伴田良輔『眼の楽園』―モーテルという享楽

 人々の内に秘めた猥雑さを剥ぎ取ってしまったもの、それがパンデミックのコロナ禍(COVID-19)だ。コロナ禍が、あらゆる想念の《旅愁》すら消し去ってしまった。
 それを取り戻すのに、およそどれだけの無慈悲な時間を浪費しただろうか。およそその3年間、我々はさも幼児のロンパースを着てすやすやと眠っていたかのように俯いていたのだ。そして顔を上げると辺りは、実に活動的でない型通りのありきたりな日常世界に埋没していたわけである。
 そんな時に、私にとってふくよかな邂逅となり得たのが、ヴィジュアリズム文芸の作家・伴田良輔氏の本『眼の楽園』(河出書房新社)だった。思い起こせば最初は、2年前の「伴田良輔『眼の楽園』―社交と礼儀」。失った《旅愁》は、この本を読むことで取り戻せるのではないかという気がしたのだ。

 ここから、何かのきっかけとなる鍵を抜き取ろうと私は懸命だった。

 旅行写真家バートン・ホームズの『ザ・マン・フー・フォトグラフド・ザ・ワールド』を読む。序文として掲載されている、作家アーヴィン・ウォレス(『ワルチンブック』のワルチンスキーの父としても有名)が1947年の『ザ・サンデー・ジェントルマン』に書いた文章によると、オスカー・ワイルドやサラ・ベルナールとの交遊や、女優からインテリア・デコレーターへの見事な転身で20世紀初頭社交界のキャンビーな華となったエルシー・ド・ウルフとの“関係”がゴシップとなったことがあるという。結局ホームズは彼女でなく、旅行中に出会った女性マーガレット・オリヴィエ(耳が聞こえず、カメラを趣味にしていた)と抜き打ち的に結婚する。この妻が彼の旅行人生を裏でささえることになる。映画にでもなりそうな話やな。

伴田良輔『眼の楽園』より引用

 バートン・ホームズ(Burton Holmes)は1870年にシカゴの裕福な銀行家に生まれ、のちに並外れた探検家・旅行家になった人。彼は世界中を旅してそれを旅行記にまとめ上げ、撮影した写真をスライドショーで披露し、いわゆる“旅行記講演”を行った人物。
 なんといっても世界中を旅しているので、彼の珍しい風物写真見たさに、各都市の講演ではどこも満席だったらしい。日露戦争時の乃木希典将軍やトルストイも撮っているが、英国の若きウィンザー公爵エドワード8世(Edward VIII)の姿を写した彩色写真は、ウィンザー公にあどけなさが感じられ、唇がやや赤っぽく塗られているのがとても可愛らしい。
 そう、ウィンザー公といえば可憐かつ苛烈なロマンスでも知られ、マドンナが監督した映画『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』(“W.E.”)にも登場する。この映画では、彼の妻ウォリス・シンプソン(Wallis Simpson)を中心に描いていた。

 しかしながら、伴田氏の『眼の楽園』のこんな文章にも目が止まり、上述のようなホームズ的《旅愁》が一気にかき消され、よりいっそう現代アメリカ的な、そう、「猥雑な《旅愁》」と化してかぐわしいものとなったのだった。

 サム・シェパード『モーテル・クロニクルズ』(筑摩書房)を読んでいて、たしかヘルムート・ニュートンが18歳ぐらいの女の子とアメリカのモーテルを転々としながら撮ったヌード写真があったと思い出す。しかし、それをいったいどこで見たかが思い出せない。押し入れや本棚をひっかきまわしたあげく米国版『PLAYBOY』の切り抜きを発見。そう、この女の子のナマイキそうな顔で何本か抜いたことまで思い出しました。切り抜きには雑誌の発売月号がメモしてなく、何年前のものか不明。たぶん’70年前後やと思う。シェパードはアメリカ人やけど、ナボコフからニュートン、ヴェンダースまで、ヨーロッパからアメリカにやって来た人間にとって、モーテルのある風景いうんは強烈な原イメージとして残っていくと見えます。三原山12年ぶりに噴火。スペクタクル始まる。

伴田良輔『眼の楽園』より引用

 伴田氏がモーテルというのだから、その部屋はモーテルの客室なのだろう。ブロンドの若い女性が全裸ですっくと立ち、豊満な乳房も、濃い陰毛もためらいなく露出してしまっているではないか。
 写真が小さくてよくわからなかったが、よく見ると女性の背後に男が座っており、顔に手を当てている。

 いや、違う。カメラを持っているのだ。

 そうか、ドレッシング・テーブルの鏡に写った自分たちをこの人は撮っているのだ。果たしてそれは、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)自身なのだろうか。なんと気ままな、艶めかしいアンニュイを感じさせるスナップだろうか。

 こうして私はいっそう、モーテルという妖しい存在に惹きつけられてしまったのだった。
 サム・シェパード(Sam Shepard)にヘルムート・ニュートン――。もはや、彼らが直に吸い込んだであろうその淫猥な埃っぽい空気を、私も何らかの形で疑似体験するしかないようである。この話の続きは、いずれまた。

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