【五味彬『YELLOWS 3.0 China』文庫版】 |
当ブログでは、写真家・五味彬氏の“YELLOWS”シリーズをゆるゆると解説したりしている。前回は3年前の7月の「Yellows MENのCD-ROMのこと〈一〉」まで遡らなければならない。それ以降にストックしておいたシリーズの解説なるものが、悠長に延びていることをお詫びする。私自身の“YELLOWS”シリーズの“追っかけ話”は、まだ完全に終わっていないことを明言しておきたい。
たどたどしい日本語を操る若い男女の外国人と仕事をすることは、私にとってごく有り体な日常となっている。片田舎で暮らしていると、散歩などしていたら10人出会ううち2人か3人は、外国出身の人だったりする。日本の社会全体として、既にそういう様相が当たり前となった。私の顔馴染みの知り合いを思い浮かべてみても、およそ3分の1が外国出身の人だと言い切れる。
そうなると、それ以外の3分の2が、生粋の地生えの日本人ということになるのだが、既に私も含めて、流暢な日本語を操っているといえるのかどうか、日本語が変に奥まってたどたどしいのは、むしろこちら側の人たちではないかとさえ思えてならない。
いや日本語としてのみならず、日本文化の平凡な営みは、もはや一億総中流的な安心感を求めるような、世間体を意識して隣の家の所帯の真似生活をするものではなくなってしまった。
誰しもが極端な形での個人主義にひた走り、日本人が今となっては孤立主義を好む人種と化しているのではないかという懸念すらある。できうるならば、生粋の地生えの日本人だけの価値観で一生の物事を済ませたいという願望がある人は、声としてオモテには出さないが決して少なくないであろう。ただし常にそれは、孤立を意味し、世界の要諦とはかけ離れて生きることに他ならない――と案じておかなければならない。
【※今回に関しては当方の自主規制で黒目線加工いたしました】 |
“YELLOWS”シリーズの中国人版
五味氏の“YELLOWS”シリーズにおける“ヘアヌード”写真集が、おおむね1993年から1995年にかけて怒濤の如く発表された中で、アメリカ人女性版と中国人女性版が別個に発表されていることに刮目したい。今回は、1994年の中国人女性版『YELLOWS 3.0 China』(風雅書房)を取り上げる。
私自身はこれの文庫版(ぶんか社から1998年に刊行された、モノクロからカラーに変換された新装改訂版)を持っている。初版の大判はそれなりにレアものとなっていて、入手はなかなか難しいだろう。ごく最近になって、五味氏の“YELLOWS”シリーズが古本業界隈で少し稀少価値的な取引をされている傾向が見受けられた。
この『YELLOWS 3.0 China』の初版(風雅書房版)の帯を引用しておく。
《イエローズ3.0 史上初、中国女性100人の身体的記録》
《日中共同編集による世界初の中国人女性100人のヌード■撮影期間3ヵ月》
《撮影■五味彬 解説■荒俣宏・片山一道》
“イエローズ”のヴァージョンが3.0にヴァージョンアップしていることにまず注目すべきである。ここでの“イエローズ”は黄色人種を意味し、日本人女性の次は同じくして黄色人種である中国人女性のヌードを記録した旨を高らかに喧伝しているのだ。
ただし、私はこのシリーズの批評においてつねづね遠巻きに述べているのだけれど、人種そのものを分類し、そのヌードを比較研究する発展的解釈は、この本の内にはなく、あくまで五味氏の好奇心を堅実なるフットワークとした、一般大衆に向けたメディア戦略の形態に他ならない。少なくとも、かつてイギリスの写真家エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)が撮影した「アニマル・ロコモーション」のような、写真技術を駆使した巧妙なる動体の科学的研究の対象とは、全く無縁であることを示唆しておきたい。
つまり、『YELLOWS 3.0 China』における重要な観点は、身体上の科学的見地などではなく、あくまで当時の国際上の、ソ連崩壊を初見とした社会主義国家のゆらぎのなかで、やや自由主義的な観測気球を上げた“ヘアヌード”論争の気炎が、ついに中国にまで発展したかどうか――ということであって、それを思わせてくれたことへの期待の高まりは、五味氏の功績として決して矮小すべきではないのである。たかが“ヘアヌード”、されど“ヘアヌード”なのだ。
【これまでのシリーズと同じスタイルで撮影された】 |
おどろおどろしい黒い話
人間の身体の形状は、その人のモチベーションによる個別のフィジカルケアと、時代に付与したファッション、生活環境、人間関係、あるいはその人の経済的状況と喜怒哀楽の相乗効果が加味されて創り上げられているといえるもので、顔や身長体重の差異は言うに及ばず、ピュービック・ヘアの観察眼においては、その盆栽の如き手入れの差異による雅趣を味わうことが可能であるが、当然ながら乳房の形状の差異も全く個性的で妙味といえる。これらを総合して、その人の花と実=「人格」を有しているという定義が成り立ちそうだ。
以上、私は初版本を所有していないので、荒俣氏や片山氏のその専門的な解説を読んだことはないが、この『YELLOWS 3.0 China』のなんたるかは、むしろそんなことではない。
文庫版に掲載してあった五味氏自身による解説及び裏話「今だから話せるイエローズ裏話」を読むことで、例えばピュービック・ヘアに関する芸術的観察眼への一定の理解どころか、裸体としての風光明媚の鑑賞全てが吹っ飛ぶことになるのだ。これはいったいどういうことなのか。
本来、鑑賞者が担保されるはずの“ヘアヌード”写真集としての味わい深い品位は、撮影者自らが裏話――いわゆる黒い話――を吐露したことによって、悪く言えば全て台無し、いずれにしても裸体鑑賞の情趣そのものを、皮肉ながら――まことに皮肉ながら、“真っ白け”にしてしまった点において、いったいぜんたいこれはどういうことなんでしょうかと疑問を投げかけたくなるのだ。それはあまりにも、顕著に政治的すぎた話であった。
【今も昔も変わらない“ヘアヌード”写真集の極み】 |
拒まれたヌード
あえてここでその五味氏の“証言”を再現してみようではないか。
――そもそもこの中国版の企画は、中国政府に顔が利くコーディネーターがいて、既に彼と中国の厚生省の役人とで話がついており、北京で撮影ができるということだった。その年、外務省の外郭団体の国際交流基金が日本の写真家を海外に紹介するため、『液晶未来展』が企画され、『YELLOWS 2.0』が出展に選ばれた経緯があって、五味氏は、中国政府に理解されていたのではないかと勝手な思い込みをしたのだという。
ところが、担当編集者から連絡が入り、北京での撮影はダメになったから、広州でおこなう、広州へロケハンに行ってくれと五味氏は言われた。五味氏とCD-ROM版プロデューサーの江並直美氏、それからその担当編集者の3人は、香港経由で広州へ渡った。
現地では、先発のコーディネーターと北京から来た中国人女性の通訳、元広州の特別警察のOB、それから“マダムヤン”と名乗る怪しい女性がいて、打ち合わせが始まった。“マダムヤン”は、ここから車で2、3時間行ったところの街の、書記長(市長)を知っていて、今回の話はつけてあるということだった。一同はその街を目指した。
そうして3時間、いや5時間走らせても、その街には着かなかった。昼間の3時にホテルから出発した一同は、途中で夕食を取った後、ようやく街に着いたのは、夜中の2時過ぎだったという。
翌日、書記長が一同を食事(昼食)に招いてくれるというので、市が経営するレストランへ向かった。
書記長が来て食事が始まったが、どうも話の様子がおかしい。皆さんがご覧のように海岸沿いにはホテルを建設しています…。海産資源にも恵まれて、昨年は日本の会社がカニかまぼこの工場をつくりました…。などと無関係な話をされ、街のPRビデオまで渡される始末。自分たちを日本から来た投資家と勘違いしているのではないかと五味氏は思った。
ホテルに戻って、“マダムヤン”に撮影の話は伝わっているのかと訊ねた。伝わっていると“マダムヤン”は言う。五味氏らが書記長の前で撮影の話ができなかったのは、中国ではヌード撮影をおこなった者、モデルになった者は7年の懲役刑であることを出国前に知らされていたからだ。本当にモデルになる女性は確保できるのだろうかと不安になり、オーディションをするから4、5人連れてこようという話になった。
そうして、モデルがやってきた。
カメラテストをするから服を脱いでくれと言ったら、そんな話は聞いてないという。“マダムヤン”が説得して、その中の一人を撮影してみたが、どうもこの街はヤバいということになり、一同はその日のうちに広州に戻った。
広州に着いて、元広州の特別警察のOBが、ここから車で2、3時間行ったところの街の警察署長を知っていると言いだしたので、一同は、藁をも掴む思いで行ってみることにした。
その街は廃墟のようなところだった。まるで爆撃から逃れたかのようなコンクリート造りの建物があった。市の警察が管理している娼婦宿だという。一同は、その建物の2階にあるレストランで、警察署長と落ち合った。
通訳によると、撮影の話はちゃんと伝わっているという。モデルたちがたくさん居るという3階の娼婦たちの部屋に案内された。撮影場所については、2階のレストランを提供すると言われた。が、その日だって100席以上ある客席が満席状態のレストランを、2週間も閉鎖して撮影がおこなえるなんて信じがたい。結局、日本に戻ってから返事をするということになり、一同は広州に戻った。
何の土産話もなく帰途につくことになった一同は、疲労困憊状態だった。にもかかわらず、日本からやってきたわれわれ3人は、なんと特別警察にマークされていたことに後になって気づく――。
【事情を知れば中国版がいかに奇跡の作品かわかる】 |
――空港の機内荷物のチェックの時、出入国管理官が「ビデオカメラは持っていないのか?」と職務質問してきた。3人とも持っていないと答えると、「カメラは?」と訊いてきたので、持っていたカメラを差し出す。そのうち、中国国内で撮影したフィルムを全部出せと言ってきた。
五味氏は、カメラに入っていたフィルムを1本だけ取り出して渡した。すると、撮影禁止の物が写っていないかどうか調べるから、現像が終わるまで待て、言ってきた。
確かにそのフィルムには、軍事基地などは撮った憶えはない。が、“マダムヤン”に連れて行かれた街で撮った、ヌード写真が写っている。
このフィルムを現像されたら、拘束されて7年間日本に帰れないことになる。恐怖に駆られた五味氏は、現像を待っていては飛行機に乗り遅れるから、そのフィルムはいらない、処分してくれと管理官に言った。しかし、英語が通じない。
そうしている時にたまたま、後ろにいた台湾パスポートを持つ若い男性が、「どうしたのですか?」と訊いてきた。五味氏は事情を説明して、通訳してもらったところ、管理官がフィルムの預かり証を書いて渡してくれたのだ。こうしてどうにかこうにか、一同は無事に飛行機に搭乗することができた。
機内に乗り、3人はようやく危機を凌いだと安堵していた矢先、あの出入国管理官とさっきの台湾パスポートの若い男性が一緒に入ってきたという。
五味氏は、二人が入ってくるのを見て、顔面蒼白となった。管理官はこう言う。フィルムは返す。だから預かり証を返してくれと――。
預かり証を渡し、何事もなく香港経由の飛行機は離陸したのだった。
離陸してまもなく、後ろに座っていた江並氏からメモが渡された。
香港に着くまで、ロケハンの話厳禁――と書いてあった…。
香港に着いてから、江並氏にその意味を訊いた。
すると、実はあの台湾パスポートを持っていた若い男性が、私の隣の客をどかして座ってきたのだという。おそらく彼は特別警察の人で、例のフィルムについて、われわれが違法な物を撮った云々の話をし出したら即刻機内で逮捕するつもりだったのだろうと、江並氏は言う。
江並氏の機転がなければ、日本からやってきたわれわれ3人は中国で拘束され、今回の中国版は実現しなかっただろう。帰国後、あらためて香港のコーディネーターを雇って『YELLOWS 3.0 China』は完成した――。これが五味氏の語る、『YELLOWS 3.0 China』の黒い裏話である。
双璧となる写真集『YELLOWS Americans 1.0』はこちら。
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