同僚のママさんがAKB48のCDアルバム『なんてったってAKB48』をどっさり買ってきたらしく、そのママさんに頼まれて持参してきた友人が無造作にテーブルにばらまき、どうぞお好きなように持ってって――となんとなく愛想のないいい方で立ち去り、仕方がないので1枚手に取り、私は持って帰ったのだけれど、考えてみたらAKB48について全然よく知らない。
あとで調べてみたら、このアルバムは、先月のクリスマスあたりに発売されたばかりのおNEWなのだ。“Official Shop盤”というらしい。何かしら特典が付いていて、どうやらそのママさんは写真撮影をしたらしい。
そこから先の話は知る由もないが、アルバムの中身は懐かしいカヴァー曲のオンパレードなのであった。
キャンディーズ、ピンク・レディー、松田聖子、原田知世、小泉今日子、中森明菜…。錚々たる神々ともいえるアイドル・スターの曲々を彼女らAKB48が歌っていて、リアルタイムでオリジナルを聴いてきた我が身の人生が、走馬灯のように思い出されて体が震えてしまったのだった。
ボンデージなiMac
昨年の初めあたりから長編小説を書くための起案を模索していたのだが、一向に芽吹かず。ウェブ小説サイト[架空の演劇の物語]は試運転的なものだったのだが、あっけなく1年が過ぎた。その代わり、昨年中はあまりにも快活で、個人的には濃厚な出来事のオンパレードであった。その反動が、いまズドーンときている。
そう、そのいま。今正月。今である。
今、ようやくその起案なるものが浮かんできた。自前のウェブ小説サイトで配信するたぐいのものではなく、あくまで某文芸雑誌の◯◯新人賞などに応募するような作品――の起案である。夢は大きい方がいい。
ある男と、ある女の、恋愛話。それは荒唐無稽に近い感じの、数奇な話…。あまりに大枠すぎる平凡な表現で申し訳ないが、そういう方向になりそうな気がする。
しかし、これ、いつ書き上げられるかわからないし、むろんそうのんびりと構えてもいられないのだが、しごく恐縮するけれども、これ以上の創作の秘密はここでは書けない。書くわけにはいきません。
ただ、この起案をほじくり返してみると、ぽつりと浮かんでくるモチーフというのが、どうやら古いiMacなのだった。つまり、それが必要だということだ。iMac?
そう、iMacである。
海の向こうの大国から、ぼんやりと伝わってきていた「インターネット」関連のトピックが、徐々に日本でも具象化しつつあった90年代初めから中頃にかけての時代…。
〈ああ、パソコンが欲しいなあ〉とボヤいていた私が、なんとかかんとか手軽なNECのモバイルギアを手にしたのは、時すでに90年末を過ぎていたが、その「インターネット」の夢想の果てに、アップルのiMacが華々しく登場したのだった。本当に、華々しかったよね。と同時に、私自身が正真正銘、孤独だった日々の印影がにわかに思い出されるのだ。
ともかくそのiMacが、どうやら小説のモチーフになるだろうことが頭に浮かんできて、そうなればすぐさまiMacを、しかも“完動品”(であってほしい)状態の逸品を入手しなければならなくなった――わけである。
そうして細々とした話は省くけれど、“iMac G3の初期型”(完動品?)をなんとか調達することに成功した。
インストールされているOSは、Mac OS Xらしい。現時点ではまだ手元に届いていないから、詳しいことはよくわからない。今後の計画としては、このiMacを部屋の片隅に設置して、しばし眺めてみる――というところから瞑想してみたい。たぶんそれは、興福寺の阿修羅像のように見えるだろう――。そこからは、なんとかかんとか創作の手立てを考えていきたいと思うのだ。
ヒッピー&ハイパーで傷つくことを厭わない
私の人生、どれだけ傷つけばいいのか、と思うことがある。
2年ほど前、その頃の創作(音楽制作や映像制作)活動にかかわる友人らと、全面的に絶交した――という話を、昨年末の「それは忘れがたい写真から始まった」で書いた。
疲弊と失意とうぬぼれと新しい希望とを抱える日々の中で、SNSやウェブまわりのみならず、それに加えてかなり膨大な量となる過去の拙いキャリアの“思い出の品々”(ノート類や手紙、写真その他)を、次々と断舎離していったのだった。得てしてこれは、たいへん気持の良いことでもあった。
その後、仕事上の都合で友人関係ががらりと劇的に変わったのである。私の複数の友人らは、ほとんど外国人(ベトナム人)なのだ。彼らとの親しい関係の中で、それ自体がいわば生活風刺となって、心にそよ風が吹いた。それまでの古い価値観だとか慣習に囚われていた生活態度が一変し、アップデートされていったわけである。とにかくこの2年間で私自身の見ている世界が、大きく変わったのだった。
これまでここ数か月間に書いてきたことを以下、要約する。
- あの20代の頃の小劇団活動は「おもちゃ演劇」だったなと。
- 学生時代にしっかりとアメリカ文学を周知見聞していれば、私の創作上のポリシーは「おもちゃ演劇」にかかわらずに済んだのではないかということ。
- そうして学生時代から、好きで書いてきた作文やら随筆や戯曲や脚本をどうして本業にしなかったのか。それが一番真っ当な人生設計だったではないかと――。
そんなことに気づき、この2年間の最もハイテンションな生活意識の中から、いよいよ3年目は、より濃厚な、具体的な形を示していきたいなと…。
文字通り、それはプロ志望として「書く」ということ。
ただしもうちょっと、ドキュメンタリーな映像制作に首を突っ込むかもしれないな――ということを示唆しておきたいのである。
こんなふうに、実にまあ、ヒッピー&ハイパーな思考でお気楽ではあるけれど、そういうクリエイティブな色彩に人生を持っていきたいし、他人からすればもう遅すぎるしアンタに何ができるの? と茶番に思えるかもしれないが、いたって本人は、真剣なのであった。ずばりいう。乞うご期待。
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