【当時人気があったとは言えないダイエー館】 |
近頃、様々な思いに駆られる。何故か、記憶の薄い中学校時代の思い出を、必死に思い起こそうとしている。この試みの本質は、いったい何なのだろうか。ドストエフスキーの『地下室の手記』を読んでいたら、“水晶宮”という言葉がちらりと出てきた。“水晶宮”とは、1851年のロンドン万博で英国の建築家ジョセフ・パクストンが設計した鉄とガラスでできた大建造物のこと。要するに小説ではそこで、合理的な未来の社会はひどく退屈だ、《人間は馬鹿だ》、《手のつけられない阿呆だ》と罵り、万国博覧会といった人類の「科学と文化」の発展と繁栄を軽妙におちょくり、皮肉り、メタファーとしているのである。
というところからなんとなく、万国博覧会すなわち万博というワンダーランドにすこぶる憧憬の念を抱く70年代生まれの私にとって、思春期真っ盛りの中学1年生で体験した、33年前の科学万博へのノスタルジアの凄まじさは、半端ではない。当時あの会場を訪れた者でなければ、そのノスタルジアの意味するところを理解することはできないのではないか、と思う。
つくづく隔世の感あり。それはつまり、あの80年代にほんの僅かにおいても、人類の「科学と文化」の発展と繁栄を信じていた試みが、21世紀の今日の日本を培養したとはとても思えないほど、矛盾に満ちた、どうしようもない知恵遅れの、まるで真逆の方向に突き進んでいることの賞賛と皮肉――まさにドストエフスキーの《人間は馬鹿だ》、《手のつけられない阿呆だ》に行き着いてしまったのは、いったいどういうことなのか。そういう疑問符だらけの今日の日本の有り様に、ただただ驚くばかりである。
過去を顧みない愚かさ。人間の叡智を軽んじた罪悪。今日のネットワーク社会の功罪にどっぷりと浸かり、科学の本質の変容、文化的理知の恐ろしいほどの後退を、ここまで予見した者は果たしているだろうか。それはある種、未来への「科学と文化」の夢物語を見世物にしていた時代とは、まるで体温の度合いが違う。あらゆる集合体の危機と崩壊への確信を、そして個人の自由の不条理を、いよいよもって痛感せざるを得ない。少なくとも今日の日本は、あらゆる分野と文化において、世界の感覚から乖離し、堕落と没落の一途を駆け下りている。
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【科学万博つくば’85の会場図】 |
過去の万博の想い出が、頭から離れない。
33年前の科学万博(正式名称は国際科学技術博覧会。EXPO’85)―つくば’85は、茨城県つくば市(当時は筑波郡谷田部町)の筑波研究学園都市でおこなわれた。通称“つくば博”とも言われる。万博のテーマは「人間・居住・環境と科学技術」で、会期は昭和60年3月17日から9月16日までの184日間。当時中学1年生だった私は、学校の課外学習の一環として、つくば博を訪れた。訪れたのはちょうど今頃の6月13日。この日のことについては、当ブログ「EXPO’85回顧録・其の一」に綴っている。早朝、大型バス10台で会場に向かい、夕刻まで会場内のパビリオン見学をおこなった。
【ようこそ科学万博へ。各パビリオンのコンパニオン】 |
誕生日前だったから、まだ12歳であった(その頃はもう演劇部に入部し、演劇にのめり込んでいただろう)。科学万博の主旨は概ね理解していたし、そのテーマに基づいた人気パビリオン――鉄鋼館やくるま館、富士通パビリオン、電力館、NEC C&Cパビリオンは絶対に観たいと思っていた。会場内を駆け巡るビスタライナー、スカイライド、リニアモーターカーのHSSTにも乗りたく、未来のロボットにも出会いたかった。ごく普通の中学生の感覚だ。何かそこへ行けば、新しい未来が感じられるのではないか、大袈裟に言えば、人生観がまったく変わるのではないかという期待が大きく膨らんでいた。将来の、限りなく現実味を帯びている「21世紀の科学」という夢と希望。そのワクワクとした気分。抑えられない喜び――。
そうした諸々の夢は、実際につくば博の会場へ訪れて、人混みの中、無数の建造物やモノの氾濫に圧倒され、私は眩暈を覚え、時間的制限の無理に朦朧となって、挫かれていった。事前に書き留めておいた見学の計画表は、あっけなく頓挫した。実にあっけなく――。期待とは裏腹の、最も観客の少ないパビリオンを回っていく――中学生らしく端的に言い換えれば、つまらないパビリオンを回っていく――という不条理な現実路線に変更を余儀なくされたわけで、その究極的な、皮肉な出会いが、木造ピラミッドのパビリオン「ダイエー館〈詩人の家〉」なのであった。
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【ダイエー館を紹介する広告。公式ガイドブックより】 |
高さ9.5メートル、底辺幅38.4メートルのピラミッドを模した「ダイエー館〈詩人の家〉」は、板張り造り(建材はラワン)になっていて、休憩用のベンチにもなっていた。いかにも…。いかにも、中学生がまったく期待しない、つまらないパビリオンの代名詞とまで蔑まれていたこのパビリオンの館内は、実はドーム型の大スクリーン(ダイナビジョンシステム)とパワフルな音響設備がある、小規模な劇場になっていた。約20分間の映像を観、途中、しゃぼん玉が放出される。ではいったいこれは何のパビリオンなのかというと、まさに〈詩人の家〉。科学の進歩と繁栄に疲れ切った心を癒す、詩の世界を愉しむための映像ミニホールであったのだ。
私はこのパビリオンにすっかり取り憑かれた。結果的に、どのパビリオンよりも、つくば博は私にとって「ダイエー館〈詩人の家〉」がすべてであったと思わざるを得なくなった。当時の、このパビリオンを紹介する広告からテクストを引用してみる。
《ダイエー館〈詩人の家〉では、ドームスクリーンから一台のプロペラ機があらわれ、あなたを詩人の世界へお連れします。清水哲男さんとかジャック・プレベール、谷川俊太郎先生の詩の風景、ホンモノのシャボン玉が降りそそぎ、電気仕かけの大花火がはじける幻想宇宙。そして異次元体験の時空間をぬって美しく哀しく聞えてくるテーマソング“ポエジー”のあの声は、新人類のプリンセス、戸川純さんです。(全体の音楽は、英国生まれのロックミュージシャン。あのジョー・ジャクソンが、なんとクラシックの交響楽団を駆使して製作。ミュージックシーンの事件です)》
(公式ガイドブックのパビリオン広告より引用)
もう少しパビリオンの説明を引用してみよう。これは、公式ガイドブックで記されていたパビリオン解説だ。
《このプロペラ機に乗って私たちの詩の心は、世界を自由に飛びまわる。雲海、魚の群れ、北米の大森林や穀倉地帯、ニューヨークの夜景など時間、空間を超えて旅をする。旅の場面にあわせて、谷川俊太郎、清水哲男、ジャック・プレヴェールなどすぐれた詩人の作品が、朗読や映像で表現され、心をリラックスさせてくれる。音楽は英国生まれのロック・ミュージシャン、ジョー・ジャクソンと村井邦彦。旅が終わると再び無数のシャボン玉。フィナーレには、ハーグ60万人反核集会でのオランダ・イレーネ王女の平和への願い「人間の存在はかけがえがない。この地球は美しい。人生は苦しいが生き抜いていくだけの価値は十分にある」という宣言がながれる。一人一人が考えてほしいことばだ》
(公式ガイドブックより引用)
【貴重なダイエー館のサントラLPレコード】 |
私は10年くらい前、この「ダイエー館〈詩人の家〉」が懐かしくなって、サントラのLPレコードを入手した。今となっては大変貴重なレコードである。ジョー・ジャクソンの作った交響曲や、戸川純による詩の朗読を聴くことができ、そのダイナミックかつ情感溢れる交響曲に胸が熱くなる。プロペラ機で空中を彷徨い、地球上のマクロからミクロまでありとあらゆる場所をくぐり抜けていくといった浮遊感覚の映像美が、記憶から呼び起こされる。できうるならば、タイムマシンにのってあの頃に戻り、再びこのパビリオンのミニホールの観客席に座って映像を堪能してみたいと願う。
「ダイエー館〈詩人の家〉」の映像作品は、他のパビリオンで蔓延っていた3D映像ではなかった。最新技術の3D映像ではない、というある種色気のない趣向が、当時の評判を落としていたせいもあり、観客動員数的にもあまり好評を博したパビリオンではなかったのだろう。最も科学の為すところの、非科学的な「詩の世界」という科学の裏返しの着想に、私はとても感銘したし、今もこの精神に胸を打って已まない。12歳の私にとっては、最も衝撃的な出会いと言ってよかった。
12歳から13歳へ。こうして私は演劇と音楽にいっそうのめり込んでいった。「ダイエー館〈詩人の家〉」の影響は、今日の私自身を顧みても、とてつもなく大きな、夢と希望を与えてくれている。果たしてそんな人はいるだろうか。だが、ここにこそヒントが隠されている。世の中の頽廃した状況からの脱却は、人間の精神と心のモチベーションにかかっているのではないか。それを勇気づけてくれるのは、やはり《詩》なのだろう。
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