素晴らしき電子リコピー

 イタリアのピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)監督の映画を特集したフィルムアート社の映画雑誌『季刊フィルム』(No.5/1970.3.1)の広告に、リコー社の電子リコピー「BS-320」が掲載されていて、毎度私がその本を読むたびに気になっていた――という話を先月書いた(「二つの序章―パゾリーニとリコーの印刷機」)。

 オフィスの理想機=「小さな巨人」

 何か重大な秘密がそこに隠されているのではないか、と思うくらいのざわめき。なにゆえに私はこの電子リコピーの「小さな巨人」に関心をいだいているのか、正体がさっぱりつかめないでいた。
 ものすごく低い位置に設置されてしまった電子リコピー。それを操作する広告上のモデルさん=オフィス・ガール、いやオフィス・レディ、いやBG(ビジネス・ガール)の腰部は、大きく曲線を描き、前かがみになってしまっている。それから、白いハイヒールと両足の美しい弓形のライン――。一流のカメラマンが弾き出した、究極の“カーブ美”といえそうである。

 最も進んだ電子複写機
 給紙カセット1式付31万円

 そうだったのだ。これを目にするために、私の映画狂の心持ちは砕かれ、パゾリーニ映画への興味が失せていたのでなかったか。であるなら、存分に、少しばかりの皮肉を込めて、パゾリーニ、いやBS-320について語り尽くそうではないか。もはや狂気の沙汰であるけれども。

パゾリーニと高貴な電子リコピーの不釣り合い?

 すっかり私の喉は、渇ききってしまっていた。
 そんな時、あの伊丹十三が私に語りかけてくるのだ。ジン・バックを飲めと――。
 レモンを半分切って、皮に切れ込みを入れておき、グラスにそれを押し込む。ドライジンを適量加え、ジンジャーエールを流し込んで氷を入れる。マドラーでグラスの中のレモンをぎゅうぎゅう押せよ、と伊丹氏はいうのである。

 押せよ。
 むろん押せば押すほど、レモンの酸っぱいエキスがグラスに充満して、渇いた喉にふさわしい刺戟をもたらしてくれるという寸法。大人のエグい享楽。それはジュースではない。酒、カクテルである。

 ところで、その「最も進んだ電子複写機」の価格は、31万円と書いた。
 当時、トヨタのスプリンター1200の標準車が49万ほどであったらしい。ちなみに、1972年当時の週刊誌『平凡パンチ』(マガジンハウス/旧社名・平凡出版)の1冊の値段が、100円だ。現在の週刊誌が500円弱だとすると、単純に換算して、リコーの電子リコピーの当時の価格感覚は、今でいうと“150万円”を超えていたのではないかと考えられる。

 そうなると、おかしなことになりはしないか。
 オフィスの「小さな巨人」がいかに高価な巨人であったかがわかるのだが、そんな高価な商品の広告が、なぜ『季刊フィルム』などという雑誌にインサートされていたのか。しかも、パゾリーニ特集の合間に――である。謎だ。しかし、いやいや、そうではなくて?

 そうではないんだってば?

美しきフライヤー

 こんな奇跡なことはめったにないのだけれど、偶然にも私は、このリコーの電子リコピーのオフィシャル広告フライヤーを入手してしまったのだった。
 いや、これは素晴らしい奇跡だ。ジン・バックを飲もう。押せよ。

《世界最小のボディで完全自動
 オフィスの“小さな巨人”誕生!》

 本や立体物がオートマチックにコピーでき、しかも世界一小さいボディ=新製品「電子リコピーBS-320」は、リコーの技術が生んだ“小さな巨人”です。
 紙送りも、現像液の補充も自動、コピースピード、コスト、それに一番重要なコピー上り……どれをとってもこのクラスで最も有利で充実しています。
 デスクサイドに置いて、気軽にお使いいただける電子リコピーBS-320。情報化時代のコピーづくりは、この“小さな巨人”におまかせください。

リコーの電子リコピー「BS-320」フライヤーより引用

 おお。
 感動すら覚える。
 美しいリヴィッドの色合いのボディが、精悍なイメージを印象付けているではないか。

 フライヤーの裏には、より詳しい性能・仕様が記されていて興味深い。
 BS-320の複写は電子写真方式(湿式)。カセットのドッキングで自動給紙可能。カセットに最大150枚のコピー用紙(A4又はB5判)を入れておけば、自動的に1枚ずつ給紙され、連続してコピーできる。
 むろん現像液もカートリッジ式で自動給液。プレミックス現像液。それから、独特のスライダー方式(スリット露光)。スキャニングするときの光源は固定されており、原稿とコピー用紙を同時に移動させる方式。この光学系の技術により、超コンパクト化が実現。
 面倒な操作はなく、ボタン一つで何でもコピー。プリントボタンを押すだけ。複写時の濃淡を調節するつまみ、複写する枚数を操作する減算式リピート機構のつまみ(1回につき最大20枚まで複写可能)。
 コピースピードはA4判で毎分6枚、B5判で8枚。コピー上りは驚くほどシャープ。細小の文字や数字、写真、カラー原稿などでも精細に複写できる。
 ご用命、アフターサービスは、特約店が万全を期しているとのこと。以上。ふーん。

《このクラス最高の性能/リコー技術陣の勝利です》

 訂正――というほどのことではないが、カラー刷りのフライヤーが美しいのではなく、電子リコピーBS-320自体が美しいのであった。

 私が幼少の頃、住んでいる町のとある公民館で、それはそれは毎週のように、廊下に設置されていたオフィス用の複写機を眺めていたことがある。
 機械が動いている時は危ないから、触ってはいけないよ――と、よく注意された。
 それは“青焼き”の複写機で、ジアゾ式複写機というらしい。たいそう大きな筐体だったと記憶しているが、私が眺めていたのは昭和50年代初めの頃のことで、対照的にそれを思い出したのである。つまり、その“青焼き”の複写機より以前のオフィス用の高級複写機が、こんなにも小さく美しいボディであるとは、夢にも思わなかったのだった。なんだ、あのふてぶてしいくらいに大きく見えた、公民館のジアゾ式の複写機とは比べ物にならない美形じゃないか。といったぐあいに…。
 ぜひ“小さな巨人”の実物を、この眼で一度眺めてみたかった。

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