春の夕刻、新宿のとあるショップの前で落ち合った。大きな交差点をわたり、ひしめく雑踏から逸れて、私たちはいくつかのビルを横切って角を曲がり、薄暗い路地の奥へ入り込む。そこが、ホテルであった。
灰色のビルである。建物として“着飾る”ものが何も無いのだ。寄ってらっしゃい見てらっしゃいの商いとは別物の異世界。できれば誰の眼にも止まらないでいてほしいという切実な思いが込められた暗渠的領域――それが、大人どうしがちっぽけな肉欲で通い合う連れ込み旅館の宿命であった。
ぼんやりとした鉛色の明かりが、鬱陶しい狭小なフロントを照らして、その小窓の向こうに、しゃがれた声の女性が座っていた。
「ご休憩になさいますか?」
ガラス窓の裏から貼られた厚紙のせいで、顔は見えない。向こうからもこちらの顔はいっさい見えないのだろうか…。そんなことはなかろう…。どうでもいい野暮なことを詮索しながら、早くこの場を去りたいという思いがそれを打ち消す。現金を払い、狭い階段を上がり、私たちはさらに薄暗い廊下の奥まった先に没していった。
影にでもなった気持ち。新宿の誰も知らない片隅で埋没していく私たち。こそこそとした動作で◯◯◯号室のドアを開け、暗がりの部屋に明かりを灯した。ふと中を覗いた時、思いがけないデジャヴに私は狼狽したのだ。ここは、ベイツ・モーテルか…。映画『サイコ』(“Psycho”)さながらの、あのうじうじとした部屋にあまりにも似ている。何かが起きそうな雰囲気が、その部屋に漂い、私に襲いかかってくるのを恐れた――。
ヒッチコックの映画『サイコ』
中学生で既に確固たるヒッチコック映画狂だった私は、高校生の時、近所の書店でフランソワ・トリュフォー(François Truffaut)著『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)を買うことができた。
いま思えば、奇跡的な出合いだ。私にとって初めて買う映画専門書でもあったが、しょぼくれた高校生が買うには、少々値の張る本であった。何度かためらったのだけれど、ようやく決心してその本を買ったのを憶えている。
映画『サイコ』に関しては、特にその本を熟読し、あの鮮烈なシャワーシーンのカットバックのイメージを焼き付けることになった。トリュフォーがじかにアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)と面会し、製作にいたるありのままを聞き出すことに成功した稀有な映画本であったから、『サイコ』という特殊な趣向の、起案から製作技法にいたるあらゆる面でのオブジェクトが私の脳裏に刻み込まれた最良のバイブルとなり得たのである。
私は常に――ヒッチコックという名が何かしら耳に入った瞬間からその思念を閉じるまで――『サイコ』に関心があった。分厚い本のページをめくれば、ヒッチコックがあのシャワーシーンを演出するべく撮影監督(ジョン・L・ラッセル)にほぼその全てを委ねるための画期的な巧緻の痕跡が伺い知れる。グラフィック・デザイナーのソール・バス(Saul Bass)描いた48カットの手描きのコンティニュイティをもとに、本書の中では、そのシャワーシーンを40カットで再現してみせている。あれはまさに、『サイコ』の映画そのものの恐怖を如実に描き示しており、その技法のミクロ的結集であり、高校生であった私の恐怖心を煽る白眉でもあった。
映画『サイコ』のストーリーをつかさどる部分を書き出してみよう。
主人公の独身女性マリオンは、アリゾナ州フェニックスのとあるホテルで年下の恋人サムと逢引し、結婚適齢期を過ぎた「ままならぬ日常」に落胆していた。サムはカリフォルニアでちっぽけな金物店に勤め、出張がてら定期的にフェニックスにやってきている。むろん密かにマリオンと会うためでもある。サムは亡くなった父親の借金と、別れた女房への慰謝料の支払いで首が回らない。マリオンはサムとの結婚を望むが、彼は結婚生活にひどく幻滅している。マリオンは昼休み中にサムと会い、逢引のためのホテル代(休憩代)を払っていた。
その日サムと別れ、勤め先の不動産会社に戻ったマリオンは、居合わせた資産家の顧客の支払金4万ドルを一時預かることになる。その金を銀行に預け、小切手にすべし…。社長からのそういう指示で、現金の束を自分のバッグにしまったマリオンは、頭痛があることを理由に早退し、そそくさと会社をあとにする。
自宅に戻って身支度を済ませ、考えたうえに考えたのは、その4万ドルを持ってサムのところへ行くことだ。そう決意したマリオンが、路上で車を運転していると、偶然通りかかった社長と目が合ってしまう。うっかり挨拶してしまったが、ちょっとまずいことになった。体調が悪くて早退したはずの自分の不自然な行動が、社長の心理に微妙な不穏を与えたのではないか。マリオンは焦り、大金を持ち逃げしたことがバレて、警察沙汰になるのではないかと不安になった。
翌朝、道すがらの彼女は、乗ってきた車を下取りして、別の中古車に買い替えた。カリフォルニアナンバーの車体…。中古車ディーラーの店員やパトロール中の警官にもずいぶん怪しまれた。が、なんとか切り抜けたと思った。しかしもはや、自分は袋の鼠なのではないかという不安な気持ちもあった。
フェニックスからカリフォルニアまでの長い道のりを2日がかりで走行し、その夜、土砂降りの雨に見舞われた。雨宿りをどこかでしたいマリオン。付近に目を凝らすと、暗闇の中から幸いなことに一軒のモーテルを見つけることができた。ここにしよう。マリオンはそう思った。それがあのベイツ・モーテルだった。
剥製の鳥たちと太い眉毛の青年
マリオンが知る由もない忌まわしいベイツ・モーテル。
そこは、いうまでもなくアメリカの西部である。カリフォルニアまでの道のりは長く、旅行者はどこかしらドライブインやホテルを利用するに違いない。モーテルとは、車で乗り付けることができる簡易ホテルのことだ。
旧道に隣接したベイツ・モーテルに、お気楽に立ち寄る客は少ないようだった。L字型に連結された木造の小さな客室は、いかにもこぢんまりとした、質素な簡易ホテルの名にふさわしい。
ここの世話係の青年ノーマン・ベイツは若くて細身で温和で、当たり障りは決して悪くない。一方の解釈では、ノーマンは孤独な身であるがゆえに、消極的で人見知りするタイプの若者である。雨の夜、旅人のマリオンが突然やってきて、ひどく親切に応対するノーマンは、内向的な自己をさほど他人に気づかせない明るさをも装っている。このノーマンの役を演じたのが、アンソニー・パーキンス(Anthony Perkins)で、小兵で素朴なイメージがある彼の外見とは裏腹に、内面の深奥なる変幻自在の卓抜さは脱帽するしかない。ノーマンの慇懃な明るさに対し、長いドライビングで疲れているマリオンは、ただ大人の対応をするだけであった。
客室内はそれなりに清潔感があるようだ。狭い部屋に置かれた、ごくありふれた家具たち。陶器製の花瓶が置かれたドレッシング・テーブル、ベッド、ハンガー、衣服を収納できるチェスト、小物をしまうキャビネット。壁には鳥の絵がいくつか飾られている。そしてヴィヴィッドなライトに照らされた、ありきたりなトイレ付シャワールーム――。2、3時間の休憩もしくは1泊程度ならなんとか落ち着ける部屋といえる。
マリオンは、2つの札束を隠す場所に困るのだった。
しかしなんとかそれも思いついて、札束を新聞紙にくるみ、キャビネットの上にそれとなく置いておくことにした。このモーテルには今のところ、青年ノーマンしか居ない。盗まれる心配はないだろう。ただ、それでもなんとなく落ち着かないのだ。窓の外から、思いがけない女の声を聞くことになるマリオン。それはどうやら、ノーマンの老いた母親らしかった。ひどく侮蔑した言葉が飛び交う。私が淫売女? 老いた女の声は、あろうことか客人である私を罵っているではないか。
ノーマンがトレイに食事の用意をして持ってきてくれて、なおかつ私に詫びを入れている? この奇妙な雰囲気。あまりにも悪辣な雨の夜。それが偶発的なことだったとしても、ひどい仕打ちには変わりないではないか。複雑な気持ちを抑え、ノーマンが用意してくれた食事を快くいただこうと、招かれたフロントの奥の応接室に入るやいなや、思わず心臓が止まりそうになるマリオン。これこそひどい仕打ちじゃないのか。
応接室には、無数の剥製の鳥たちが鎮座していた。はっきりいって気味が悪い。それらの、ぎょろっとした薄情な、いや違う、薄気味悪い眼、眼、眼…。鳥は人を安直には迎え入れてはくれないようだが、少なくとも私は客人であったはずだ。それにもかかわらず、なんだこの鳥たちの異様な存在は!
異様なのは剥製だけではなかった。ノーマンもだ。
マリオンは食べたくもない皿の上のものを口に入れながら、柔らかな口調で慇懃に話すノーマンの話に耳を傾けざるを得なかった。本当ならこれ以上聞きたくないのだ。部屋に帰りたい。もう疲れている。一人になって寝たい。爆睡したい。しかし、彼の慇懃な親切心にも同情すべき点があるのだ。年下のノーマン。そうよ、彼は確かに年下なの。恋人のサムとは違う環境で育ったに違いないのだわ、この青白い顔の太い眉毛の坊やは…。
マリオンはぎゅうぎゅうたる思いで退屈していた。ひどい話だわ。自分の母親の話じゃない。他人の母親の話なんて、私は聞きたくもない。誰しも女は他の女の話に嫌悪したくなるのよ。反吐が出るわ。彼はまだ若すぎるのよ。女のことなんて、何もわかっていないのだわ――。
『サイコ』のワンシーンを演じた頃
私の母校の工業高校のK先生が示唆してくれた作家サリンジャー。そのサリンジャーの作品であるライ麦――。
私は程度の低い解釈でそれを黙殺し、人生訓の悲劇としては、たちの悪い意味での“後の祭り”となった稚拙極まりない“寓話”を、私はここ最近何度も文章にしている(「ブルーな春の星を書き替える」など)。ヒッチコックの『サイコ』を観ても、それは否が応でも蒸し返されるのだった。
はっきりと憶えている。1992年だった。
脚本を書く友人と二人で劇団を立ち上げて間もない頃、わずかにかき集めた劇団員で、『サイコ』の冒頭の逢引シーンをやろうじゃないかと私が提案し、それを録音したことがあった。いわば、演技の素養をつける稽古のつもりであった。私はそのシーンの台本を事前に作成し、コピーして配り、読み合わせのような形で演じてもらったのだけれど、これがまた無惨な結果に終わった。
映画『サイコ』の公開時(1960年)、恋人サムを演じたジョン・ギャヴィン(John Gavin)は1931年生まれのカリフォルニア出身で29歳。ブロンドヘアのマリオンを演じたジャネット・リー(Janet Leigh)は、1927年生まれで同じくカリフォルニア出身、33歳。いずれも若き頃のスターがあの『サイコ』の冒頭の、下着丸出しの逢引シーンを艶かしく、そして重々しく演じているのだ。
一方の私たちは当時20歳そこそこ。お手本とする俳優らとおよそかけ離れている年齢とは思えないのだけれど、演技の素養の無さ――というより、もっと根本的な、人間的観念、生活観念、恋愛観念などをなるべく意識せずに体を使って表現してみようということに対する無知。感覚的表現に対する無分別。演劇とは本来そういうものであるにも関わらず、セリフとセリフをいい合うことにばかり気を取られ、かえって人間味が失われてしまっているという始末。どうしてこんなに存在が軽くて、不似合い不釣り合いの状態なのか。これでは、幼稚園生どうしのお気楽なお遊戯の方がよっぽどいいではないかという疑念が生じた。
まだ若いから――なんて言い訳はしたくなかった。
ジョン・ギャヴィンやジャネット・リーだって当時若かったのである。
そこに若い男女がいる。あくせく働きつつも、つかの間の休息を楽しむべくホテルに駆け込み、ベッドにもぐる。休息を楽しむどころかほとほと疲れ果て、二人の将来を見通せない苦境に立たされている。会話はしみったれるし、愚痴しか出てこない。しかしそれでもなんとか、お互いの愛情は節々に確認できている。本心では、別れたくはないのだと。
そういう機微というほどのものではないにせよ、同じくして若い、男女のひび割れしそうな会話の重苦しさを、どうして私たちは、(くどいようだが)私たちは、真剣な対話劇としてそれが表現できないのだろうか。これをお笑いコントにするな。全く狂いたくなるような落胆と暗愚、いや滑稽さであった。
『サイコ』の脚本家ジョセフ・ステファノ(Joseph Stefano)は、そのシナリオでのマリオンのキャラクター付けをこのように記している。
彼女の顔……にはある種の内なる緊張と精神的葛藤に疲れはてたものがにじみでている。彼女は……美人で、ひもでつながれた犬がもうこれ以上逃げられないように追いつめられている。
スティーブン・レベロ著『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキングオブ・サイコ』より引用
犬や猫を演じよ、というのではない、同じ「人」が描かれたシナリオである。それを読み下し、その人物の肉付けが重々しく感じられず薄っぺらくコント化していく様を、私は体験したのだった。その禍々しい数年間において――。
劇団立ち上げという最初の大事な時期でありながら、これが将来醜悪なるもの、すなわち「演劇ではないおもちゃ演劇」に成り下がっていくであろう予兆をこのとき感じた、と思う。が、それをはっきりと軌道修正できるだけの決断力と洞察力を持ち合わせていなかったのだ。これも何度も書いているが、ライ麦を読んでいなかったから――である。
§
終わったあとでシャワーを浴び、ほとんど無言で身なりを整え、部屋を出た。
またしてもそこは、冷たく薄暗いビルの廊下であった。もう二度とこの光景を見ることはない――と思いつつ、私たちは二度ばかりここを訪れてしまっていた。
フロントのぼんやりとした明かりを通り過ぎると、新宿の街の喧騒が再び眼下に広がった。灰色の人々が行き交う影。そこらじゅうのネオンの明滅。激しく耳をかっさらうサイレンが、人々の会話と共鳴して、私はくらくらとした不穏な心持ちで手を握りしめているのである。無意識に。そうして夜道の中をさまよい、そのどこかの賑やかな居酒屋で、私たちは空腹を満たしたのだった。
やがてそこのホテルは、この世から消えて無くなってしまったと、どこからかの情報で知ったのだった。あまりにも古びた侘しいホテルだったからでは、と思った。そう、ベイツ・モーテルによく似ていた。あやうくとはいえないが、私はそのホテルで殺されずに済んだのである。
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