『洋酒天国』とサガン

【『洋酒天国』第28号】
 毎度おなじみ小冊子『洋酒天国』(洋酒天国社)。第28号(昭和33年8月刊)で思いがけずフランソワーズ・サガンを読んだ。
 その前に。この第28号の表紙はいったい何であろう。インパクトがありすぎる。

 常々、“寅さん”映画を観続けている私には、その表紙の男性が誰であるか一目瞭然であった。“タコ社長”こと太宰久雄さんだ。
 しかしそれにしても若い。なんとなく髪がまだふさふさとしている。紅いスリッパを履いた太宰さんは絵描きに扮し、そのキャンバスに描こうとしているのは、言うまでもなく女性である。ヌードである。裸婦である。
 表紙をめくると、魅惑の三行詩が記されているが、そこも女性ヌードのフォトグラフ。美しい裸体の曲線美。その陰翳の妙。これをどう受け取るべきかは個々の判断(趣味)に任せるとして、三行詩に目を移す。
《塵を空に擲って
心ゆくまで酒を飲め
常に最も美しき女を求めよ
ルバイヤート》
 ルバイヤートとは、ウマル・ハイヤーム著の『ルバイヤート』のこと。ルバーイイ(四行詩)の詩集という意。ウマル・ハイヤームは11世紀ペルシアの天文学者で、暦法に精通していたという。詳しくは知らない。ともあれ、四行詩のはずが三行詩になって訳されているのはご愛敬で、“心ゆくまで酒を飲め”と“美しき女を求めよ”は、『洋酒天国』編集部のスタンスそのものを指している。
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【酔っぱらい3人衆(遠藤周作、近藤啓太郎、吉行淳之介)】
 ここからサガンの話に移るのは、ちょっとつらい。
 そもそも、第28号の「酔って件の如し」のコラムで、遠藤周作氏と近藤啓太郎氏、吉行淳之介氏の3人衆が煙草(Peace)を吸いながらウイスキーを飲み、カクテルを飲み、ワインを飲んでご満悦の表情を浮かべているフォトがあって、安岡章太郎氏がリウマチ熱で禁酒中だの、遠藤氏がサバ中毒だの、これを書いた吉行氏本人も大病を患い酒量が半減したなどとあるのだが、どうでもいい内容である。
 安岡氏を含めたこの4人は言うまでもなく文壇繋がりであり、では何故遠藤周作氏が座長なのかと言えば、昭和33年、ちょうど『海と毒薬』が出版された年であり、言わば遠藤氏は時代の寵児であったのだ。
 第28号のこの和気藹々3人衆のページをめくると、次が、フランソワーズ・サガンの短篇小説「イタリーの空」(Le ciel d’Italie)のページである。これを邦訳したのが遠藤周作氏だ。
 さて私自身、普段読み慣れていないサガンの短篇も、『洋酒天国』とあれば一気に読めてしまうのは不思議なものだが、「イタリーの空」は、決して衒学的ではないアンニュイとしたロマンス小品。しかも艶めかしさから遠ざかる浪漫主義小説。――スコットランドの片田舎、主人公マイルはコニャックを飲み、酔い潰れ、兵役時代のある出来事を思い出す。それはナポリかマルセイユでの、ルイジアとの束の間の恋。そして納屋での接吻――。
 読み応えあり。このページの隅にある、編集部記のサガン評で「クチの悪い人達は“パンティを穿いた古典主義”と…冷笑」とあったが、なかなかどうして、とてもこの文体はパンティを穿いている、とは思えない男っぷり。むしろ女っ気がないほど。なんとなくサガンらしくない、とも思えてきた。
 おい、まてよと思った。
 もしかするとこの男らしい文体は、遠藤周作氏の文学的手練手管がかなり含有しているのではないかと気づいた。しかし、本当にそうなのだろうか。サガンを知らない私にとっては、謎めいた問題である。これは一つ、新潮文庫版『絹の瞳』(「イタリアの空」所収)での朝吹登水子訳を読まなければと思った。
 うーん、遠藤氏の、先頁の和気藹々、が気になる。まさか、酒でぐでんぐでんになった姿態で「イタリーの空」を訳して書き下ろしたわけではなかろうに。いやいや、『洋酒天国』ならやりかねない。

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