私はデュシャンの「泉」を観た

【東博の平成館に向かう通路にて】
 先月23日――。JR上野駅の公園口を出ると、空はまったくの濃灰色に染まっていた。まもなくぽつぽつと雨が降り始め、私は足早に公園内を通り抜けた。そそくさとライカのカメラをバッグにしまい込みながら――。
 向かうは東京国立博物館(東博)。東博の平成館にて催された、“東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展”なる冠の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観覧したのである。

 率直に言って今回の目的を述べると、私はその特別展で、“便器”(urinal)が観たかったのである。皓々と光に照らされ恥ずかしげな面持ちの、urinalの姿。それを粛々と見届けたいという思い。デュシャンの、最も有名な“男性用小便器”が暗がりの中で浮かび上がっていた。
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【ガラスに囲まれたデュシャンの「泉」】
 念願の、urinalを観る目的は達せられた――。
 1917年、デュシャンの「泉」(Fontain)。フィラデルフィア美術館所蔵、1950年のレプリカ。磁器製小便器。
 そもそもデュシャンの作品を知ったきっかけは、20代の半ばである。彼が「フランス生まれ」であるとか、「20世紀現代美術の巨匠」であるとか、「抽象主義」であるとか、「チェスが得意」であるとか、そういった情報は頭の中にからきし無かったあの頃、偶然にして唯々その一点のみ、つまりそのurinalの写真を、ある本の中で目撃したのだった。
 その本とは、宝島社の『図説 20世紀の性表現』(編・著は伴田良輔)である。しかしあくまで私は、その本で、1900年代の性表現クロニクルの位置づけとして、デュシャンの作品すなわちあの真っ白な磁器製のurinal=「泉」の写真を見たに過ぎなかったのだった。何故これが性表現に値するのか理解せず、むしろ通り一遍の解釈を用いようとすれば釈然としない写真でもあった。その時代のクロニクルとしては、モンパルナスのモデルのキキ(Alice Prin)の存在の方が、遙かに重要に思われた。
【むしろ“おまる”と称したくなる「泉」】
 当時の私の頭の中では、こういうことが駆け巡っていた。何故このurinalが、デュシャンの「泉」という作品なのか。また本来、小便器として実際に設置して使用する場合の向きは、その有名な「泉」の写真を見れば分かるとおり、被写体urinalの正面中央に当たる排水口の部分が底部になければならず、それをわざわざこのような向き(横向き)にして作品とした意図とはいったい何なのか。
 この2つの疑問と同時に、写真としての記憶は濃厚に刻み込まれ、デュシャン=男性用小便器という象徴のみが一人歩きし、なおかつそれ以上の情報を入手するわけでもなく、すべてが謎に満ちたまま随分と長い間、こうした煩悶的疑問を抱き続けたわけである。
 現代美術の争点としてみれば承知の事実であるが、結局それがデュシャンの、ダダイズムによる仕業だということを理解するに至ったのは、マン・レイの写真芸術を鑑賞するようになってからのことである。彼もまた芸術上、多くのレディ・メイド(既製品)を扱っている。ちなみにマン・レイは1922年頃からキキと同棲をし始め、1924年にはキキの背中をモチーフにした写真芸術作品「アングルのヴァイオリン」(Violon d’Ingres)を手掛けている。
 デュシャン(Marcel Duchamp 1887-1968)について『広辞苑』ではどのように表記されているか。
《フランスの美術家。アメリカに渡り、ダダやシュルレアリスムの運動にも関わり、近代美術の視覚優先のあり方を批判した絵画・オブジェで現代美術に大きな影響を与えた》
(岩波書店『広辞苑』第七版より引用)
 また『ランダムハウス 英和大辞典』でレディ・メイド(Ready made)を引くと、デュシャンの名が出てくる。
《現代美術のオブジェ;日常的な既製品にその本来の用途から離れた別の意味を持たせ、彫刻作品として発表したもの;1915-17年Marcel Duchampが発表した作品が有名》
(小学館『ランダムハウス 英和大辞典』第2版より引用)
 レディ・メイドとは、出来合いの既製品という意味があり、「泉」もレディ・メイド作品である。こういうことである。
 ヨーロッパ列強では第一次世界大戦の只中。すなわちシベリア出兵の前年、中華民国では広東軍政府が成立する前となるが、1917年のまさにロシア革命の最中、その春、芸術家リチャード・マットなる男は、ニューヨークのグランド・セントラル・パレスで催された“アンデパンダン展”に「泉」(Fountain)と題された磁器製の男性用小便器を出品した。
 アメリカの“アンデパンダン展”は、もともと1884年以来フランスで開催されてきたフランスの独立美術家協会(La Société des Artistes Indépendants)による無審査、無賞の展覧会の基本原則を借り受けた、言わばアメリカ版独立芸術家協会による展覧会である。この時4月10日の展覧会では、1,000人以上のアマチュア芸術家による作品2,500点あまりが出品されたという。真っ白な輝かしいurinalのFountainもそのうちの一つであるはずであった。
 リチャード・マット氏は、マンハッタンのショールームでJ・L・モット鉄工所が製造したレディ・メイド=urinalを買い付け、展覧会に送った。このオブジェは確かに開催日の直前に会場に運搬されていたという。ところが――。
 ところがどうも、展覧会の役員らによる評議によって、この作品を展示しない旨が決まったのだった。展示委員会の責任者であるデュシャンは協会に抗議し、役職を辞任した。この時の協会が発表した声明文がある。
《「泉」は、(一部省略)あるべき場所に設置されれば実に有用なものであるが、その場所は芸術の展覧会ではなく、そしてどう見ても、芸術作品ではない》
(フィラデルフィア美術館監修『デュシャン 人と作品』日本語版より引用)
 果たしてurinalは、芸術か否か? で大論争となった。これが「泉」にまつわる顛末である。写真家のアルフレッド・スティーグリッツはこの「泉」を自分の画廊に持ち込んで撮影。その写真はデュシャンやアンリ=ピエール・ロシェ、ベアトリス・ウッドが編集する小冊子『ザ・ブラインド・マン』の第2号に掲載され、“アンデパンダン展”における「リチャード・マット事件」を取り上げて、芸術家が侵害された権利への非難と「泉」の芸術性を説く寄稿文が掲載された。
 ここで触れておかなければならないのは、「泉」を出品した芸術家リチャード・マット氏なる人物とは、いかなる人物なのかということである。言うまでもなくリチャード・マットなる人物は、この世に存在しない架空の人物である。これはデュシャンが巧妙に企てた偽名であった。“アンデパンダン展”に「泉」を、つまり無審査・無賞の芸術展覧会にurinalを送り込んだら、いったいどのような結果になるだろうかという、デュシャンのダダイズム的計略の沙汰であった。まさにこれが既存の近代美術に刺客として送り込まれた問題提起であって、見事にその各論の提起は成功した。全体としてみれば、レディ・メイドを担ぎ出した革新的珍事件なのである。
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 私はその珍事件の“戦犯”なるオブジェ=urinalを、そのレプリカの実物を、2018年10月の東京の東博にて、目撃したのだった。もはや数奇な運命に満ちたurinalとのご対面であった、と言えよう。
 これ自体、今日に至るまで想像だにしなかった個人的出来事であるし、こちらがわざわざアメリカのミュージアムにおもむいて観たのではなく、向こう様がやって来て日本でそれを間近で鑑賞することができたのだから、すこぶる幸運な芸術鑑賞の極みと言っていい。一言で言えば、奇跡という粋なはからいの仕業なのである。
 「泉」のフォルムが、それ本来の工業製品としての有用性云々を飛び越えて、あまりにも審美的であることについて、以前より私は感動を覚えていた。その物が固有に保持する必然的な機構と法則は、ある種美しい秩序の流れのような存在となり、構造そのものが審美的に整った形となること。すなわちフォルムの審美的芸術性とは、機構と法則の美を意味しているということ。国鉄時代の0系新幹線のフォルムがまさにそれである。
 その観点での美を追求していくとなると、デュシャンの「泉」は、私がこれまで目にした公衆用トイレの、どのurinalよりも美しいのではないか、と思ったことは事実である。小学校のトイレしかり、駅のトイレしかり、東京におもむいた数ある劇場や映画館のトイレしかり――。かつて古びたドライブインなどで見かけた、驚くべき壁式小便器(実際には小便器はなく、ただ壁に向かって用を足す形態の小便用トイレ)を体験したことのある古めかしい私としては、デュシャンの「泉」はあまりにもフォルムが美しすぎるのである。それは実用としてそこに立つ者を誘惑する、“魔の力”さえあるように思われる。女性にはこのあたりの理屈が体感として味わえないことが残念である。
 デュシャンの「泉」というレディ・メイドについて、台座彫刻の制作で知られるアーティスト竹岡雄二氏は、美術系月刊誌のインタビューで次のような興味深い話をしている。
《マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」という概念が僕にとっては大きい。僕が興味を持ったのは、デュシャンが便器を台座に置いたということでした。レディ・メイドのオブジェクト、特に便器というまるで芸術作品にならないものを作品にするには、台座の上に置く必要があったんです。人は「レディ・メイド」ということにばかり注目しますが、僕はデュシャンが便器を台座に置いたこと、そのものをこそ見るべきだと思うんですよ。デュシャンの「レディ・メイド」以来、現代の美術は大きく変貌したと思っています》
(美術出版社『美術手帖』2016年4月号より引用)
 話が長くなりそうだ。デュシャンの人と作品については、今後もことさら取り上げていきたい。デュシャンのダダイズム、そして東洋のタオイズム(老荘思想)との接点について触れることができれば、と考える。

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