「人新世のパンツ論」。前回はフンドシと森鷗外について書いた(「人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』」)。
再三繰り返して述べるけれど、一般的には男性のパンツ(下着)の話でさえ忌避される始末なのに、「フンドシの話をします」と聞いただけでほとんど耳をふさぎ、目を閉じ、口を閉ざしてしまうのが世間の反応の常。特に若い人はフンドシと縁が無いから、いやそれだけではなくて、どうにもこうにも古臭くて不真面目な話に違いないという先入観を持たれてしまうから、まあ仕方がないことではある。
したがって、聞く耳を持たれぬついでに洟をかまれ、更にダメ押しに洟をかまれる――。おやおや、風邪をひきましたか? てな具合に。
洟をかむのはかまわないが、一応、自己肯定感とおしゃれの関係について、そういう話をしてきた次第なのである。とはいうものの、そもそも「人新世のパンツ論」なんて知りたくもないわ――と若者たちにピシャリとやられ、当ブログの読者数を大いに減らしているのかもしれないなと思うと、ちょっと悲しい。
そういう不安に陥ったりもするのだが、私はめげないつもりである。
個人的には、パンツ(下着)のことって、既婚者にとって奥様方の専権事項だとは思っていない。男性諸君は結婚後、パンツのことは奥さんにお任せ主義ですか? それは駄目でしょう。多少ヒトの体の秘密事ではあるけれど、とても意義深い、人間生活における大事な社会学だと私は思っているから、男性は自分のパンツぐらい、自分で買いましょう。だからこうやって、数十回かけて、しつこく丁寧に書き連ねている次第なのである。おわかりいただけますでしょうか。まあちょっとくどいけどね。
語れぬ音楽、語れぬマッキー
実は今回、音楽とパンツについて語るつもりであった。
槇原敬之さんのアルバム『UNDER WEAR』(1996年)を用意したわけである。
このアルバムのジャケットは、何を隠そうパンツ(赤いブリーフ)をあしらっていて、1996年発売当時、私は大変驚いたのだった。
曲を聴いてみれば、冒頭の「男はつらいっすねぇ」でトランクス云々の歌詞が出てきて、男性の心情をそれとなく表していて、ニンマリとする部分もあった。
しかしそれは、あくまで商業上、先入観をもたせて関心をひくための、“つかみ”程度の表現にすぎなかった。アルバム全体のコンセプトが、明らかな男性のセクシュアリティだとか性生活のゆらぎを歌っているものではない――ということがわかって、ちょっと落胆したのだ。
サウンドは、どこを取ってもマキハラ節で素晴らしい。とはいえ、ここで具体的な「パンツ論」として展開するにはかなり無理がある。したがって結論としては、ボツなのであった。『UNDER WEAR』の話はこれでやめておくことにする。
ああ、やめる前に一つ気になったことがある。
この『UNDER WEAR』のジャケット、なにかに似ているなと思ったのだ。
そう、ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)の男性下着のオブジェである。あれは、実物の木製のフレームに、実物のビキニタイプのブリーフをくくりつけてインスタレーションしたという1970年の作品であった。メイプルソープに関しては、いずれ別稿で詳しく書いてみたい。
かたや音楽アルバムのジャケット。かたやインスタレーションのオブジェ…。直観的に似ているなとは思ったのだけれど、メイプルソープの切実な使命感には遠く及ばない。
日本人はどうも、こうした性的な何かをちらつかせて気を惹かせるべく、商業アイテムやメディア作品に性的なモチーフをひと飾りして叩き売りしようするきらいがある。昔のエロジャケの、歌謡曲レコードのたぐいなんて、それは酷かった。エロと歌謡曲なんてなんの関係もなかったからだ。今でもそういうところが見え隠れする商品があったりする。だが所詮、外見だけで中味のない付け焼き刃だったりするのが多いから、たとえジョークであっても真剣にやらないなら、そういうエロティシズムのモチーフ遊びはやめたほうがいいと思うのである。
シキボウのブリーフ
気分を変えて本題のパンツの話――。
某月某日。昭和時代のレトロスペクティブな国産パンツがまた手に入ってしまったのだった。
繊維メーカーのシキボウ(敷島紡績)。マーメイドブランドのブリーフ。薄いグリーン系で綿100%。シルケット・ストレッチ加工――。
シキボウは創業明治25年(1892年)の大阪の繊維メーカーである。今では、その繊維事業のナノテクを駆使した開発商品が多岐にわたっているようだ。令和時代の企業規模からすれば、昔そんなパンツなんて生産していたの??? と驚かれるに違いない。
しかし、いま私が穿いているのは、紛れもなく昭和時代のシキボウのブリーフなのである。
穿き心地は昭和感たっぷり。
純粋無垢、完全無欠の下着のための下着。まさしく下着。どこをどう見ても下着。変なことをいうようだけれど、どこかの小説みたいにいま自分の男性器が勝手にしゃべりだしたとしたら、
「オレっち今、懐かしい昭和のぬくもりを感じているんすよ。昭和のぬくもり、いいっすよね。眠たくなってきたから萎んどくね♡〉
とでもいいそうな、ほっこりとした昭和感を味わってしまったのだけれど、決して穿き心地は悪くないのである。
シキボウの沿革によると、昭和41年(1966年)にメリヤスの合弁会社を設立し、ニット製品の生産を開始したのだとか。昭和50年(1975年)に「連続シルケット機」の設備を導入したりしている。生地のシルケット加工により、シルクのような光沢とさらりとした肌触りが実現した、との説明。真面目な話、実際に私も穿いてみたところ、そのようなシルケット加工の感触を楽しむことができた。
うん、昭和感たっぷり。
『平凡パンチ』のおしゃれなブリーフ特集
さて、またまた昭和時代の話。
昭和期の雑誌の記事を紹介しよう。なんと珍しいことに、男性下着の特集記事を発見したのである。それは、週刊誌『平凡パンチ』(マガジンハウス/旧社名・平凡出版)1972年2月28日号。
男のココロはパンツで決まる!
BRIEF
完全に男性下着をモチーフにした今号の表紙。ここで死語でないことを祈りつつ、いい放ちたいが、
イカすね! この表紙! なのであった。
週刊誌なのに表紙全体がパンツって、なかなかすごい企画だと思う。編集部でモメたりしなかったのだろうか。ともかく、この表紙だけで意気込みが伝わってくる。あらゆる覚悟を決めて雑誌を作ってる感おおありで、令和の虚弱体質的な、無責任主義の“請負仕事”クリエイターとはぜんぜん次元が違うし、やはりヒトとしての体質も別個のものじゃないかと思いたくなる。
なにはともあれ、この都市伝説級の表紙って、かなり際どい男性のもっこりが強烈なインパクトをもたらしているのだ。すごい時代であった。
特集記事の内容は、全6ページにわたるフォトマージュ的なもので、『平凡パンチ』お抱えのHey Tsuji氏撮影によるエネルギッシュなカット群となっている。
コンセプトは、“アグレッシブなMan & Weman”といったところだろうか。
表紙のカットもそうなのだが、下着を通じて男性モデルと女性モデルの肉薄した裸体が、強烈な“関係性”を演出している。いわば70年代の風俗のうごめき――とでもいいたい。たしかに令和時代の若者のらしさとは全く異なる躍動感があり、良くも悪くも男性は男性的で、女性は女性的なのである。その時代の若者文化を主観的に見立てた、「男性の性分と女性の性分の絡み合い」といったところか。そういう昭和期のプロっぽい演出ではある。
さあ、そこに登場するパンツたちが、また実に個性的でワイルドで、セクシーなのであった。これぞ、“新時代感覚”=「ニューウェーブ」の下着であるという、旧い大人たちをギャフンといわせられるような、新しい感覚の先鋭的な志向で読者を釘付けにしようとしたに違いない。
こんなマーケティング・リサーチがあったようである。
《ちかごろの若者はナニにいちばんゼニを使うのか》
その答えの1位は、なんと下着なのだという。
そこでいう“現代の若者”は、肌着など着ない。男性の肌着の場合、股引やステテコなどを指す。それらを一切否定し、しっかりとしたパンツを穿く。《デカパン反対 ブリーフ賛成! の声が高く 股間をパッチリと引き締めるブリーフ型が全盛だ》。
さらに記事を読んでみる。
《ブリーフをカッコ良くはきこなすコツはジュニアとそれに付属している2個のボールの位置をどこに置くかで決まるのだ》
ジュニアと2個のボール!!
表現がいかにも昭和っぽいのだけれど、それが何を意味しているかは書かなくてもわかるとして、女の子にも比較的口にしやすい喩えとしてなかなか諧謔、しかも機能的な表現である。ジュニアと2個のボールねえ。
《黒と黄を基調にしたパターンを素材にしたビキニ 800円》
《黒地にサエる二本のテープはフクラミを強調する 700円》
《スラックスをサッと脱ぐ パッと目に飛び込む真紅のブリーフ 彼女思わずウナる。と、こんな効果が期待できるブリーフ。Mr.VAN 430円》
Mr.VANは、1960年代に「みゆき族」で一斉を風靡した日本のヴァンヂャケット社(VAN JACKET INC.)のブランド名である。アメリカのジョッキー・インターナショナル社の「JOCKEY」ブリーフの「Yフロント」(Y-fronts)を意識した(?)軽妙なフロント部分がおしゃれだが、真紅のブリーフとは当時斬新だったに違いない。なにはともあれブリーフのおしゃれとは、カップルの遊び心や気遣いがあっての美学といっていいのではないか。
次のページには、さらにファッショナブルなブリーフが陳列してあって、当時のモダンさが窺えた。
ざっと紹介すると、デザイナーのヨシダ・ケイがデザインしたグリーンのカラーにハート形を散りばめたビキニタイプとか、カネボウのメダマ模様のブリーフ(デザインは旧西ドイツのシーサー社)など。そしてフロント部が特徴的なMr.VAN。ワコールのセクシーなシースルー。ロンドンのブティックBIBAのシンプルなブリーフ。それから、原宿のブティック“マドモアゼル・ノンノン”の赤白の縞のローライズ。こういった感じ。
今でこそポピュラーなブリーフたちだよね…と括れる、これらのファッショナブルな下着は、昭和の戦前・戦中派の方々には多分、相当異型な、異次元的な下着として映ったに違いない。下着としての機能に加え、見た目の存在感をアピールした新しいブリーフの潮流がここに感じられ、この特集の意義が伝わってくる。
やるね、昭和の『平凡パンチ』。
昭和期ステテコとモダンなビキニのカップリング
昭和の戦前・戦中派の男性は、下着的にはフンドシ・ステテコ世代といっていい。
私も「人新世のパンツ論⑬―腰パンとステテコの話」で現代的なステテコを穿いてみせたが、昭和のステテコを穿いた画像がお蔵入りしてしまっていたので、ここでまことに恐縮ながら、蔵出ししておくことにする。
残念なことに、画像をアーカイブしちゃってたことにより、どこのメーカーのものかわからなくなってしまった。グンゼかもしれないが、そうではないかもしれない。
「人新世のパンツ論」を通じて、私も様々な昭和期のパンツを穿いてみたわけだけれど、これが見納めではないか。
昭和期が遥か遠くになった。そんな頃に生産されていたデッドストック状態のパンツを、いま穿いてみました――という根気のいる作業は、やがて朽ちていくであろう私の身体との真剣勝負だったのである。そんなパンツ姿を、「見るべきもの」として見れば、見納め。私にとっても貴重な体験であった。
なので、多分もう将来、昭和のパンツを穿く機会なんて、絶対にないと思う。昭和のパンツをあげつらって馬鹿にするわけにはいかなくなった、というのが正直なところで、穿いてみればけっこう凄かった。リアルだった。これを単なる噂話、小話だけで済ませたくはない。私も根っからの実践主義者なので、実際に穿いてみたことの意義は、予想以上に身体的体験として大きかったのである。
次回の「人新世のパンツ論」の特別編が、いよいよ本当に最後の回となります。
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