およそ1年ぶりくらいご無沙汰して、伴田良輔著『愛の千里眼』(河出文庫/1991年初版)を手に取り、読み耽った。きわめて珍しいことなのだけれど、今頃になって、気にも留めていなかった「天国のフェイマス」というエッセイが、気に入ったのだった。もうウブではない今頃になって――。
「天国のフェイマス」。
このエッセイは、1989年3月に刊行された『小説新潮』臨時増刊の『アメリカ青春小説特集』(新潮社)初出のブラック・ユーモアである。そちらでは、小さなコラム的な存在となっていて、正直いうと、そちらで活字になっている「天国のフェイマス」は、すごくファッショナブルでかっこよく、『愛の千里眼』に収められてしまった「天国のフェイマス」の方は、全く同じテクストにもかかわらず、ペーパーバックであるからして当然のごとく、活字としての鮮度の旨みがやや削ぎ落とされてしまった感がある。あくまで比べてみればの些細な話だが。
『アメリカ青春小説特集』の本については、大変濃密なアメリカ人作家たちの特集記事となっていて、ある意味において時代を表した稀覯本である。したがって、別の機会にじゅうぶん紹介することにして、ここでは「天国のフェイマス」のテクストのみを純粋に語ることにする――。
そこでの伴田氏は、アメリカの雑誌『FAME』について軽く述べているのだが、その書き出しは、長々とした“妄想”で、これが実にシニカルで凝っているのだった。
天国に集まった有名人の文化講座
こんな妄想である。
そこは天国。天国への来場者によってカルチャー・スクールが盛ん。なんといっても、彼ら有名人たちは、天国へやってきて、暇を持て余しているのだから――。そこでは、あらゆるテーマが講座になっていて、講座に無いのは、“殺人”だけだ。
おととし(※1987年2月)、天国にやってきたアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)が、「十五分以上有名になった時のために」という特別講座を開講した。ただし講座は、他のゲスト講師に任せきりで、自分は居眠りをして手を抜く。以下のような講座内容である。
① 「パパラッチ(有名人専門)カメラマンの優雅な殴り方」(ゲスト:トルーマン・カポーティ)
② 「サングラスの上手なかけ方」(ゲスト:ジョン・ベルーシ)
③ 「グルーピーと上手に遊ぶ方法」(ゲスト:エルヴィス・プレスリー)
④ 「同棲・離婚慰謝料で失敗しないために」(ゲスト:リー・マーヴィン)
⑤ 「地上有名人情報」(ゲスト:丹波哲郎)
⑥ 「有名人プレッシャー撃退法」(ゲスト:エンペラー・ヒロヒト)
リー・マーヴィンの同棲慰謝料
天国にわんさかと有名人がやってきて――という裏表の反動をコミカルに描いた伴田氏は、敬虔なモラリストといえよう。
尚、④の「同棲・離婚慰謝料で失敗しないために」について、多少詳しく内容を述べている。その講師の俳優リー・マーヴィン(Lee Marvin)は、同棲相手から慰謝料を法的に取られた、最初の有名人――。しかも“同棲慰謝料”という語は、この時誕生した…。これは本当のことか?
リー・マーヴィンは映画『特攻大作戦』(The Dirty Dozen)や1986年公開の『デルタ・フォース』(The Delta Force)などに出演した有名人=映画俳優である。
まことに恐縮ながら、私はリー・マーヴィンについて詳しく知らない。拙い調べにおいて、リーと同棲慰謝料とを結びつける記述を、ネット上から、ほんの僅かしか見つけることができなかった。彼は何度か再婚していた――程度の私生活の経歴を見たものの、それ以上の情報は引き出せず、確実なものを掴むには至っていない。
“同棲者から慰謝料を初めて法的に取られた有名人”である、という根拠は、はっきりとしたことは見つからなかった。その点、どうにもこうにも伴田氏を信頼し、その記述を真に受けるしかないのだけれど、この時敵に回した相手側の弁護士マービン・ミッチェルソン(Marvin Mitchelson)の経歴の中に、その時の訴訟のことが幾分挙げられていて参考になった。
彼もまた有名な弁護士であったようである。デトロイト出身でカリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業。司法試験に合格した後、ロサンゼルスで個人事務所を構えた有能な法律家――。そのミッチェルソン氏にとっても、私生活を露わにした、リーの裁判は画期的だったようだ。
簡単に述べると、こういうことになる。
歌手ミシェル・トリオラ(Michelle Triola)は、60年代から70年代にかけて、リーと同棲していた。ところがリーは、別の女性と結婚するので、家を出るようミシェルに告げた。ミシェルはとても不満に思った。
こうしてミッチェルソンがミシェルに雇われた。ミシェルは離婚者と同じように慰謝料を受ける権利があるのではないかとミッチェルソンが主張し、訴訟を起こす。そうして1978年、ミシェルは「更生代」(rehabilitation)という名目で、10万4,000ドルを「受け取った」。
しかし、その判決は3年後に覆されたという。リーはミシェルに、いっさいの慰謝料なるものを「支払わなかった」のだ。いずれにしてもこの時の裁判は、この手のいざこざの、一つの前例を作ったことになる(set a precedent)。
リー対同棲者ミシェルの裁判沙汰には、やり手のマービン・ミッチェルソンが加味していたという事実は、どうやら伴田氏が書いたとおりなのだろう。ただ、リーが慰謝料自体を「取られた」事実に関しては、私は発見することができなかった。伴田氏は、ミシェルが「更生代」を受け取ったことを指して、ああ述べたのかどうか、そこも判然としない。ともかく、これ以上のことはわからずじまいなのだが、当時伴田氏が、この同棲慰謝料裁判にずいぶんと関心があったことだけは、確かなようである。
ちなみに、このミッチェルソンが現在、《千昌夫と別れたジョーン・シェパードの慰謝料請求係をやっている》といった、どうでもいい情報も伴田氏は付け加えて述べているが、それについても私の調べは追いついていない。あくまでこの点は、ぼやーんとした話として聞き流していただきたいのである。若い方はご存じないかもしれないが、ジョーン・シェパードさんも日本では超有名人である――ことを付け加えておく。
ウォーホルと『FAME』
「天国のフェイマス」。
アメリカの雑誌『FAME』(フェイム)が、1988年11月に創刊されたことにちなんで、伴田氏はこのエッセイを『アメリカ青春小説特集』の本に書き下ろしたのだろう。『小説新潮』の編集者から、「良ちゃん、なにかアメリカの雑誌について書いてくれたまえ」――と頼まれ、ハナクソをほじったに違いない。
同じことを繰り返していう。新潮社の本の構成が旨いため、たいへん気の利いた、洒脱に富んだテクストに思えてしまう点で、伴田氏は得をしている。いや、失礼、そんなことはない。本文、すなわち伴田氏の文体は、そもそも流麗しすぎてそれがかえっておかしく、ユニークなのだ。
私は“フェイム”と聞くと、歌手ジョージィ・フェイム(Georgie Fame)を思い起こすのだが、河出文庫になった『愛の千里眼』の「天国のフェイマス」は、どういうわけだか、女性の裸体写真をあいだに挟み込んであって、しかもそれがとびきりグラマラスで艶かしく、この本を初めて開いた20歳そこそこの学生だった私は、あまりにヌードフォトそのものにウブだったせいか、その黒黒とした部分にだけ目が止まり、「天国のフェイマス」の本文はほとんど気にも留めていなかったのである。
歌手フェイムの挿絵的フォトではなく、それがヌードであるからこその伴田良輔であり、また河出文庫らしい。そうでなかったならば、私はこの本を買う気にはならなかったであろう。読者と作家の出合いは、実に些細なことで始まる奇妙なめぐり合わせなのだ。
それはそうと、ニューヨークの友人が送ってくれたという《話題の新雑誌》の『FAME』は、伴田氏にとってあまりお気に召さなかったらしい。フェイマスとはなんぞや? と。ウォーホルとトルーマン・カポーティ(Truman Capote)が居なくなった今、フェイマスなんて死語ではないかと――。
この雑誌の発行者はスティーブン・グリーンバーグ(Steven Greenberg)氏で、編集者のゲール・ラブ(Gael Love)氏はアンディ・ウォーホルが設立した雑誌『インタビュー』のもとで働いていた人、らしい。ということで、『FAME』は、直接的か間接的かウォーホルとつながりがある雑誌といえそうなのだけれど、やはり伴田氏の予言通り、ウォーホルとカポーティ無くしてフェイマスはありえず、この雑誌はたった2年で廃刊になったようだ。
どうやらもっと、本格的にウォーホルについて掘り下げなけれならないのではないかという気がしてきた。これまた奇妙な因縁である。
§
とどのつまり、ウォーホルといえば、フェイマスというキーワードを無視するわけにはいかない。成功への処世術以上に、奥が深そうだ。――なので、ウォーホルについてはいずれまた、別の機会で存分に取り上げることにしよう。
この稿の締めくくりとしては、伴田氏のテクストを一箇所引用して、飾りたいと思う。いや、飾るどころか、全く生煮えの締めくくりではあるが――。
先頃、中学校教育の必須英単語に“FAMOUS”が新たにあげられているのを発見して、その思いは確信に変わったのであった。試験に出る“FAMOUS”。そんなものは犬に食われた――いや単語帳もろともヤギに食われた方がマシではないか。
伴田良輔『愛の千里眼』「天国のフェイマス」より引用
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