伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』と北京籠城

【ニコラス・レイ監督の映画『北京の五十五日』】
 映画『お葬式』や『マルサの女』で知られる監督・伊丹十三氏は、俳優でありデザイナーであり、根っからのエッセイストである。かつて壽屋(現サントリー)のPR誌『洋酒天国』(昭和38年1月刊の第56号)に、山口瞳の心伝手でひょんとそのエッセイのひとかたまりが載っかったことで、いま私の手元にあるその名の『ヨーロッパ退屈日記』は、反響が反響を呼び、瞬く間に巷に知れ渡り、おそらく戦後随一と言っても過言ではないほどの高い批評を得た傑作エッセイ集として、今でも尚、ある世代の方々の記憶に焼き付いていると思われる。
 蛇足――。個人的な話で恐縮だけれども、数年かけてなんとか『洋酒天国』全号踏破を果たした私は、その山を登り終えた充足感が忘れられない。そこで、もう一つ別の山を登ってみようと思い立ったわけである。それがこの、伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』だ。伊丹氏とこの本の来歴については、当ブログ「伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』事始め」で既に述べておいた。

表紙の舶来品々

 表紙が、まことに精緻でありながら、どことなくダンディズムを醸し出していて、おしゃれである。
 私が手にしている新潮文庫版は、たいへん触り心地が良く、カバーのちょっとした荒目の質感に心がときめく。旅行のお供に――と考えると、際立って存在感が増す。カバーの装画は、伊丹氏本人の筆である。著書の解説文を書き下ろした関川夏央氏が、この表紙について少し述べている。付随して、伊丹氏のある種の性癖にも触れられていて、なかなか的確だと思った。
《「ブリッグの蝙蝠傘、ハリーのくれたスフィンクス(置時計の一部分)、ダンヒルのオイル・ライター、マジョルカで買ったピストル、ドッグ・シューズ、運転用手袋、ペタンクの球」――伊丹十三は言葉と文字を気にする人だった。表紙カバーはカヴァである。タキシードはタクシードでなければならず、ヴェニスのハリーズ・バーをベニスのハリーズ・バーと書くことを「愧」じ、コーモリ傘は蝙蝠傘でなければ「赦」さなかった。赤いのアカを、赤い、朱い、紅い、赫い、丹い、緋いと使いわけないと気分が「淪」んだ》
(伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』、関川夏央「解説―文学に『退屈』する作家」より引用)
 その昔、舶来品と言えば、アメリカかヨーロッパの物と相場が決まっていた。ほとんど今では、この言葉の本質をとらえるとなると死語である。“舶来”という言葉に、めっぽう遠いところから持参してきたという自慢げな風情が加味されていて、珍重品の語意が濃い。
 明治期以降の日本では、舶来品の高貴な価値観を捨てることができなかった。昭和の戦後期においては、舶来品のオンパレードだったはずである。それらの物の一つ一つを熟考し吟味し、由来を探るだけの濃密な哲学的余裕はなかった。物に限らずただただ漠然と、舶来礼讃! 米国礼讃! 欧州礼讃! という夢想的気分は国民に蔓延し、とにもかくにも外国かぶれになっていった。悪い言葉で言うと、島国根性である。
 地方においては尚のことだ。私が生まれた昭和40年代に至っても、同じ傾向が続いた。例えば、街行く一人の異国人が現れると、通りすがりの日本人の大人たちは顔色が変わり、振り向きざまに異国人の容姿をいつまでもじろじろと眺め続け、まことに珍しい物を見た――かのような興奮を味わったわけである。
 斯くして、『ヨーロッパ退屈日記』の表紙装画は、まず何より国産品にはない香りを嗅ぐような、物珍しさに満ちた気分の高揚があって、その舶来品への憧れの眼差しによる酩酊、あるいは心酔、陶酔のエロティシズムの情趣に溢れていた――ということを理解しなければならない。これは単に、伊丹氏が持参した小物の数々を閲覧している、というだけではないのであった。
【伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)】

わたくしの職業

 この本の一つめのエッセイ、「わたくしの職業」について触れておいてから、映画の話に転じたい。
 エッセイの初っぱなだから、ここぞとばかりに乾坤一擲で書き上げました――といったような、平成生まれの作家にありがちの瞬間芸的な趣とは異にして、そうした力業で筆をふるうのとは全く違う、たいへん落ち着いた短い文章が「わたくしの職業」である。これぞ、絶品とも言える私のお気に入りのエッセイでもある。
 ところでこの“エッセイ”(essay)という言葉は、日本語に訳すれば、「随筆」になる。広辞苑には、《見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー》とあって、私が小学生の頃――学年までは憶えていないが――国語科の授業でこの“ズイヒツ”という言葉を初めて先生から教えられ、面食らったことがあるのを思い出した。
 “ズイヒツ”とはなんぞや?――。一言、それはエッセイですと言ってくれれば、話はしごく簡単に片付いたはずだ。しかし、先生の説明がどうも思慮深すぎたのか下手だったのか、私には全く飲み込めず、どうしても意味が分からなくて「作文」とどう違うのか、すっかり頭を悩ませたものである。広辞苑に、「エッセー。伊丹十三の書く文章」と付け加えて記しておいてくれれば、悩まずに済んだであろう。
 閑話休題。「わたくしの職業」である。冒頭、《イギリスふうお洒落》という言葉に伊丹氏本人が“引っかかった”のが愛嬌だ。かつて昭和の時代、お洒落をするということは、英国人っぽく身なりを扮装する、というのと同義だったのではないか――という皮肉が込められている。
 そこはロンドンだったのか、実際に伊丹氏は街で、《白いヘルメットにプリーツ・スカート、ハイ・ヒール、そして、これは一つ非常に洒落たつもりで、紫のストッキングをはいたという御婦人が、単車を乗り捨てて、教会に入っていくのを目撃した…》と、その奇抜さに驚いたようだ。日常生活というものは往々にして、お洒落をストンと乗り捨てていくものだという典型的なエピソードであり、それ自体が新しいお洒落になる、ということも珍しいことではなかった。庶民の暮らしの中間層がぐらついてきたのであり、80年代以降は、その奇抜で突拍子もないお洒落の反復であると言えなくもない。もはや、異国人への物珍しさからくる情緒や興奮は、感じられなくなっていった。
 話は、“お洒落”から変幻する。
 伊丹氏が貸自動車屋さんに行った話――。受付の青年の容姿をめぐる描写が、筆舌に尽くしがたく凄まじい。《サモン・ピンクの皮膚に藁色の髪》《雀斑の多い青年》《鶯の糞色の背広》《血膿色のネクタイ》《ブルーの方眼のシャツ》。そういう姿の若い青年の受付係が伊丹氏に応対したわけだが、「車は貸せない」と青年は言う。伊丹氏の頭に、巨大なquestion markがぽわんと浮かんだのだった。
 青年は、映画関係の人間には車は貸せない、と言う。何故なら、貸自動車屋の加入保険は比較的リスクが少なく、したがって映画人は保険の対象になり得ないのだということだった。
 であるならば――。ならば、こうすればどうだろう。伊丹氏は考えた。私は商業デザイナーです。そういうふうに書き込んだらどうか。伊丹氏はあらためて青年に訊くのだけれど、青年はそれでもダメだと言う。何故ならば――。何故なら、私はあなたが、既に映画人である事を知ってしまったから。
 おそらく伊丹氏は、ムッとしたに違いない。文章では、そのムッとした心持ちを《イギリスふうお洒落》のようにオブラートに包み込んで、《というわけで今日はむしろ教訓的一日であったと申せましょう》と付した。全くもって気骨のあるエッセイストと言うべきか、それを気品漂うgentlemanの為せる技と言うべきか、なんたらかんたら、この情趣は、戦後の日本人にとって新感覚だったわけである。

ニコラス・レイの映画

 伊丹氏が既に出演のオファーを受け、ニコラス・レイ監督の映画『北京の五十五日』(“55 Days at Peking”)の撮影に臨むくだりが、エッセイの中に散逸しており、このあたりの事柄を理解するために、私はこの『北京の五十五日』を観たのだった。1963年公開のアメリカ映画である。
 ニコラス・レイ監督の代表作と言えば、1955年公開のジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』(“Rebel Without a Cause”)であろうし、こちらはディーン自身が公開前に事故死しており、悲哀をともなってたいへん話題を呼んだ。それ以外の映画で挙げるとすれば、1958年公開の『暗黒街の女』(“Party Girl”)であろうか。こちらは個人的に、たいへん好みの俳優であるリー・J・コッブが暗黒街のボスのリコ役で出演しており、役名のリコは、まさに東ヨーロッパ系アメリカ人の象徴的な名なのだと私は勝手に感心したりした。レイ監督本人を見たければ、ミロス・フォアマン監督の1979年のアメリカ映画『ヘアー』(“Hair”)を観ればいい。ここでは、将軍役で登場する。
 伊丹氏はエッセイの「マドリッドの北京」の中で、撮影の経緯をちらちらと書き記している。ロンドンで衣装合わせ。その後スペインのマドリード(伊丹氏は文中マドリッドと書く)に移り、とんでもないオープン・セットと出くわす。この時、伊丹氏は籠城10日目までの台本を渡される(伊丹氏は『北京籠城五十五日』と記す)。私は敢えてこの映画のタイトルを“――55日”としないで、“――五十五日”と記す。『北京の五十五日』とした方が、どうもこの映画の内容的にはしっくりくるのである。

北京の街のオープン・セット

 只事ではない映画であった。とんでもないオープン・セットについて、伊丹氏はこう綴っている。
《野球場が半ダースくらいすっぽり入る面積に、丸ビルより少し低い程度の厚い城壁をめぐらし、その中は北京の街である。
 商店街があり、寺院があり、十数カ国の公使館がある。銀行、ホテル、多くの民家があり、川が流れていて眼鏡橋が四つかかっている。
 河の水は緑色によどんで、鉛色の葉をつけた矮小な木々が影を落している。河べりの埃っぽい道を、低い土塀に沿って歩き、わたくしは支那風の英国公使館にはいった。
 中庭はすっかり水を打って、芝生が青々と繁り、さまざまな植木を収めた、これはひどく英国風の温室もあった。庭の一隅の東屋の床机に腰をおろすと、公使館の瓦屋根の上に、さまざまなけものの形が、暮れてゆくスペインの空を背景に、くろぐろと浮き出しているのがうかがわれた》
(伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』「マドリッドの北京」より引用)
 つまりそのオープン・セットは、北京の正陽門内の東の、「東交民巷」をも再現しているかと思われる。「東交民巷」は、欧米列国(連合軍)の公使館や銀行、教会などがひしめく治外法権の駐在区域である。実際に映画を観れば、そのディテールの凄まじさに圧倒されるだろう。
 主演はチャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴン、ジョン・アイアランド。レイ監督の個性の詰まった映像美、秀逸なシナリオ、強い信仰心を思わせる諧謔と皮肉、そして愛。愛とは、失った後に気づくもの――とでも言いたげな、1900年清朝末期、北京で起きた義和団事件(義和団の乱)を描いた壮大かつ重厚な長篇映画である。
 台本をもらった伊丹氏は、このまま撮れば6時間くらいの映画ができるだろう、私はいい加減に読み飛ばしたが――と皮肉を述べている。が、冗談でもなんでもなく、私はこの映画が6時間続いたとしても、喜んで観続けたに違いない。とは言え、この映画は半分弱の155分に収まっており、たいへん見応えのある映画に仕上がっている。
 義和団事件の詳細については、ここでは触れない。
 この事件は、清国の義和拳教集団による、キリスト教排外主義における運動及び動乱の沙汰であり、西太后が政治的に加担したため、欧米列国との国家間戦争となった。6月21日はその宣戦布告の日である。その後2ヵ月あまり、列国側の市民(及び中国人キリスト教信者を含む)4,000人と義勇兵など兵士500人弱が籠城する。この映画はその過酷な戦いを描いたものだ。
 『ヨーロッパ退屈日記』の前半は、この映画の撮影のエピソード――というよりも、出演者達の軽い小噺などで唸らせてくれるのだが、伊丹氏がどんな役だったかということに触れておこう。
 伊丹十三が演じたのは、この義和団事件の北京籠城における連合軍側の守備として――歴史的史実としては――たいへん活躍されたとされる、陸軍砲兵中佐の柴五郎であった。
 現存している柴五郎の肖像写真を見てみると、体格は当時の日本人らしく小柄であるが、なんとその顔は、まさに伊丹十三がそこにいるではないかと見まがうほどそっくりであり、黒いフェルトの軍服を着た佇まいも毅然としていて、このキャスティングはどうやらベスト・マッチだったのではないかと思った。
 そんな伊丹氏は「ニックとチャック」の中で、このオープン・セットについて言及している。
《つまり、あまりにも金がかかりすぎている。たかだか娯楽映画の背景に正味何十分か現れるだけで、後なんの利用価値もないものに何十億というお金が使われている。誰にこんなグロテスクな浪費の権利があるのだろう。映画はそれに値いしない》
(伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』「ニックとチャック」より引用)

映画はグロテスクな浪費でこしらえる

 しかし伊丹氏は、文句なしにこのオープン・セットの出来映えが大好きだとも述べている。私も、このセットは映画史上に残る素晴らしい傑作だと思った。後年、黒澤明監督が『乱』の映画のために、富士の麓に巨大な城のセットを建て、華麗にそれを燃やし尽くしたけれど、『北京の五十五日』におけるセットの奥行き感は、それとは比べものにならないスケールであった。
 こうした巨大なセットの着想には、もっと潜在的な意味において、根っからの映画人である彼ら一流のスタッフの心中に、極東の国である日本の、黒澤明監督の映画『羅生門』などの影響があったとしか思えないのである。
 芸術は輪廻転生の産物である。伊丹氏が言うように、たかだか娯楽映画に、何十億というお金が使われて、グロテスクな浪費が行われるとは、これいかに――。しかし私たちは、そうした映画に、凄まじい製作の執念を見たいと懇願しているのも事実であり、映画がそうでなくなったら、映画は映画でなくなってしまうではないか。私はそういう映画に出逢いたいと思うし、『北京の五十五日』によってその一つが叶えられた、とも言える。
 ということで、話が尽きないのでこれくらいでやめておく。『ヨーロッパ退屈日記』はそこはかとなく、現代のロマンティシズムを掻き立ててくれる。幸せなエッセイ集だ。
追記:「伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』とアバクロイズム」はこちら。
追記:「ニコラス・レイあちらこちら」はこちら
 

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