『平凡パンチ』と早大スペイン語研究会の備忘録

 昨年12月の当ブログ「人新世のパンツ論⑱―特別編III・シキボウと『平凡パンチ』」で、稀代の週刊誌『平凡パンチ』の“男性ブリーフ特集”についてお伝えした。
 それまで私自身、『平凡パンチ』(マガジンハウス)なんて買ったことも読んだこともなかったわけである。「人新世のパンツ論」を書くために、偶然その“男性ブリーフ特集”が掲載されている号をネット上で発見し、血が騒いだ。なかなか面白い週刊誌だと思った。
 それで何冊か、昭和期の『平凡パンチ』を買ってみたわけである。そうしてこれまた偶然なことに、1978年11月27日号で、早稲田大学の「スペイン語研究会」に関する記事を発見し、私は“スペ研”を初めて知ったのだった。

 スペイン語研究会???

 そう、“スペ研”である。
 とどのつまり、“スペ研”からスペイン絡みの話題に持っていきたいのであるが、その前にしばし、男性風俗のモメントとしての貴重な資料でもある昭和期の『平凡パンチ』(1978年11月27日号)の内容について、備忘録がてら、いささか軽くふれておくことにする。
 はて、『平凡パンチ』とは、いったいどんな週刊誌であったか――。

なんといってもセクシー路線

 週刊誌『平凡パンチ』の創刊は、1964年4月。男性向け情報誌としてスタートし、政治・経済、ファッション、その他諸々の風俗をトピックとしていたエネルギッシュな雑誌であった――。およそ創刊から24年続き、1988年10月にあえなく休刊。翌年には、装いも新たに『NEWパンチザウルス』として復活を遂げたものの、これはわずか4か月で休刊となってしまったらしい。
 そういういわくつきの歴史があるにせよ、『平凡パンチ』は昭和期の伝説級の、“男のための雑誌”だったといえそうだ。

 さて、1978年11月27日号。
 表紙はなんと山口百恵さん。もうすでにアイドル路線から一線を画し、女の色気がほとばしっていた頃ではなかったか。

 『平凡パンチ』のセクシー路線はなかなか男性読者を釘付けにしたようである。
 この号では、カメラマン稲垣学氏によるカラーグラビア4ページで、「恥じらいの季節――青春のメモリー…◯田久子」と題してヌードフォトが差し込まれていた。
 この黒髪のヌードフォトのモデル、◯田久子さん。素人さんの風情を醸し出しているので、一応そういうことにしておくが、あるカットでは白いレースのワンピースから乳房が見え、別のカットでは薄めのスキャンティから猥雑な黒い影の存在が浮き出ていたり…。
 しかも律儀にプロフィールが添えられてある。《昭和35年2月4日生れ(18歳)、東京出身 高校卒業後自宅で花嫁修業中(以下略)》

 《花嫁修業中》という言葉も久しぶりに目にしたが、稲垣氏いわく、《可憐な少女の面影が、どことなくかぼそくて、こわれてしまいそうな感じだった》――。それはあまりにも詩的すぎやしないか。むろん、美しいイメージではあるが。
 団塊ジュニアの私は、小学生の頃、この大人の雑誌『平凡パンチ』を買って読むことに、ひどく憧れたものだった。そういう男子は意外にも2、3人いたと記憶する。ただしどう考えても、子どもが手を出せる雑誌ではなかったのだ。
 そう、なんといっても『平凡パンチ』はセクシー路線。
 書店に置かれた新着のそれを、表紙だけ眺めて見、そこに女性の何が秘められているのだろうかと、えらく邪な想像を掻き立てたものだった。

恒例の大学生記事

 何事にも決起果敢な大学生の学生寮に侵入。そんな特集記事もある。「友情・連帯・共生感…学生寮の真摯な青春」。

 なるほど、この手の企画で大学生くらいの年頃の若者たちが興味を持ち、『平凡パンチ』を毎号買って愛玩していたのだろう。東大の駒場寮、京都大学の吉田寮、信州大学の思誠寮、岐阜大学の凛真寮が紹介され、それぞれの寮に住む学生らがああだこうだと述べているのだった。

 だいたいのところ、この時代の学生寮は、古くて当然、ボロボロだったようだ。
《そやけど、2、3年前に文部省が老朽化の調査にきた時にも、5000点以下が危険といわれる老朽度数が、東寮3600点、西寮2900点(全国でワースト4位)とすごい結果が出てるんや。雨もりはやはり多いし、台風がきた時には避難命令が出て、みんなで飛び出したりで、それなりに大変なんや》
 これは京大・吉田寮の学生の談である。

 ちなみに、あとあと紹介する早稲田大学についても一応拾っておくと、その大学一覧には「田無学生寮」とあって、この寮は昭和36年6月に建てられ、《友達のいない寮生で満員》――と記してあった。寮生の気質に関しては、こうある。
《バンカラ風は少なくなったが、連帯感は健在》
 バンカラ風――。この言葉は昭和人にとって実に懐かしいのだ。バンカラとは、蛮カラのこと。

身なり・ことば・行動が、下品であらっぽいこと(・人)。「ハイカラ」をもじった古いことば。

三省堂『現代新国語辞典』第七版より引用

カウボーイはカーボーイ

ロンサム・カーボーイの真の姿とは?

 こんな特集記事もあった。
 「シスコからニューヨクへ 18輪大横断!」。「ビッグ・トラックは現代の幌馬車だ!」。
 アメリカのロンサム・カーボーイ(Lonesome Car boy)を伝える記事である。
 何を隠そう昭和人はポルシェなどのスーパーカーに憧れ、一方でビッグ・トラックにも憧れた。アメリカ版の“トラック野郎”のことだ。表題の“ニューヨク”は誤字であり、“ニューヨーク”が正しい。

 前の10輪のトラックは俺のだが、うしろはちがうよ。肉か、野菜か、オレンジか、8輪のトレーラーに積むものは雇った会社が決めるんだ。行先だって向うの勝手さ。もちろん、1マイルに26セントの約束さえ守ってくれれば、文句は言わない。
 時速55マイルでぶっ飛んでるときにはなんてことないが、夜道の向うにピンク色の空が見えると、そこが街なんだ。そんなとき、最後に女房の尻を見たのが2週間前だったことを思い出しちまう。ロンサム・カーボーイだって? そうかもしれねえな。

『平凡パンチ』1978年11月27日号より引用

 国内では槇原敬之さんの「LONESOME COWBOY」の曲が知られるところではあるが、たいへんいい曲でありつつも、アメリカのそれは、ややちょっとイメージが違うようだ。

 フェニックスからサンタフェへ――。野郎たちの長い孤独の旅は、どこかで彼らを詩人にしてしまう。しかしながら請け負った仕事は過酷で、ロマンティシズムより金欲しさが優先される。それが本来のロンサム――である。
 ある者はいう。金のためさ。あと4週間で、ニューメキシコのセメントプラントが買えるようになる。またある者は、こういう。ガキの頃から憧れてたんだ。トラック・ストップで働いてるのも、トラック・スクールへ行く資金かせぎのためなんだぜ。
 トラッカーたちはつぶやく。昔は本当のカウボーイだった。親父の遺産でトラックを買ったんだ。今だってカウボーイみたいなものさ――。日本人にとってロマンティックに詩的すぎる感のあるカウボーイたちの、その本当の姿は、みな稼ぐためのカウボーイなのである。

『コンボイ』と『真夜中のカーボーイ』

 私はある映画を思い出した。
 サム・ペキンパー(Sam Peckinpah)監督の『コンボイ』(“Convoy”)。
 そもそもこの映画の日本公開は1978年の6月で、おそらく映画の影響があって、この号の記事の企画が組まれたのではないかと思われる。ここでは詳しく述べないことにするが、『コンボイ』は実に男臭い、文字通り大型トラックがばんばん出てくる映画である。

 もう一つ書いておくと、ジョン・シュレシンジャー(John Schlesinger)監督の『真夜中のカーボーイ』(“Midnight Cowboy”)もカウボーイが登場する。1969年公開のアメリカ映画。
 主演はなんと、ジョン・ヴォイト(Jon Voight)とダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)。
 ジョン・ヴォイトというと、私は74年の『オデッサ・ファイル』(“The Odessa File”)が好きなのだけれど、ここではテキサスのカウボーイ・スタイルの青年とスラム街の男(ダスティン・ホフマン)の友情物語といったところで、原題のカウボーイが邦題ではカーボーイとなっていて、わかる人にはわかるだろうが、わからない人には全く訳がわからない、時代背景を加味したアメリカ文化的な言葉のあやとなっている。

 いずれにしても、アメリカのロンサム・カーボーイというこの頃の詩的な言葉を私は好む。今回ここで特記しておいてよかったと思っている。
 また別の機会に紹介したい――。この“界隈”における文化圏的興味は捨てがたいものがあるのだ。

早大スペイン語研究会のこと

大学スペイン語語劇祭

 さあ最後に、本題の記事。
 紹介したいのは、“スペ研”。早稲田大学のスペイン語研究会。

 その名も“第18回西語語劇祭”と題されたイベントが、この11月26日(日)AM10時半から開かれる(於拓殖大・茗荷谷ホール)。コレは、早稲田大をはじめ、拓殖大、横浜商科大、亜細亜学園など4つの大学のスペイン語研究会(またはラテン・アメリカ研究会)が一堂に集い、スペイン語劇を上演するといったユニークな催し。

『平凡パンチ』1978年11月27日号より引用

 たぶん私自身、過去に早大の学生さんと知り合った経験は一度もないと思う。が、この“スペ研”はなんとなく心に熱く留まったのだった。

 もう8年も前になるのか、その頃ビゼーの「カルメン」――そのオペラにどっぷりと浸かり、フラメンコにはまり、スペイン、スペイン、スペイン!!! と“カルメン狂”状態になったことがあった。
 何度でもいおう。スペイン、スペイン、スペイン!!!
 この国が、いかに情熱の国であるかを私は、そのとき皮膚感覚で、鼻穴を大きく広げて感じたわけである。

 早大“スペ研”のプロモーション動画がある。これがまた、凝ったアニメーションなのだった。

毎週(木)(金)15:00-16:00に行われるスペイン語文法講座が主な活動です!
そのほか、みんなでBBQをしたり、セルバンテス文化センターへ遊びに出かけたりします! 先輩にはスペイン留学をされている方も。スペインに興味のある方、スペイン語を勉強してみたい方、まったり時間を過ごされたい方など、ぜひスペイン語研究会の部室を訪れてみてください! インカレ生も大歓迎!

YouTube「スペイン語研究会」プロモ動画の概要より引用

 実は、『平凡パンチ』の47年前の記事で紹介されていた、早大“スペ研”の武田昭彦さん(この時語劇祭の幹事長を務めた)の、当時の在籍ならびに活動記録にあたる資料が、なんとウェブにアップされているのを発見したのだった。

https://dept.sophia.ac.jp/fs/hispanic/wp-content/uploads/2018/03/ff54dc54e98f6c509c51daee96eadeb9.pdf

 上智大学がアーカイブしている「第17回大学スペイン語語劇祭」(“Teatro Español”/1977年)のパンフレット(PDF)には、彼の氏名がはっきりと記されている。
 ちなみにこの第17回の語劇祭の後援は、スペイン大使館、東京新聞。参加校は上智大学スペイン演劇研究会、立教大学スペイン語会、清泉女子大学シルクロ・エスパニョール、亜細亜学園スペイン語文化研究会、早稲田大学スペイン語研究会、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会の6校であった。

 武田さんの氏名の記録は、早大“スペ研”の演目である劇「イレーネか宝物か」(“IRENE O EL TESORO”)のキャストの中にあった。武田さんは政経の2年生で、La voz(声)を演じたようである。原作者はアントニオ・ブエロ・バリェホ(Antonio Buero Vallejo)。1954年の作品。

サンジョルディの日

 早大“スペ研”のブログ[早稲田大学スペイン語研究会]に、「サンジョルディの日inセルバンテス文化センター」(2016年9月15日付)という投稿記事がある。これも個人的な備忘録がてら、一部関心の高い部分を抜き出して、以下に引用しておくことにする。

『サンジョルディの日』とは、スペインのカタルーニャ地方に伝わる祝日(4月23日)で、毎年愛する人に赤バラの花を贈る慣習があるそうです。
元々はドラゴン退治の英雄・聖ジョルディの伝説から始まった行事とのことですが、20世紀頃からは竜の血のように赤いバラの花に加えて、親しい人同士で本を贈り合う記念日としても知られています。
また、この風習から、4月23日は国連のユネスコで「世界本の日」とされているそうな……

スペ研”のブログ[早稲田大学スペイン語研究会]より引用

 その日は、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra)の命日であり、彼の著名な小説『ドン・キホーテ』(“Don Quijote”)ともつながる。
 先述の動画のアニメーションは、おそらくこれなのだろう。

早稲田大学スペイン語学会(WEC) (@wec_waseda) on X
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