開高健『開口閉口』―でっちあげられた酒

 いよいよ天下のザ・マッカラン(THE MACALLAN)を飲もうかしらんと思った矢先、開高健の“マゼモノ酒”云々の話を本で読んだために、なんとなく気勢がそがれ、ここは一つ落ち着いて、トリスのエクストラを飲もうかと。サントリーのトリスは大好物であるが、エクストラはなんと、今年3月で終売してしまったのだとか。まだあちらこちらに在庫は若干あるようだが、少なくとも私の自宅の近くのドラッグストアには、〈クラシック〉以外無かった。なんとも惜しいブランドである。

 “マゼモノ酒”の話。
 いつもながら開高氏の『開口閉口』(新潮文庫)を読めば感心して唸ってしまう(ちなみに前回は「開高健『開口閉口』―やらされることの美学〈1〉」)のだけれど、つくづく大人の諧謔というのは底深いと思った。「酒の王様たち」の章がなかなか面白いのだ。
 南米の某国では、やたらとブドウができる。なので、その果汁をしぼって酒にしたら、やたら儲かった男がいた――という話。男はその国の“ブドウ酒の王様”になった。しかし、人民はしきりに口にする。王様の酒は酒じゃない、マゼモノなんだと。

 それって、チリではないのか。

 チリはカトリック教徒が多く、ワインの生産も盛んな国である。中南部に位置する標高2,660メートルのオソルノ山(Osorno volcano)は、山頂部が万年雪に覆われ、その姿形を見た日本人が、あっと驚く。富士山にそっくりだからだ。なのでオソルノ山は、日本人から“チリ富士”とも呼ばれている。
 ――チリの話をしてしまい恐縮だけれど、一応、開高氏にならって“南米の某国”とだけいっておく。

 その“ブドウ酒の王様”が臨終になった時、子や孫を集めてベッドでこういったそうである。
「いいか、おまえたち。ぶどう酒はぶどうからつくるものだよ」

 開高氏によれば、この臨終の遺言めいた一言は、どうやらでっちあげの話であって、人民がこしらえた作り話なのだとか。つまり、〈詐欺師は最期くらい、正直にコクるべきものじゃないかね〉という人民のなまめかしい期待値がぐんと押し上げられて、そんなようなエピソードが付け加えられたらしい。
 この“南米の某国”にも「えぐ味」の濃い時代があって、えらく気の毒な人民の諧謔ではあるにせよ、気丈な知性を共有しているかのようでもあり、まことに人間的なエピソードだと思った。

ノンアルは所詮ノンアルである

 酒は本物であるがゆえに、快く酔えるもの――と常日頃私は信じて已まないが、酒が苦手で一切飲めない人からすれば、この真理は幾分かどころか肌感覚から大いに逸脱して、とうてい理解不能なものらしい。それは別段悪気があっての話ではない。「快く酔う」という状態が、そもそも嫌酒家にとって理解不能なのである。
 私の場合、どうにもこうにも「ノンアルのビール」という“選択肢”が不得手で、例えばそれを飲んで今宵の酒宴が味わい深い“酩酊の境地”に達し、体の全神経というものがとろけ、ああでもないこうでもないと好きな映画の話をしたり、世界中の音楽の話を取っ散らかしてしゃべくりまくることは、到底考えられないし、たぶんできそうもない。
 できそうもないことだけれど、もし「ノンアルのビール」で酩酊したフリをして、無礼講とばかりに女の子の尻をさわったり、胸をつついたり、くだらないバカっぱなしに励む輩が酒場にいたとするならば、そいつは正真正銘、エセ酩酊のセクハラ詐欺師かペテン師である。日頃から怪しい人物だと思っていい。

 先述の“南米の某国”の人民は、酒で快く酔いたくても酔えなかったという悲喜劇であったが、人を騙して喜びを求めることはできないという寓話としても深い。

 この酒は、アレやコレやを混ぜております。

 そのように正直に語っている酒はいいのである。
 ダメなのは、混ぜていることを隠したり誤魔化したりすることだ。開高氏は「酒の王様たち」の冒頭で、日本の明治期に“和魂洋才”が跳ねまわり、焼酎屋が《焼酎にカラメルでコハクの色をつけ、そこへ自分でもよくわかっていないサムシングを微量投入してから瓶詰めし、赤や、金や、黒など、何やらゴテゴテと派手に印刷した横文字のレッテルを貼りつけて売りだした》“国産洋酒”(=エセのウイスキー)が横行したことを語っている。
 このよからん“マゼモノ酒”の気勢は、戦後の闇市のカストリとも事情を異にしたペテンと私は認識しているが、逆説的に本物の酒のなんたるかが際立ち、その後の日本人の酒造りを本気にさせた――という点で、この手の話は好酒家を喜ばすものなのである。

 明治期の酒といえば、リキュールのデンキブラン=「電氣ブラン」(DENKI BRAN)がある。私は久しぶりにこれを飲んでみたのであるが、その話はあとに回して、余話をはさみたい。

難解なる訓電

 余話である。
 同じ開高氏の『開口閉口』で、「小さな話で世界は連帯する」という章がある。ここにも面白い話が寝っ転がっていたので、それを付け加えておく。

 これも“南米の某国”――ではなくて、はっきりブラジルの話と開高氏は本文に書いている。
 朝鮮戦争で北鮮軍が38度線を超えてなだれ込んできた時、国連軍として迎え撃つべく、各国の出兵が余儀なくされた。ブラジルでは出兵すべきかどうかで、国論が割れたという。議論の収拾がつかなくなり、ニューヨークにいるブラジルの国連大使に訓電を仰いだ。するとニューヨークから、以下のような電報が届いた。

「キンタマ」

 これはなにかの暗号だと思って、乱数表や暗号表をめくって判読しようとした。しかし、さっぱりわからない。ところがそこに通りかかった掃除係の老人が、こんなこともわからないのかといって、ひょいと解いてみせたという。

「協力ハスレドモ介入ハセズ」

 開高氏によるとこの話は、評論家・中野好夫氏がブラジルくんだりで聞いてきた話だという。むろんブラジルの国連大使が“Kintama”と書いて送ったわけではなく、おそらく、“testículos”と書いたのだろう。なるほど、やはり複数形なのだと、私は別の意味で感心してしまった。それはともかくとして、開高氏曰く、

 私は笑いながらもその痛烈さと飛躍のあっぱれさに感心し、ブラジルでは当時よほど悩むことがあったのだなと匂いを嗅いだ。

(開高健『開口閉口』「小さな話で世界は連帯する」より引用)

 《匂いを嗅いだ》って結びの表現は、いったい何の匂いを嗅いだのか、あまりに意味深すぎて想像したくなかったのだけれど、当時、中野氏が帰国してこんな調子の話をかき集め、雑誌社に寄稿したところ、それを読まれた奥さんにこっぴどく叱られたそうである。

「こんなことを書くのなら東大教授をおやめ遊ばせ」

 面白すぎて鼻血が出そうである。しかも開高氏は、どういうわけだか中野氏の風体を、こんな表現で書き殴っている。

 中野氏はごぞんじのように見たところブリンナー風の魔羅頭をしていて、鼻隆く、眼光鋭く、ちょっと叡山の悪僧といいたくなる逞しい風貌と姿勢をしていらっしゃる。言説に虚無からの痛罵と呼びたい冷眼が光っていること、天下周知の事実である。

開高健『開口閉口』「小さな話で世界は連帯する」より引用

懐かしの「電氣ブラン」

 浅草の「電氣ブラン」(〈オールド〉か?)を久しぶりに飲んだ。なかなか美味だった。
 私も正直申し上げて、これは本当の話だけれど、まだ未成年で酒を飲んではいけない学生の身分の頃、ひどく浅草の「電氣ブラン」に憧れたものだ。あくまで、漠然と――ではあったが。
 「神谷バー」の創業者として知られる神谷傳兵衛が、明治15年(1882年)、“電気ブランデー”をメニューに加えた。昭和の初期には、「神谷バー」の「電氣ブラン」と呼ばれるようになったという。

 「電氣ブラン」は洋酒風であるが、ウイスキーではない。リキュール(混成酒)である。アルコール分は40%(※デンキブランはアルコール分30%)。
 《ブランデーをベースにジン、ワイン、キュラソー、ハーブなどがブレンドされていますが、その配合だけは未だに秘伝となっています》とパッケージに記されていて素直である。ここにはカラメル色素も含まれている。
 たぶん私は、20歳を過ぎた頃、上野の学校(千代田工科芸術専門学校)から抜け出してすぐ近くの浅草に逃亡し、憧れの「電氣ブラン」を買ったのだと思う。正直その時は、あまり美味いとは思わなかった。だがこれが酒なのだとは思った。

§

 ものすごく単簡にぶったぎっていってしまうと、酒文化というのは、最初、エセから始まって徐々に本物の酒にしていくという手順を踏んだ、人々の知恵と経験の織りなす結晶体である。終始、歴史のどこをつついても「血も涙もある」話なのだ。
 とくに、洋酒を真似てエッサホイサと何やらかんやらをマゼ合わせて帳尻を合わせた酒=“マゼモノ酒”は、最初本物ではなかったがゆえに、逆説的に銘酒とはなんぞや? を造り手に想起させたはずである。酔いの質が違うのだった。しかし、それも一つの通過点の仮寓的文化としてみれば、酒の歴史はなかなか面白いものなのである。
 私の好きなヘミングウェイ(Ernest Hemingway)も漏れずに酒について書いていたりするので、いずれこの話はしたいと思う。

 今宵は「電氣ブラン」で乾杯――。

コメント

タイトルとURLをコピーしました