草枕的な。仮初めの旅寝。非人情。
私の身近に、そういう世間観をもって生きる人が、何人か、いまいかいるか。いや、いるような気がする――。
およそ6年ぶりに『草枕』を読んだ。夏目漱石の、明治39年の作である。比較的短篇だから読みやすい。何かの折、読みたくなったらこれを読む。私にとって『草枕』は、生涯読み続けるであろう、まさに枕元に置きたい小説である(当ブログ「漱石の『草枕』」参照)。
初めてこれを読む人にとっては、冒頭の書き出しで、およそこの小説の性質が推察できる。《人の世は住みにくい》と言い放ち、《どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る》と括る。まずここで、漱石ならではの芸術論を連想する。案の定、その直後に芸術論が飛び出る。人や世間の煩わしさも兼ね、その住みにくい所でなんとか寛げて、束の間の住みよさを得たい。《ここに詩人という転職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい》。
漱石は別の談話筆記の中で、『草枕』という小説を《在来の小説は川柳的である。穿ちを主としてゐる。が、此の外に美を生命とする俳句的小説があつてよい》と解題している。これは非常に分かり易い論で、『草枕』は物語でも寓話でもなく、美的主眼の萌芽を鏤めた、構成主義の小説である。
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『草枕』は全十三の節で構成されている(これは短篇だから、章というより節が適当だろう)。
私は十三の節のうち、第七番目の節が最も好きで、この小説の性質がよく活かされた場面ではないかと思っている。第七の節は、 《寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る》で始まる。
重要なのはその前の第六の節で、主人公の画工が、絵画に関する独特な芸術論を展開する。言わばそれは画工の机上の芸術論であって、理屈に続く理屈という気がしないでもない。ところが、その次の第七の節で、画工のまさに目の前で「芸術的な情景」に出くわし、展開される。
春の夜、那古井の湯治宿の湯船に浸かった画工は、まず《立て籠められた湯気》から美を見いだし、あるいはその美的空間の大事な装置として見立てる。湯気。烟。靄。この場所で湧き出る湯の如く、画工にとっての制限ない流れ出る潤沢な「時間」こそ、彼の言わしめる“非人情”を通暁した草枕的な旅路での一服に継ぐ一服であり、自由律な俳句そのものである。
ともかく画工はそこで湯に浸かりながら、自らの身体を浮かし、漂わせ、《土左衛門は風流である》とひらめく。ここでもミレーの“オフェリア”を引き合いに出す。《水に浮かんだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮かんだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない》。
そのうち、どこからか三味線の音が聞こえてくる。何を唄い、何を弾いているのか分からないが、なんだか趣があると言う。女が現れる。裸体の女である。《漲ぎり渡る湯烟りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの脊丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のという感じは悉く、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った》。
こうして画工はその画題をもって、裸体画の芸術論を展開する。しかしながら目の前に、机上ではなく実物の、実存の、女の裸体が靄に伴って揺らいでいる。湯場は小さな洋燈だけで、この女の裸体の輪郭と陰影を妖しくする。故に美しい。ある意味ここが、画工の貫かんとする“非人情”に亀裂が生じる刹那なのだ。
『草枕』は、物語的帰着に逆らい、断固たる構造主義に則って、第七の節のようなそれぞれの俳句的情景や場面場面を切り取り、まるで切り貼りしたコラージュ画のようにそれらを浮き上がらせる。女の裸体=那美という女性の恍惚とした感覚の不調和と、例えば鏡が池や観海寺のように背景となる自然美の調和との対照。その終末的な集合点が、文末における那美の、ある一瞬の姿であり「憐れ」みなのだが、画工の“非人情”の境地に一点の精神的な完結をみ、『草枕』は了する。
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