ストーンヘンジに魅了されていた頃

【小学館入門百科シリーズ34/和巻耿介著『世界ミステリーゾーン』】

 私がちまちまと配信しているウェブ小説サイト[架空の演劇の物語]「第11章」には、「オレ」が夢を見た云々が記されている。その文面に《巨大で分厚い石像》とあるが、本文下のイメージ画像にも示しているとおり、それはストーンヘンジ(Stonehenge)の《夢》――と申し上げて差し支えない。
 あの小説においては、ストーンヘンジはそれなりに重要なファクターであるし、それをモチーフにした私個人、少年時代にストーンヘンジが大好きだった。ここでは[架空の演劇の物語]の話は避けるとして、愛すべきストーンヘンジについて書き綴ってみたい。

 小学生時代、日曜日になると、自転車を漕いで街(地元の国鉄駅周辺)に出かけ、いくつかの書店やおもちゃ屋をはしごする習慣があった。ろくに勉強もしない、お気楽な小学生である。ちなみに平日の放課後はよく友達と遊んだが、日曜日というのは、「自分の趣味のための時間」という不文律があり、日曜日に友達と遊ぶ約束は極力控えたものだった。もし日曜日に友達が突発的に遊びに来た場合は、なんとなくそわそわしてしまい、自分の時間が持てないことから遊び心がそがれ、変に憂鬱だったりしたものだ。

 ともかく、「自分の趣味」のための日曜日に、大好きな本を読んだり、新しい本を仕入れたり、プラモデルをこしらえたりした時ほど、充実感を味わえたことはなかった。とりわけ、“読書好き”という点は幼少時代からそうであった。そうして、小学生のおそらく低学年くらいの頃に、小学館入門百科シリーズ34『世界ミステリーゾーン』(和巻耿介著/昭和49年初版)を買ってむさぼり読んだわけである。

『世界ミステリーゾーン』の本

《科学の発達した現代にも、まだとけないナゾとふしぎが、こんなにあるのだ!!》
 全くもってミステリーやオカルトの好きな少年であった。この本は、世界中の奇々怪々なミステリーゾーンやオカルトのトピックをかき集めた《ナゾとふしぎ》の本であり、古代遺跡、幻の生き物、超能力、宇宙、地球上の異次元的現象(≠自然科学)の数々が堪能できるのだ。

 本の冒頭では、カラーのイラスト及び写真入りでネッシーや空飛ぶ円盤(UFO)、雪男(ビッグフット)、イースター島の巨石像が紹介されている。
 小学生の私は、もうこれだけでたっぷりと満足感を味わえた。未知なる世界へ一歩足を踏み入れる摩訶不思議な本として、その“怪しい世界”への効果的な導入部でもあった。
 こうした『世界ミステリーゾーン』など、家にあった諸々の児童書は、小学校卒業の頃にほとんど廃棄してしまった。“思春期”の思わぬ落とし穴――というわけではないにせよ、おとなになるための“通過儀礼”として、そういう意味合いが自分の中に強くあったのだろう。ミステリーやオカルトへの関心は、そこで一旦途切れるのだった。
 ちなみに現在、私はここ十数年の間に、かつての小学館入門百科シリーズの既読本をかき集めて所蔵してしまっている。またあの時の“思春期”のような時期がくれば、やはり断捨離するかもしれないのだが…。

 さて、ミステリーとオカルトの話――個人的に関心のあったネッシーの話は既にした(当ブログ「ネッシーと蘇格蘭とクレイモアの酒〈2〉」)。UFOや雪男の話はいずれの機会に譲る。ここでは、巨石像とストーンヘンジの話をしていこう。

【「イースター島の巨石像」のカラーページ】

石器時代の芸術と科学

 実をいうと、どういうわけだか南太平洋のイースター島の巨石像(=モアイ像)に関しては、個人的にさほど掻き立てるものがなかった。

 1722年、復活祭(イースター)の日にオランダ人のロッゲウェーン(ヤーコプ・ロッヘフェーン/Jacob Roggeveen)によって発見された云々が、この本に記されている。《だれが、いつ、なんのため作ったのか、島の原住民も何も知らないし、なぞは解かれていない。ここは古代ポリネシア人の聖地ではなかっただろうか》
 モアイ像の表情があまりに人間的でふくよかで、子供心に恐怖心や神秘的な謎を感じることができなかった、といえばいいのか。イースター島に関してだけは、“怪しい世界”というよりは、むしろ朗らかで牧歌的な印象で、私の中の勝手な“巨石像伝説”の中からは記憶として省かれてしまっている。

 それ以外の2つの巨石像についてが、ひどく関心があった。
 『世界ミステリーゾーン』の「第5章 人類のなぞ」に、「石器時代の芸術と科学」という項がある。このページに、少年時代の私が惹きつけられてしまったのだ。
 ここでの本文は、中央アメリカのオルメカ(Olmeca)人の話と、それからストーンヘンジについて書かれている。しかし、なんといっても好きだったのが、このページの「巨石像の顔」のイラストだ(※この本の挿絵担当は上山博、杉山新一、中西立太、平沢茂太郎、南村喬之、吉田郁也)。これがもう魅力的であった。大きな眼、大きな団子鼻、分厚い唇――。玄武岩に彫られた顔面石像の遺跡。ジャングルで30個発見され、紀元前千年頃のオルメカ人の先祖が作ったとされている。
 Wikipediaによるとこれは、オルメカ文明における「サン・ロレンソ(San Lorenzo)遺跡」の巨石人頭像ということらしい。
 初期の発掘調査をおこなったのは、アメリカの考古学者でオルメカ文明研究家のマシュー・スターリング(Matthew Stirling)という人で、それ以前に遺物自体は発見されていたものの、先古典期前期のオルメカ文明の遺跡・遺物としては、“最初に発掘調査をおこなった”人物である。

 『世界ミステリーゾーン』の本文では、このオルメカ人の顔面石像(巨石人頭像)の話から、いきなり躊躇なく英国ソールズベリー(Salisbury)のストーンヘンジの話に移行している。
 ストーンヘンジ。
 石柱の高さ67メートル、円周110メートル。石柱の上に15メートルの板石。それが橋のようにかかっている…。こうした文章を読んで、私は当時、オルメカ人とストーンヘンジが一緒くたに思えたし、そもそもストーンヘンジのイラストが、この本のどこにも無いのである。ストーンヘンジの実物写真を見た記憶に関しては、この頃前後してほかの書物等で見ていたのではないかと推測する。
 いずれにしても、玄武岩に彫られた巨大な顔、そしてストーンヘンジというわけのわからない石物遺跡に、私はすっかり魅了されてしまったのだった。いわばこれらは、「孤高の遺跡」として私の記憶に刻まれていったのである。

【これが「石器時代の芸術と科学」のページ】

ストーンヘンジの謎

 あらためてストーンヘンジについて調べ直してみたのである。平凡社の『世界大百科事典』(1966年初版)にそれが詳しく記されてあった。

 なにぶん古い百科事典であり、その文面がなかなか細緻に及んでいて、具体かつ造形的であった。要約するのに骨が折れるのである。まず何より、ストーンヘンジは、ウィルトシャー(Wiltshire)にある環状列石だということ。径114メートルの土手をめぐらした濠(ほり)にかこまれ、4重の環石が遺っているということ――。以下、文中の主要な部分を引用してみた。

 第1の環石は、30本の支柱列が円形をめぐり、上に横石をかけわたして、てすりのようになっている。環石の内径29.56m、支柱各石の高さは約4.1m、重さは26,500kg。(中略)
 第2の環石は、高さ1.8mくらいの小立石を円形に配列し、その径は23.3m。(中略)
 第3は、高さ6~7mの大石を組んだトリリトン(2本の立石の上に1本を横にかけわたしたもの)が5組、北東方を向いて馬蹄(ばてい)形にならんでいる。

平凡社『世界大百科事典』1966年初版より引用

 さらに複雑な記述がこまかい字で張り巡らしてあって、私はそれを読むのに目の老化が怖くなったので、これ以外の詳細については割愛する。
 あえてストーンヘンジ――ウィルトシャーのソールズベリーの実物写真――の画像を、ここでは一切載せないことに決めたが、想像を絶するくらいに、その石物の構造は、個々の建造の時代がバラバラであり、目的そのものが時代によって散逸しているのだ。それがストーンヘンジという世界文化遺産の実態である。これ全体がなんの目的で造られたか――と誰しも素朴に思うのは致し方ないのだが、はっきりいって結論としては、それは愚問に近いのである。

 孔列の一部には火葬骨が納められたり、あるいは立石の各所に短剣や銅斧(どうふ)の刻文があったりして、これらの遺構が必ずしも同一時期の建立ではないようである。

平凡社『世界大百科事典』1966年初版より引用

 誰かを丁重に埋葬した墓だった…。一族を束ねるための祭事や祭祀の儀式をおこなった…。などなど、遺構の意味目的は、問うべきではない――と思われる。土塁と堀に関しては、紀元前3100年を遡り、それ以外の巨石等は、紀元前2500年以降のものであるとされる。なおかつ紀元前3000年頃に、今では全く遺されていないけれど、丸太の木造の建造物があったのではないか、ともされている。
 果てしない年月を隔てて、石組が次々とされ、目的や用途も変わっていった。墓場とするか、世俗的な民衆にかかわる「生の表現」のギャラリーとすべきか。いやいや、もっと違うなにかのモニュメントにしようではないか…。
 ソールズベリーのこの箇所は、幾度の時代に複雑に人の手が加えられ、もはや想像を絶するのだった。目に見える形としては、今の巨大石物(環状列石などの集合物)があるだけだ。実に哲学的である。
 もう一度事典を読み返すと、その本文には、太陽信仰との結びつきが最も強いという主張――という記述が不思議と目立ち、これもまたやぶさかではないだろうと思うのである。

巨人が卵を焼くカマド?

 ところで、蛇足に近い話をするが、小学生時代に私が最も鵜呑みにしたストーンヘンジの主たる建造目的の“有力な説”は、なんと空飛ぶ円盤の着陸又は浮上のための基台――だった。

 例えば、ボーリングの玉を置く台のことをボールベース又はボールスタンドという。ストーンヘンジも、飛来する宇宙人の円盤を向かい入れるために先史人が考えに考え、ああいう構造物をこしらえた――という解釈である。しかし、あんな基台を造ったところで、
「アホかいな、こんなボコボコした石の上に着陸させたら、機体がブッ壊れちまうワ!!」
 と、鼻の穴が豆粒くらいしかない宇宙人が、鼻をひくひくさせてさぞかし迷惑がっただろうと思うのである。
 やはり基台というものは、堅固で安定的でなければならない。ただ、そうでないとするならば、ソールズベリーの周辺では、招かれた宇宙人らが地球人を装って(イングランド人を装って)、家族ぐるみに定住し、それなりの暮らしを営んだ――と想像すると、ただ事ではないのである。あの子もあの人も元は宇宙人。よく見れば、目が黒くない。青いではないか。みな宇宙人。〈うーん、あながちそれもありうるな〉と少年の私は鼻をひくひくさせて思ったりした。

 話を『世界ミステリーゾーン』のストーンヘンジ稿に戻す。
 和巻氏はその短い本文の中で、顕著に規範を伺わせる文章でストーンヘンジの“主たる目的”について解説している。

 石器時代の墓の遺跡だと考えられてきたが、最近になって、これが太陽と月の関係をあらわしていることがわかった。角度の誤差は一度以下という精密なもので、石器時代の天文台であったらしい。

小学館入門百科シリーズ34/和巻耿介著『世界ミステリーゾーン』より引用

 以上、ストーンヘンジに関しては、まだ何一つわかっていないと結論づけたい。《石器時代の天文台》というのも、単なる仮説に過ぎないのである。
 かつて古代にとてつもない巨人が住んでいて、フライパンでFried Egg(目玉焼き)をするためにカマド(=ストーンヘンジ)をこしらえたという説は、なかなか説得力のある“有力な説”ではないか。私はこの話を永遠に夢想していたい。

追記:新説を記した「ストーンヘンジに人々は集まった」はこちら

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