人が素性を明らかにしたうえで、少々可笑しみを加味してパンツ姿をさらす、なんていうのが、昭和時代の雑誌メディアで蔓延っていたかどうかについて、私は詳しく知らない。
 たぶん、それなりにあったのかもしれない。今の時代のコンプライアンスに照らし合わせて、私はこれらの写真に目線及び氏名箇所に黒塗りを入れ、自主規制させてもらったが、この手の企画を思いついた人は、なかなかユニークなセンスがあると思うし、下着の宣伝としても少なからず効果があったのではないか。

 前回、トップページの写真をもとに、菅谷=ジョッキーの社史にふれつつ、「Yフロント」について説いたが、今回はそれ以外の4カットを全て紹介することにする。元の記事(写真)のページは、全てモノクロであったが、私の独断により、AdobeのAI技術でカラー化してみたのだった。この驚くべき技術によって、当時の撮影風景が生々しくあぶり出されたといっても過言ではないだろう。
 さあ、どうでしょう。「人新世のパンツ論」にお誂え向きの、昭和の貴重なパンツ写真である。ここは一つ、マーティン・ギャリックス(Martin Garrix)のビートの効いた音楽でも聴きながら、1970年代にトリップし、日本の若者が穿いていたであろうパンツに思いを馳せてみようではありませんか。

レナウンとアーノルド・パーマー

 記事の2ページ目は、レナウン(Renown)さんである。アパレルの世界で、レナウンの功績を知らない者はいない。《かさマークのアーノルド・パーマーは、シャツ、セーターもそろっています。オシャレにうるさい人にはスキャンティーはいかがですか?》。アーノルド・パーマー(Arnold Palmer)に、ダーバン(D’URBAN)ね。それが70年代のトレンドであった。
 レナウンといえば、これはもう説明を省いてしまうけれど、「イエイエ」に「ワンサカ娘」のインパクトは強烈で、それらのコマーシャル・ソングはしっかりと耳に残っている。しかも、レナウンはテレビ朝日(旧NETテレビ)系列の『日曜洋画劇場』のスポンサーでもあったので、映画狂の幼少期から私は、傍らでレナウンのファッション・モードにとても憧れを抱いていたのだった。

 レナウンと提携していたアーノルド・パーマーのブリーフ、及びスキャンティを穿いたレナウン社員4人衆は、意外にも室内での撮影であった。後ろの壁に絵画が飾られ、気品が感じられる部屋である。左から2人目のYさん(26歳独身)と右端の大柄なKさん(25歳独身)が穿いているのがスキャンティで、今ではこれを普通にローライズ・ブリーフといってしまう。

 ただ、レナウンさんの場合、これをスキャンティといったほうがそれらしく、おしゃれなのである。
 下着デザイナーの鴨居羊子さんがキャミター、ペペッティ、ココッティ、スキャンティなんて書いてイラストを添えていたのを、以前私は『洋酒天国』で読んだことがあるが、女性のラグジュアリーなランジェリーについてはもう少し後の稿で語ることにしたい。
 このレナウン4人衆を見た限りにおいては、フェミニンが漂う。悪気のないフェミニンである。それ自体、当時としてはあまりに斬新であったと思うのだが、“女性から喜ばれる男性のパンツ”という観点で、レナウンのスキャンティは、「あなたの彼にいかがですか?」の企画に最も適合したアイテムといえそうだ。恋人からプレゼントされたスキャンティを穿いて、ウィークエンドの夜で二人だけのベッドタイムにいざなう様子を、私は思わず想像してしまった。どこまでも清潔感があるレナウンのブリーフには、そういう楽しみ方もできる。

真正パンツのブランドはB.V.D.

 B.V.D.――Bradley(ブラッドレー)、Voorhees(ブーヒーズ)、Day(デイ)の3人の創業者の名の頭文字、であることは以前書いた――のパンツ社員3人衆の写真からは、そこが日当たりの良いビルの屋上の、非常階段なのかどうかは知らないが、やや気取った態度で古き日本人らしさの固定観念を打ち払った、当時としてはそういうアヴァンギャルドな若者の雰囲気が感じられる。《男性の90%は白を着用。下着のイメージを大切にする彼にはB.V.D.の白を。でも柄のトランクスも涼しくっていいですよ》
 はい、スキャンティとは無縁です。
 これぞ、現代日本人の、真正ブリーフ&トランクスだといわんばかりの、お子さんからおじいちゃんまでが一生涯穿き続けることができるであろう、毅然としたブランドであることに相違ない。パンツで何を買うべきか迷ったら、まずB.V.D.だ。迷わなくてもとりあえず、B.V.D.を穿いてみろと声をかけずにはいられない。左端のFさん(25歳独身)が穿いているのはゴールド・ブリーフ。真ん中のSさん(25歳独身)は、柄のトランクス。

 このトランクスというパンツは、身につける肌着として本当に便利なもので、いかなる条件、いかなる理由があろうとも、ともかくああしたこうしたシチュエーションでパンツを穿いておく必要性に迫られた、いわば社会的紳士としての“一橋頭堡”でありたければ、トランクスをただちに穿け――。
 それは、誰も文句をいわない。厳密にいうと、それ以上の文句がいえないのが、トランクスというパンツの強みなのである。恋人であろうが奥さんであろうが、上司であろうが部下であろうが、あなたが懇ろなジェントルマンでありたいと思う当然の気持ちは、トランクスが全てを受け入れ、容認し、あなた自身の心構えを、あなた自身の人生の選択を、決して否定したりはしない。それはただの腰巻きだから。
 したがって、どんなパンツを穿くべきかで悩んだら、まずB.V.D.を選ぼう。そして、柄のトランクスを選ぶべきだ。表に露出するネクタイとは違って、どんな柄のトランクスでもいい。決して誰も、その柄が派手だとか地味だとかで否定しないから。若者諸君よ、どうか、安心したまえ――。

 右端のTさん(25歳既婚)が穿いているのは、同じゴールド・ブリーフでもこちらはビキニタイプ。
 ビキニタイプを選ぶには、トランクスの場合と違って、よほど肉体に自身があるか、自分が何者であるかを多少誇示したい欲求がある人でなければおしゃれに見えないが、Tさんはその条件を満たしていそうだ。ただし、このパンツはあくまでビキニタイプであり、スキャンティとはいわない。
 スキャンティらしさというのは、もう少し違った欲求に駆られた時におしゃれに着こなすものであるが、B.V.D.にはふさわしくないのだ。狭義のビキニタイプのパンツの概念を誕生させた、そのビキニスタイルの発祥については、後で述べることにしたい。

一億総中流時代の鑑だったグンゼ

 さあ、グンゼさんです。グンゼさんのパンツ社員3人衆は、これまた自社の屋上っぽい所での撮影。カメラマンの沢木さんも連日の撮影に疲れてきて、「めんどいからここの屋上で撮りますね」ぐらいのガスの抜けたような気持ちで挑んだ可能性が、ないとはいえない。
 しかしながら、それに反して、なんと笑顔の美しい若者たちではないか。恋人もいない独身寮の畳部屋で悶々と寝っ転がって間借りしているような若者では、決してこんな笑顔は生まれないのだ。彼らには恋人がいる。日曜日が待ち遠しくてたまらない。海へ行こう。そんな気持ちがなければ、こんなのっぺりした社屋の屋外で笑顔を振りまけるはずがないのだ。
 とびきり陽気なカットでベストショットといえる。こんな仕事、ふつう嫌がるものだが、さすがに老舗グンゼさんの若手社員、腹構えというか育ちがすこぶるいいようです。もしかして明大卒でしょうか…。そりゃあグンゼといえば、アンダーウェアでよく知られる大手企業であるので、アパレル業界に関心があり、なおかつ下着に愛着を感じる健全な者たちが、津々浦々から寄り集まってきている、と考えられる。
 そういう若者の方々であれば、申し訳ないけど、パンツ姿でモデルお願いね、と上司に指示されても、はい、待ってましたー!! といわんばかりに3秒でスーツを脱ぎ、5秒でワイシャツを脱ぎ、たった20秒で裸になって屋上への階段を駆け上がってくるはずである。なんの心配もいらないのである。ほら、こんな、《ビキニはヤング・ジェントルマンのわたしたちにぴったりでしょ。肌ざわりもクールです。足の長い彼だったら、トランクスがよく似合いますよ》。パンツの話をしだしたら、絶対に明け方までしゃべり続ける猛者たちに違いない。

片倉工業とピエール・カルダン

 最後は、片倉工業(カタクラ)さんである。いやいやこの若手社員の御三方、フィッシュマンズのジャケットよりも激しくジャンプしてる感じ(あのジャケットはジャンプではない?)。空中キャンプならぬ空中パンツです。
 かつては戦前より、社会科の教科書にも登場する世界遺産となったあの「富岡製糸場」の操業主でもあり、そういう由緒正しい片倉工業さんがカルダン――カルダンとはいえば、ピエール・カルダン(pierre cardin)。フランスの名ブランド――といったところと提携(ライセンス契約)を結んでいた頃で、社員たちは無我夢中で空中パンツ、いやジャンプしていたわけである。
 左端のYさん(25歳独身)が穿いているのは、カルダンのニュートランクス(なんと価格は当時1,800円)。真ん中のHさん(29歳独身)は白地のシャットブリーフ(片倉工業の自社ブランドのキャロンのアイテムか?)を穿き、右端で美しくジャンプしているNさん(27歳既婚)が穿いているのは、これまたビキニブリーフで、それもカルダンで、まことにおしゃれな出で立ち。
 そりゃ、そうだ。だからいってるでしょ。既婚者、そう、奥さんがいるんだって。愛する者が身近にいる若者は、ジャンプだって美しいのですよ。顔だって凛々しいじゃないですか。《カルダンのデザインで、下着に高級なイメージをもたせました。着ているだけで、なんだか自身がわいてきます。一味違うんです》。ほらね。

ビキニスタイルの誕生

 ブリーフ(brief)というのは「短い」とか、「簡潔な」と訳される語である。知ってのとおり、男性用及び女性用のアンダーパンツを指したりする。要するにブリーフは、「丈の短い下着」という意味である。そしてこの種のビキニブリーフと称するパンツは、「さらに小さく丈の短い下着」ということになる。このことを先に述べておく。

 ビキニ(bikini)とは、そもそも、中部太平洋のマーシャル諸島の環礁名、すなわち、“Bikini Atoll”のことである。
 そのマーシャル諸島の環礁を指さない場合の、ビキニの語については、三省堂の『新明解国語辞典』(第八版)ではこんなように語釈が付け加えられている。《乳の部分と下腹部とをそれぞれ申し訳程度におおっただけの、セパレーツ型の女性の水着。ビキニスタイル》。たしかにそのような意で、子どもの頃から私は、ビキニとは女性が身につける水着であり、それも普通の水着よりもさらに小さい《申し訳程度におおっただけ》の布きれのパッチ的なものをイメージしていた。

 1946年7月1日、ビキニ環礁で、米軍のクロスロード作戦があった。原爆実験である。第五福竜丸が被爆したビキニの水爆実験は1954年3月1日のキャッスル作戦のブラボー実験であり、クロスロード作戦はそれよりも8年前の核実験であった。
 1946年のクロスロード作戦より2か月前、フランスのデザイナーのジャック・エイム(Jacques Heim)氏は、斬新なツーピースの水着を発表し、それをアトムと名付けた。そもそもアトムとは、元素の最小単位である原子の意で、要はそれくらい小さなツーピースということがいいたかった商品であったわけだが、実際のところ、当時のツーピースは今と比べると、腹部の露出がさほどではなかったらしい。ただ、当時の常識としては、肌の露出度がきわめて高いと非難され、海水浴場での着用は禁止とされた。

 同じくフランスのファッションデザイナーであるルイ・レアール(Louis Réard)も、その頃、短いツーピースの水着を開発していた(1940年頃にサン=トロペのビーチで着想したという)。そしてそれをジャック・エイムのアトムに負けじと競い、ビキニと名付けて発表した。
 「爆弾のようにビキニは小さくて破壊力がある」(“like the bomb, the bikini is small and devastating”)。クロスロード作戦開始4日後の記者会見での水着発表。ちなみに、このパリでの記者会見で、モデルとなって水着姿をさらしたのが、フランスのヌードダンサーであったミシュリーヌ・ベルナルディーニ(Micheline Bernardini)。彼女は瞬く間に“爆発的”な人気を博し、時の人となった。ただしこの人気は、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)へと引き継がれていく。
 ルイ・レアールがその時発表したビキニは、正真正銘、今日でも殿方が想像されるような、過激なビキニスタイルのそれといってよく、見た目はほとんど、古来日本の褌(フンドシ)に近い形態であり、乳房及び下腹部の陰部を《申し訳程度》に覆っただけの布きれパッチ――むしろこれは、アンダーパンツといっていいくらいの、肌の露出が高いものであった。もし海水浴場でそれを着ていたら、周囲から憚れるくらいの過激さが、今日においてもそのミシュリーヌ・ベルナルディーニのビキニから感じられるのである。

「あなたの彼にいかがですか?」の総評

 こうして、5つの服飾メーカーのパンツの数々を、それぞれの若手男性社員の裸体を通じ、閲覧・鑑賞したことになる。総じて、時代錯誤的な違和感はほとんどなく、実に多様なパンツがあって、どれも奥ゆかしいと感じられた。
 奥ゆかしい――。単純な本音の部分では、わーこのパンツ、かっこいいなあとか、わーこの腰ゴムの感じ、ちょっとダサくないか? とか、一般的にはいろいろそういう感想が聞かれてもおかしくないだろう。所詮、男性下着の存在なんて、それがブリーフであろうと柄物のトランクスであろうと、例えばその柄パンが、不二家のペコちゃんだろうとボーイフレンドのポコちゃんだろうと、眼の前にビキニスタイルの女性がふっと現れたら、あっけなく視線の勝者は女性に輝くことを、男性が穿くパンツなんてそれくらいの無益な存在であることを、私は認識している。

 だが、しみじみパンツ社員の面々を眺めてみると、「包みこんでいるもの」がそもそも皆、違うのであった。この点においては、女性がビキニを穿いているのを見てうっとりするのとは、異にする感覚だ。それぞれのパンツ社員の方々の、個性やら品格とやらに相まって、その内側に「包みこまれているもの」にもそれなりの品格があり、品位があると気づいた時、男性下着的なパンツの存在意義は、ぐっと奥ゆかしいものになるのではないか。

§

 全人類における古今東西の公序良俗の規定では、これを率直にあらわにして衣食住を送ることは、許されていない。であるならば、生活の中で、常に、「包みこんで」いなければならないのである。その品格の形象を包み込むべき原資は繊維であり、柔らかく、伸張性が豊かなものが好ましい。
 もとはつなぎ型のワンピースの肌着だったものが、ツーピースへと分断し、猥雑なおしゃれへと革新した。男性の場合はもっと早い段階で、上半身裸でよしとする公序良俗の規定へと進化していた。私たち人類は20世紀において、いわゆるビキニスタイルの下着の革新によって、生活の規範やあらゆる行動が連動して進化したのではなかったか。
 その証拠に、かつてビキニといえば女性の特権イメージだったものが、性の思考に保守的な日本でさえも、既に70年代でその枠は外され、男性も俗っぽいビキニスタイルを謳歌していたのである。

 新たなパンツの謎が、私の頭の中で生まれてきそうである。ユニオンスーツが男性下着のブリーフへと発展を遂げていく経緯について語るつもりだったが、次回に回したい。

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