私が下着デザイナーの鴨居羊子さんを知ったのは、5年くらい前である。その頃まだ果敢に蒐集していた壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)の第3号(昭和31年6月発行)に、鴨居さんのイラストと文「ココ娘! 乾杯」が掲載してあったからだ。
その時は彼女の斬新なイラストに心を奪われたものの、女性下着に係る文章がピンとこず、それ以上詮索することがなかった。
そうして今年、「人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ」で「昭和期レナウン」のスキャンティの写真に出くわした時、〈ああ、スキャンティというのはこれか!〉と、鴨居さんを思い出した次第である。
既製下着を飛び越えた鴨居ファッション
その“ココ娘”=[鴨居羊子コレクション]の書籍のうち、とくに下着に言及した『女は下着でつくられる』(国書刊行会)から、彼女の略歴を引用しておく。
鴨居羊子(かもいようこ)1925~1991
鴨居羊子著『女は下着でつくられる』より引用
大阪府豊中市生まれ。新聞社記者を経て、下着デザイナーとなる。日本で初めてカラー下着を制作、初の下着ファッションショーを開催するなどして時代の寵児となる。<スキャンティ>も彼女による命名。その一方で文筆活動にも才能を発揮し、軽妙にて幻想的、快活にして味わい深い、美しく魅力的なエッセイを数多く残している。
そういえば、「人新世のパンツ論⑨―日本男児の終焉とスーパーな昭和50年代」で、“男性下着の初のファンションショー”(昭和50年、東京・銀座にて)について書いたことがあったが、ついでに“初の女性下着のファンションショー”についても調べ、それが昭和27年の大阪・阪急デパートにて、主催がワコール(当時は和江商事)だったことを突き止めたのだった。しかし、この時の大阪のファッションショーと鴨居さんの略歴にある“初の下着ファッションショー”が同じイベントを指していない可能性があり、鴨居自身さんが前者のそれに関係していたかどうかについては不明である。
鴨居さんは昭和30年代に新聞社を辞め、独立して下着メーカー「チュニック制作室」を立ち上げた。その手始めの段階で、自分が造形した下着の「個展」を、大阪そごうのデパートで開いている。「個展」やファッションショーの立ち上げ云々はさておき、彼女が作り出そうとしていた下着は、それまでの日本の、質実剛健的な既製下着の概念を超えた別物――という印象がある。それがあの、昭和31年の「ココ娘! 乾杯」だったのだ。
『洋酒天国』第3号に掲載された「ココ娘! 乾杯」はこれである(上画像)。画像のままでは小さい字で読みにくいと思うので、以下に記しておく。
ココというのはフランス語でハスッパ娘。
『洋酒天国』第3号より鴨居羊子「ココ娘! 乾杯」より引用
朝から晩まで自分の好きなことし放題で、太陽が紫色から―真黒になっても、まだ遊びたらないような顔のまま日が暮れます。
ココ娘のお道楽は下着のおしゃれです。殿方が見たくてむずむずしながらも、見たことも聞いたこともないような、チャーミングなもろもろの下着……キャミター、ペペッティ、ココッティ、スキャンティ、ガードル、ムーランペチ、チャービネーションETC……こんなものをつくっては“お肌のカクテール”にうつつをぬかしています。そのときのココはあたかもエリック・ギルのお弟子でもあるかのような顔つきです。
お肌のカクテールがすむと、ココ娘は、お酒のカクテールに酔いしれます。
花びらのカクテール。幻想のカクテール。
エロスのカクテール。肉体のカクテール。
“ココ娘! 乾杯!”
キャミターはブラジャーを隠す機能があるキャミソールのことだろう、とは想像できるが、あとのペペッティ、ココッティ、スキャンティっていったい何???―― と、最初はなんだかわからなかった。
彼女が描くイラストも特徴的なのだ。下着姿の女性が、開放的に肌を露出している。蒼色の長い髪の女性など、かわいらしいガーターベルトにストッキングを穿いていながらも、腰元は全く無防備。すっぽんぽん。下着が透けているのでなく、《女性部》がむき出しなのである。彼女のイマジネーションの世界は、その自由奔放さが実際的に創作下着となって表れている――のではないかと思われ、なんだか凄みのあるデザイナーさんだなという印象があった。
彼女はこんなことを述べている。
男の人のラクダ色のメリヤス・シャツとパッチ、人絹やクレープのステテコというのは、今でこそ若者とは縁遠い存在になりつつあるけれども、そのスタイルは明治以来つづいていた。女の人も冬ともなれば、ボタンのついた分厚いメリヤス・シャツと長ズロースをはき、その上に壁デシンのスリップか、メリヤスのシュミーズを着ていた。ごろつく上に肩がこって仕方がない。早く春になって上衣と下着もろともセミの皮脱ぎのように、全部体からはがしてしまいたくて仕方がないという思いを毎冬感じていた。
鴨居羊子著『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』より引用
相当ご不満だったようである。
おそらく戦後の、メリヤス下着が市場に溢れた様子を指しているのかと思われるが、そのメリヤスの、機能性ばかりが謳われ、決しておしゃれとはいえなかった下着たち。冬季はとくに、下着(肌着)が上も下もややこしくかさばって、なかなか重々しかったに違いない。
ペペッティ、ココッティ、スキャンティ
さて、私の関心が高かったペペッティだのココッティだのの、彼女が編み出したそれぞれの下着の名称について、同著『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』の中で解説があったので、大体のところを要約して紹介しておく。
▶スキャンティ
パンティよりも股ぐりが深いもの。小面積でパンティの機能を果たし、脚が長く見える。太った人でも股ぐりの斜線で脚が入りやすい。
▶ペペッティ
スキャンティの機能性をさらに推し進めたバラフライ式の小さなもの。この上にコルセットやパッチを着けるなら都合が良い。着物を着る時にも便利。
▶クロスティ
男性が穿くフンドシのようなクロス型のパンティ。ギリシャの青年と日本の武士それをイメージした透明なナイロン製。
▶ココッティ
パッチのパンティ。この中にスキャンティやクロスティ、ペペッティを穿く。下腹部の保温性やおしゃれを合わせた機能美。ナイロン、アセテートトリコット製で、タイツ式長パッチの裾に細い木綿手編みレースや宝石をつけた。
▶チャービネーション
チャームなコンビネーションの意。透明感のあるレースのスリップのことか?パンティとの組み合わせのチャームな妙味。
▶パチコート
パッチ式ペチコート。《ペチコートの中を美しい太いリボンが8の字に通されていて、リボンをひっぱって脇でむすぶと中世の馬乗り用ペチコート、あるいはキャロット・スカートのようになる。これは意匠登録を早くもとってみた》。
私も「昭和期レナウン」の正真正銘スキャンティを穿いて大満足だったが、男性下着のブリーフも、大雑把に極小のものをビキニ(又はスーパービキニ)――と呼ぶだけでは分類が不完全なのであった。よく見れば、同じビキニタイプでも、股ぐりの曲線が深いスキャンティがある。あるいは、フンドシにも似たクロスティといいたいものもある。しかしなかなか、男性下着の分類でそう呼んだりはしない。そもそもそういう知識が足りないからだ。
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転じて、鴨居さんが造り出した女性下着が、驚くべきことにそれは昭和30年代のことでずいぶんと大昔から革命が起きていたのであるが、実におしゃれで、当時の女性心理にあやかったこまやかな「自己主張」をなしていることがわかる。むろんそれは「さり気なく」でもなり、場合によっては「自己主張」が強い下着もあったりするのだろう。しかし全般的に、彼女のいう下着は――それが男性下着も含めてかどうかは定かではないにしろ――「実用的でありつつ、美容の一部とならなければダメだ」との思いはあったようだ。
私が考えるに、まだ日本人の男性には、その意識はきわめて薄いものじゃないかという気がしてならない。昭和、平成、令和と、時代はだいぶ過ぎているのに、下着へのこだわりはまだまだ幼いなあと思う。
目覚めよう、男性諸君。
追記:「人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』」はこちら。
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