「小説すばる新人賞」に関する意欲的な備忘録

 これはあくまで備忘録としての体裁にとどめたい。

第37回 小説すばる新人賞
原稿募集中!


対象 エンターテイメント小説。ジャンル不問。日本語で書かれた自作の作品に限ります。
資格 応募原稿は、未発表作品に限ります。同人誌などにすでに発表したもの、及び、当「小説すばる新人賞」の発表より前に発表予定があるものについては、選考の対象外とします。
枚数 ワープロ・パソコン原稿は1枚当たり40字×30行のレイアウトにて、66枚以上167枚まで。A4判のマス目のない紙を横置きに使用し、縦書きで片面印刷してください。手書き原稿の場合は400字詰め原稿用紙で200枚以上500枚まで。
要領 (省略)
  正賞=記念品 副賞=200万円
締切 2024年3月31日
発表 (省略)
宛先 (省略)
主催・株式会社集英社

集英社『小説すばる』2023年12月号より引用

ブレずに応援する朝井リョウさん

 第37回の選考委員は6名。朝井リョウ、五木寛之、北方謙三、辻村深月、宮部みゆき、村山由佳。
 同誌同賞の特集ページで、新選考委員の朝井氏のインタビューが掲載されていた。タイトルは「ブレず、一つのテーマに向き合い続ける」。
 その中で、朝井氏へのこんな質問があった。《これから小説家を志す人たちはどんな小説家を目指すべきだと思いますか?》。それに対して彼はこう述べている。

 目指すべき小説家像というのは特にないと思います。とにかく自分の好きに書くしかないです。というより、原稿用紙換算で何百枚という分量の文章を書くとなると、結局は好きなようにしかできなくなると思うんです。その途中で自分に向いているものは小説ではないと思ったならば別のものに挑戦すればいいし、特に何も決めなくていいと思います。

集英社『小説すばる』2023年12月号より引用

えらく不器用な創作意欲

 保育園の園内の小プールで水遊びをし、園児仲間とキャーキャーいいながら素っ裸になって体を洗い塩素を落とした。そんな遠い記憶――。そうして午後、絵の時間なのであった。
 クレヨンでカブトムシだかクワガタの絵を描いていると、園長先生が背後から私に声をかけてきた。「ペトロくん、これはね、こう描くのよ」。
 園長先生は黒色のクレヨンを手に持って、私のだらしない絵の中の甲殻の部分に、立派な“太い線”を描き込んだ。それは見事な輪郭線だった。私の絵の中のヘンテコなムシは、すぐさまカブトムシだかクワガタかに変貌を遂げ、その絵はようやく一応、完成したのだった。

 だが内心、私はその1分程度のやり取りに落胆していたのだ。暗に、あんたには、絵の才能なんかないのよといわれたかのようなショック。絵を描くことの楽しみは一挙に啄(ついば)まれ、それ以来、私は、学校で絵を描く時間がたまらなく嫌になった。小学校でも中学校でも、好きになることはなかった。

 おそらくそれがトラウマとなって、歌を「歌う」ことや「書く」こと、それ以外に、思春期を過ぎてからの演劇活動にのめり込んだのだろう。そちら側に逃げ込んだ、という感覚のほうが正しいかもしれない。後にこれに加えて、写真や映像を「撮る」楽しみも増えた。が、絵を描くことはずっと駄目、というよりタブーだった。今はさほどでもないが、本格的に絵を描くことはない。
 幼少期の最も原初に近い創作の享楽から、逃げ切ることが、私の創作の享楽の二律背反的な出発点だった。それ以外のジャンルの範疇ならば、なんとかなるのではないかと――。

バルテュスの絵の具

 むろん、なんとかなる人生でもない。
 「歌う」ことや「書くこと」は、とりあえず私の自己顕示欲を適度に躱(かわ)すくらいの効果はあったと思う。不得意で不利な自分を痛めつけるような、内々のカニバリズムは御免被りたいとは思っているが、絶えず、心のどこかで、萎縮したものは感じていた。私の人生はどこをどう啄(つつ)いても、挫折の繰り返しであるから、若い頃に小説を書こうと思ったことは、一度もないのだ。

 昔、バルテュス(Balthus)の作品展を観に都内の美術館に行って、その帰り際、ショップで販売していたバルテュスゆかり(?)の絵の具瓶を、2色ばかり買った。いまでもそれは、何の取り柄もなく家の窓辺に飾られてある。
 そんな飾り物――私にとっては単なる“置き物の絵の具瓶”ではあっても、買わなかったよりはマシだと思っている。何かそれは、光を放ち、ずっと輝いていたからだ。

§

 集英社の文芸雑誌『小説すばる』を眺めていて、「小説すばる新人賞」の告知に目が止まった、という話をぐだぐだとしてしまった。
 ただそれは、関心があって――という軽いものではなく、なんとなく重たいのである。
 重いものが、心にのしかかっている。たとえそれが、立派な“太い線”を背後から描かれてしまったというトラウマの事実ではあっても、遠慮なくはねのければいいのだ。今からでも遅くはない。気持ちの中で、描かれてしまった後でもいいんだ、いっさい邪魔をするなと…。

 思い当たる節は、いくつかある。若い頃には殆ど足りなかった、違う感覚が生まれてきた――と書いてしまわなければならない。それはなにか?
 「この世に書き残しておきたいもの」への、深い熱意。〈これは書き残しておいてから、後々この世を去りたいんだよなあ〉という奇妙な、《生きる》野心かもしれなかった。

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