『洋酒天国』と画家の話

 作家の司馬遼太郎さんがアイルランドの紀行で、珍しく自身の酒にまつわる言葉を残している。

《私はとくに酒がすきというわけではない。ただ旅先では、一日がおわると、一日の経験を酒に溶かしこんで飲んでおかねば、後日、わすれるような気がしてならない》
(司馬遼太郎著『愛蘭土紀行』より引用)
 評論家・河上徹太郎氏がロンドンへの空路で酒浸りになり、ブランデー、シャンパン、シェリー、ビール、ウイスキー、ワインと英国の旅程で次々それらを身体に“溶かし”こんで、あれが美味い、これが不味いと酒の旅をしたかと思えば、無頼派で知られる檀一雄の場合、ただバーの女性と気楽なダンスをし、ウイスキーを“溶かし”こんで、ほろ酔い天国といった風情のだらけきった姿の写真を撮られていたりして、それぞれの物書きさん達の酒の“溶かし”こみ方は、えらく違う。尤も、司馬さんが“溶かし”こんだのは酒そのものではなく博学の方だ。
【『洋酒天国』第27号】
 昭和33年7月発行の『洋酒天国』(洋酒天国社)第27号には、そんな酒に酔った男たちの、仄かなる愛憐に満ちたエッセイが鏤められていて、読み手である私も“溶かし”こみを着々と進めながら、愉しく拝読させていただいた。ただ誤解なきよう、司馬さんはこの獰猛なる武人らには加わっていない。
 さて、第27号の表紙の人物は、どうやら俳優の山田周平さんらしい。
 背表紙の方は同じ山田さんが片手にリボルバー式拳銃、片手にウイスキーを注いだグラスを持ち、木箱に片足を乗せながら、気取った態度でこちらを睨み付けている。木箱の上には、サントリーの角瓶。
 私はこの40年間、相当な数の日本映画を観てきたつもりであったが、どうもそれは眉唾らしい。山田さんが出演した映画を調べてみて、その本数は46本を超えると思われるが、どれ一つ、私は観たことがないのだ。
 『伴淳・アチャコ・夢声の活弁物語』(1957年松竹)だとか『ニッポン珍商売』(1963年松竹)など、観ていてもよさそうだが、憶えがない。逆に今なら、どこかのCS放送局で必ずどれか一本はやっていそうである。
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 第27号の最後半のエッセイ、大久保泰著「画家と酒と」が面白かった。要は、よく酒を飲む画家の、話である。
【大久保泰著「画家と酒と」】
 ここでは、ロートレックとモーリス・ユトリロ、そしてモディリアーニのエピソードが紹介されている。ロートレックは酒場にあるだけの酒を強引に混ぜ合わせ、独自のカクテルをこしらえ飲んでいたという。そのカクテルを「戦慄」と名付ける。フランス語では“horreur”なのか。
 蛇足になるが、開高健氏のエッセイで読んだことがあるのは、昔の芸術家はほとんど性病を患っていた、という話。ロートレックはその代表格のようなもので、よく話題の中に登場する。
 モディリアーニについて書く大久保氏の、《落魄と悪徳と愉悦のしみこんだパリ生活を狂おしく生きながらも》という言葉が印象的だが、3人とも酒乱であることは間違いなく、身を滅ぼしつつも芸術の魂を捨てなかった人達である。決してその面では尊敬しかねるが。
 大久保氏がヘルマン・ヘッセの言葉を挙げている。これも意味深なる述懐と思えるので、引用しておく。
《…誰が、この神(酒)ほど力強いものがあるでしょうか。また、誰が、こんなに美しく、空想的で、熱狂的で、楽しく、憂うつなものがあるでしょうか。酒の神は英雄であり、魔法師です。彼は誘惑者であり、また、エロスの兄弟です》
(ヘルマン・ヘッセ著『青春彷徨』より引用)

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